03 / みつあみ  


 

裏の野萵苣は食べられない

 
 
 

 いつもはきっちりとほつれのひとつもなく綺麗に編まれている長い長い三つ編みが、今はふわふわと朝日を浴びた壊れた蜘蛛の糸のようにほつれている。
 その腰を越えて尻まで届く三つ編みが裸の背で揺れるのをぼけっと見ながら、ベッドに沈んだままのロイはあれはやはり願掛けなのだろうかと考えた。
 切るのが面倒だからで済む長さではない。あれでは洗うのも乾かすのも一苦労だろうし、いくら彼が風呂嫌いで週に一度か二度しか入浴しないにしても(そして週に一度の洗髪だとしても)その手間を考えたのなら切ってしまったほうがずっと楽だ。
 
 願掛け、だとしたら。
 
 それはやはり弟のことだろうか、と三つ編みを揺らしながらズボンに足を通し部屋を横切りテーブルの上から炭酸の抜けた炭酸水の瓶を掴んで煽る青年の横顔を見、ロイはふいにやって来た眠気に薄く瞬いた。
 
 彼は弟を呼ぶとき笑顔になる。
 とても幸せそうで輝かんばかりの、太陽のような笑顔を見せる。
 けれどロイを呼ぶときは大抵顰めっ面をしていて不機嫌か、そうでなければとても真剣な顔をしている(仕事の話をするときだ。彼も随分と大人になった)。稀に笑顔を見せてもそれは呆れたような失笑や、仕方がないなとでも言いたげな(いや実際彼は口に出して仕方がないなと言う)苦笑ばかりだ。
「将軍」
 くる、と振り向いた青年が四肢を投げ出して寝転んだままのロイに瓶を掲げて見せた。
「飲む?」
 首を振るのも面倒でただ唇だけでいらないと告げると、ふと眉を顰めた青年は大股で戻りずり落ち掛けていたシーツを掴んでロイの上へと掛けた。青年がベッドの端へと腰を下ろすと、ぎし、と軋んでマットレスが僅かに傾く。
「疲れた?」
「うん」
 よしよし、と黒髪を撫でる鋼の手の硬さと冷たさが心地よくて、ロイは下りて来たその手に頬を擦り寄せて眼を閉じた。額の上で青年の苦笑の息が洩れる。
「子供みてーな真似すんなよ、いくつだよアンタ」
「君の前だからいいんだ」
「いやアンタ誰の前でもそうだから」
 唇が額に触れる。先程までの熱はもうなくて、炭酸水で少し濡れたそれはむしろ冷たい。こちらばかりが熱を持て余しているようで、本当に珍しいことに、ロイはほんの少しだけ悔しく思った。
 
 この青年に形のない何かを求めることなど、そうはないと言うのに。
 
 青年の左手が耳元を滑り、顎の付け根を軽く掴む。鋼の右手も同じように頬を包んで、瞳を閉ざしたままのロイの顔を固定した青年はゆっくりと食むように唇を合わせた。薄く開いた唇を、水で冷えた舌がなぞる。
「アンタってさー」
「………ん」
「冷たいよね、なんか。シてるときも」
 ロイは瞼を上げた。間近にある青年の顔は金糸の帳に彩られ、それを差し込む午後の陽がきらきらと明るく淡く光らせる。耽美的な容姿ではまるでなく、最近は随分と男らしく精悍さを増した青年の面立ちに、その光は不思議と似合っていてロイはぱちぱちと瞬いた。
 青年の肩を滑り落ちた長い長い三つ編みが、シーツを叩いてぱた、と音を立てた。
 
 長い三つ編みの女の子の童話がなかったか。
 
 塔に閉じ込められていて、たしか男がその三つ編みを伝って塔を上るのだ。
「………なんてタイトルだったかな」
「は?」
「何が冷たいんだ」
「全然話が繋がりませんけど」
 まあいつもの事か、と溜息を吐いて、青年はベッドへ乗り上げて隣に寝転び頬杖を突いた。
「アンタがさ」
「どこが」
「だから、身体とか」
 ロイは首を傾げる。
「低体温ではないと思うけど」
「低体温ってほどじゃないけど低いよ。つか、シてるときに冷たいと吃驚すんだろ。気分乗ってねーのかなとか具合悪いのかなとかさ」
「君とするときはいつも気持ちいいし乗り気だけど」
「嘘吐け。アンタ自分で言うほどセックス好きじゃないよ。歳なんじゃねーの」
「失礼な」
「ていうかそろそろ歳だと自覚してくださいねさんじゅーにさいなんですからー」
 投げ遣りに言いながら瞼に降って来た唇は僅かに熱を取り戻していて、ロイは青年が欲情していることに気付き小さく笑い、重い腕を持ち上げてその首に絡めた。青年はロイの瞳を覗き込み、冷えてる、と囁く。
「寒い?」
「全然」
「疲れたよな? もう止めとく?」
「したい」
「止めるなら今のうちだけど? あとで止めろっつっても止めないよ」
 シーツに潜り込んできた青年の体温を上げつつある左手が裸のままの腰を抱き寄せた。怠い身体は緩慢にしか動かず、けれど膚を這うその指にまだ余韻の残る快感を呼び起こされてロイは吐息を洩らす。
「アンタはただ寝てればいいよ」
「……勿体ないから嫌だ」
「なに、勿体ないって」
 くつくつと喉を鳴らして苦笑のように笑い、青年は先程まで抱き合っていたせいでまだ柔らかな中心を緩く揉む。ぴくりと喉を反らせたロイの顎の先に口付けて、青年はゆっくりと指を差し込んだ。捻るように侵入する節くれ立った指が、内壁を擦る。
「あ、……ん、……ッ…、」
「身体ん中は熱いけどね」
「…当たり前、」
「そうだね。でも体温が上がんないとやっぱ疲れてんのかなとか思うよ」
 くちゅ、と指をゆるく掻き回されるたびに微かに濡れた音がする。その淫猥な水音とぞくぞくと背を這うわずかな快感に堪りかね、ロイは青年の背に両腕を回した。
「はがね、の……ッ、…や、も……」
「堪え性ないなあ」
 やれやれと言った様子で青年は肩を竦めたが、ねだる声に気をよくしたのか次々と指を増やして柔らかな体内を蹂躙する。ロイは浅く忙しない息を吐いて青年の背に爪を立てた。
「痛ェッての! ……ったく、せっかく今日は爪立てられないで済んだと思ったのに」
「はが、ね、の…ッ、…んンッ……あ、も」
「んー? もういいの?」
「ん、」
「まーさっきまでシてたもんな」
 ちゅ、と音を立てて触れるだけの可愛らしいキスをくれて、エドワードは指を引き抜きロイの右足を抱えた。そうしながら背に回されていた腕をゆっくりと外して黒髪の上で纏め上げ、鋼の右手で固定する。
「はがねの、手」
「爪痛いから、ダメ」
「手が痛い」
「今バンダナとか括るのないから、我慢しろ」
「だって、」
「あーもー煩い」
 奥に触れたそれにぴくりと身を竦めて言葉を収めたロイに満足げににやりと笑い、エドワードはゆっくりと侵入を果たすと絡む媚肉を掻き分け腰を進める。
「………ア、ッは……ァ!」
 ゆるゆると、けれど止まることなく侵入してくる青年の質量に痛みのない圧迫感を感じる。上手く呼吸が出来ずに開いた口から喘ぎと共に息を吐き切ると、青年はそれを待っていたかのように一気に腰を押し進めた。
「は、………ッん」
 息を呑み、宥めるように頬に瞼にキスの雨を降らせる青年の顔を気怠く見上げる。金色の眼を細めた青年は軽く唇へと口付け、唐突に律動を開始した。ざわざわと走る悪寒に似た感覚に、勝手に背がしなり抱えられた足の甲が引き攣り指が縮む。立てた左膝が震えた。
「あ、あッ、……ン…く……ッ」
 青年は眼を伏せて眉を寄せている。
 その金色を抱き寄せたい、と肩を捩らせても捕らえられた手首が解放される様子はなくて、ロイはふと口元に笑みを走らせた青年を睨んだ。
「は、がね……ん、……ッや、手……」
「無理すると痕付くよ。痛めちゃ仕事に差し支えるだろ」
 大人しくしてろ、と甘やかすような口調で囁く青年にロイはかぶりを振る。黒髪がシーツを叩いてぱさぱさと乾いた音を立てた。
「はな、せ……ッ、い、た」
「暴れなきゃ痛くないよ」
「は…が、ァ……ッ」
 最奥を犯され喉を反らせたロイを僅かに笑みを浮かべて見下ろしていた青年が、ふと片眉を顰めて笑みを納めた。
「う……ッん、……は、がね、の」
「……そういう顔しないでもらえる?」
 
 どんな顔をしているというんだ。
 
 ロイはそう尋ねようと口を開き掛けたが、唇から漏れ出るのは忙しない喘ぎと息ばかりで言葉らしい音は一欠片も紡げない。乱暴に犯されているわけでもないのに脳味噌と声帯が上手く繋がらなくて、ロイはもう一度身を捩り無機の手を払おうと無駄な努力をした。手首が擦れてひりひりと痛む。
「なあ、………ローイ?」
 珍しくそう名を呼んで、青年は動きを止めてロイの眼を覗いた。
「なんでそんな切ない顔すんの? なんか悲しい? 嫌か? 止める?」
「………手、」
 ふっと青年が薄く苦笑した。
「爪立てない?」
 ロイは小さく二度頷く。青年はもう一度笑みを洩らして鋼の手をそっと放した。
 自由になった両手を引き下ろし持ち上げて、ロイは青年の肩へと腕を絡め掻き抱いた。そのままろくにもらえなかった唇を求めて深く合わせる。突き上げを再開した青年の動きに洩れる嬌声は互いの口腔へと消えた。
 背を這う指が三つ編みを絡める。無理に解こうとでもするようにその金髪に指を差し込み乱すと、青年が結わえていた髪ゴムを引き抜いた。しなやかで硬い金髪はさらさらと解け、青年の背を肩を滑りロイの膚へと降った。
 ロイはその金髪を掴み、震える息を吐く口元へと寄せる。青年の機械鎧の右手が額を撫でて行く。
「………ロイ」
 囁きはいつになく甘く、ロイは瞳を閉ざした。瞼の縁から溢れ落ちて行く冷たい感触が涙だ、と気付いたとき、青年の熱い唇が目尻を辿った。
「おい、泣くなよ」
 わずかに狼狽えたその声色が可笑しくて、ロイは失笑を洩らす。笑うな、と告げた声はまだ狼狽えたままで、ロイは瞼を上げて眩しい金色を見た。
 
 ───ああ、ラプンツェルだ。
 
 童話の、長い金髪の少女の名。
 ただ待つだけの、世間知らずの娘。
 妖精に閉じ込められて見知らぬ男に孕まされ安寧を失う哀れで愚かな無知の象徴。
 
 そんな娘はこの青年には似合わないが、けれど逞しく自生する、小さな花をささやかに付けるラプンツェルならばむしろ、童話の少女よりもずっと。
 
「なんだよ、……どうした? 痛かった?」
 かぶりを振って、ロイは小さく深く息を吐く。
「はがねの、」
「なに」
「髪」
「……髪がなに」
「切るな」
 青年はぱちぱちと眼を瞬かせて、それから呆れたようにロイを見下ろす。
「切るよ、アルを元に戻したら」
「願掛けだからか」
「あぁ? なにそれ、願掛け? なんでオレがそんなのに頼んなきゃねーの」
 バカじゃねぇの、と不機嫌に言って、青年はロイの背を右手で支え、よ、と呟き身を起こす。青年の膝へ乗り上げて、急に深くなった繋がりにロイは身を震わせ喉を詰めた。
 青年は構わず、ロイの眼を見上げて瞳を細める。
「アンタが好きみたいだったから伸ばしてただけ」
「…………え?」
「嘘だよ。面倒だったから伸ばしてただけだ」
「……………。……でも、こんなに長いと」
「んー、まあかえって面倒だけど、なんか切るタイミング逃したっつーか、切ろうかなーとか言うとアルがえーなんでーとか言うからさ」
 
 だから、旅の終わりに区切りとして。
 
「切るよ。邪魔だしな」
「……………」
 薄青い小さな花を密生させる野萵苣は逞しく、陽を浴びて青々として命に溢れていて。
 そこにはくだらないセンチメンタリズムなどなくて、ただ前を見て、太陽を仰いで、生を生として生きているだけで。
「………はがねの」
「ん?」
 額を合わせると青年の熱が移るようでそれが少し心地良い。
「………死んだら燃やす」
「火葬って意味?」
「じゃない」
「だよな」
 くつくつと笑い、青年はロイの背を抱いた。恭しいその手付きはいつもと全然違っていて、ロイは再び閉じた瞼から涙が落ちて行くのを感じる。
「あーもー、泣くなよ、バッカだな」
 怖くないから、と笑みを混ぜた声で囁く青年に、ロイはむっと眉を顰め拗ねて見せる。
「子供扱い」
「いやアンタいい加減オッサンなんだから子供みたいなこと言ったりやったりすんのやめてもらえませんか、キモいから」
「はがねの」
「解ってるよ、死なねーよ。つか、オレが死んだら誰がアルを戻すんだよ。失敗したらまずアルが死ぬんだぞ。オレがんなこと赦すかよ」
 自信満々の口調で、けれど宥めるように背を辿る手は優しくて。
「………アルは死なせない。必ず成功させる」
「お前は」
「アンタは大丈夫だよ」
 青年はロイの背を抱き寄せて囁いた。
「もしオレがいなくなっても、大丈夫」
「ゆるさない」
「アンタにそんな権利はない」
 甘い睦言のような口調で青年は拒絶する。
「アンタが生殺与奪を握るのはアンタの部下だけだ。オレの命はアルのものだ。アンタのものじゃない」
「…………、……解ってる」
「うん、解ってるって解ってるよ」
 薄く笑みを浮かべたまま、青年は緩く唇の端に口付けた。
「………アンタがオレの命をどうも出来ないように、オレはアンタの命には手は出せない」
「……お前が望むなら、」
「下手なことは言うもんじゃないよ、マスタング准将。オレは欲が深いんだ。本気にしたらどうすんだよ」
「嬉しいけど」
「バカだよな、つくづく。困るくせに」
「ッア、」
 思い出したように腰を揺すられて、ロイは息を詰めた。
「………珍しいね」
 突き上げを再開しつつ青年が囁く。
「アンタが、アルに嫉妬してるみたいなこと、言うの」
「しっ、と、じゃ……ッん」
「うん。お前アルのことも好きだもんな」
「あっ、はが……ッ」
「解ってる。アルは死なせないし、オレも死なない」
 きちんと帰ってくるから。
 
 世界へ。
 流れへ。
 
 生きとし生けるものの在るべきこの混沌の世へ。
 
「………カミサマのとこなんかにゃぜってー逝かねェ」
 毒突くような青年の言葉に、ロイは切れ切れに笑った。
「逝けな、い、……の、間違い、だ」
「言っとけ」
 不機嫌そうな青年のその顔に安堵して、ロイは金の髪にキスをした。

 
 
 
 
 

■2004/11/11

二萬打リクcooの半年か1年くらい前。多分。

野萵苣(のぢしゃ)はラプンツェルのことです。ヨーロッパでは食用ですが、フツーに道端に生えてるもので食べれる雑草といった具合(いや栽培もするみたいだけど)。野のレタス(萵苣)、だそうで。……全然「お陽さまの下でもっとも美しい娘」じゃないですよラプンツェル……というかわざわざ危険を犯して魔女の庭から摘んでた理由はなんなんだオヤジ……。
ラプンツェルの粗筋を知りたい方はgoogleで「ラプンツェル」で検索すると出てきます。上から三番目くらい。

ところでこのお題、涙でよかったんじゃないかと思わないでもない。エロだし。みつあみ関係なくていいんじゃ……(目を逸らしつつ)。

お題deエドロイ
JUNKTOP