アンバーシャドウの奥の奥
「女の子とセックスしたいなあ……」
ベッドに大の字に弛緩して腹にべったり付いた精液をオレに拭わせながらのアルの言葉に、オレは思わず固まった。
あのな弟よ。……今言わんでもいいだろうそういうことを。
「………女って、具体的にどなたとなさりたいんでしょーかね、アルフォンス君は」
「えー……具体的にって言われても」
「女なら誰でもいいのかお前。んじゃあの無能将軍にでも頼んで美人のいる娼館に連れて行ってもらえよ」
「あれ、兄さんそういうの嫌いじゃなかったっけ」
「嫌いだよ」
アルの薄く筋肉の付いた腹筋を拭う作業を再開し、オレはティッシュをくしゃくしゃと丸めてぽいと床へと投げ捨てた。
「ちょっと、ちゃんとごみ箱に捨ててよ。後で拾って捨て直すのボクなんだから」
「はいはい後でなー」
「とか言って兄さんちゃんと片したことないじゃん」
「うるさいよお前」
「うわ、ひと犯しといて何その言い様」
「つか、強姦された被害者がなんでそんなに強気なんだよ」
むに、とアルのほっぺを引っ張って、オレは今拭ったばかりのアルの腹へとどっかと身を乗せた。ぐえ、とわざとらしく顔を顰めたアルがオレの髪をぎゅうぎゅう引っ張る。
「痛いって、アル」
「だったら退いてよ、重いんだから」
「誰とセックスしたいの。兄ちゃん怒らないから正直に言いなさい」
「なんで兄さんに怒られなきゃないんだよ」
「オレはお前としかしたくないからに決まってんだろうが」
「兄さん変態」
はあ、と溜息を吐き、アルはオレの肩を押し遣ろうと頑張っていた両腕をぼと、とシーツへ落とした。
「誰ねえ……うーん、誰かなあ……」
「………あのなお前…オナニー覚えたばかりの思春期少年じゃないんだから誰彼構わずしたがるっつーのは兄ちゃんあんまり感心しないぞ」
「悪かったねー、オナニー覚えたばかりの思春期少年で」
むす、と半眼になったアルフォンスに、ああ、と呟いてオレは顔を上げた。
「そうか、悪ィ」
「思春期丸ごと鎧だったんだからオナニーだってセックスだって最近覚えたんだよね、ボク!」
「だから、悪かったって」
「しかもセックスの相手が男で兄さん。その上セックスは経験済みなのにまだ童貞。物凄く間違ってる」
「あ、なに、んじゃオレに突っ込んでみる?」
「やめて気持ち悪い」
「き、傷付く……」
アルは項垂れたオレを無視して(抱いた後は大抵こんなだ。物凄く冷たい。照れているんだと思いたい)うーん、と呟いて天井を見上げた。
「誰かなあ、誰としたいんだろう、ボク」
「………好きな女でもいんのか」
「好きな子ね。うん、パニーニャが好きなんだよね、ボク」
「は、初耳」
「見てれば解ると思うんだけどね。自分で言うのもなんだけど、ボクあけすけだから」
「全然解りませんでした……」
「兄さん目が曇ってるよね」
「恋は盲目と言ってくれ」
「何が恋だよ」
ぎゅ、とオレの耳を引っ張り、アルは再びぱたりと腕をシーツへ落とした。もしかしたら腕を上げているのも辛いくらいに疲れているのかもしれない、とオレは漸く思い至る。
けれどアルは疲れたとも離れろとも言わずに、天井を見ている。
とても綺麗な顔をしている、と、オレは思う。
これも盲目の恋の作用なんだろうか。
「でもなー……パニーニャを押し倒したいとは思わないんだよね」
「何それ。好きならやっぱしたいって思うんじゃねーの」
「いや、したくないわけじゃないんだけど、ていうかそういう目で見ればウィンリィだってリザさんだってしたくはなるんだろうけど、そうじゃなくてさー……なんて言うのかなあ、するならするで、ちゃんとお付き合いして結婚の約束とかして、そういう流れでしたいって言うか」
アルの言葉が胸に響くのを頬を付けて聞いていたオレは、あー、と呟き細い腰を抱いた。
「腰だるいからやめて欲しいんだけど、兄さん」
「軟弱だなあ」
「誰のせいだよ」
「つまりあれか、性欲だけの対象にしたくないと。愛情の一環としてのセックスがしたいと」
「まあ、そんなカンジかなあ」
なるほどねえ、とオレは少し笑った。
「お前のセックスしたいっつーのは、つまりは結婚願望なんだな」
「………そうなのかな」
「彼女が欲しいんだろ」
「うん」
「で、長く付き合って、結婚して子供作ってじいさんになって孫とか出来て、とかそういうのまで考えてるだろ」
「うーん」
アルは首を捻る。
「………うん、そうかも」
「そりゃ性欲じゃねーよな」
「そうなの?」
「そうなの」
そっかあ、とがっかりしたように呟いて、アルはそれじゃあダメだなあ、とぱたりと眼を閉じた。
「なんでよ。彼女作って結婚しろよ」
「………兄さんが言うと何か企んでるような気がする」
「何でだよ。お前が幸せになるならそれでいいよ」
目を開いたアルがオレを見下げた。金色の目に睫の影が深く落ち、その光彩を濃い褐色に変える。
「ボクは兄さんにも幸せになってもらいたいんだけど」
「オレは今が幸せだな」
「……ボクが結婚したら幸せじゃなくなるわけ」
「お前が幸せなら幸せだ」
「それ、兄さんが幸せって言わない。ボクに依存しすぎだよ、兄さん」
「しょーがねーだろ」
オレはアルの白い胸の真ん中に唇を落とす。
「オレは昔っからそういう風に出来てんだよ。母さんやお前が幸せならオレも幸せで、母さんやアルがいるからオレは在れる」
「それやめてくれる。凄い嫌。気持ち悪くて死にそう」
酷ェな、と薄く笑ったオレの髪をアルの身長の割に小さな手が撫でた。
「本当に嫌だ、兄さん。ボクを言い訳に使わないで。……嘘でいいから、お前なんかいなくても大丈夫って言って」
アルの心臓が小さく速く打っている。
アルは深く息を吸い、囁くような細い声で付け加えた。
「……じゃないと、心配で仕方がなくなっちゃうだろ」
くっく、とオレは笑った。胸に舌を這わすと殴られる。
「ってーな」
「ひとが真面目な話してんのに悪戯すんな!」
「オレも大真面目だよ。お前可愛いなー」
「うわ嬉しくない」
「オレアルがいないとダメだなー」
「やめてよもー、凄いウザいよ兄さん」
「アルがいなくなったら死んじゃうかもしれない」
「やめてってば! 困るんだよそういうこと言われると!」
「愛してるよ、アル」
頬を両手で包んでちゅ、と口付けるとアルが心底嫌そうに顔を歪めた。
「なにその不細工な顔」
「誰が不細工にさせてんだよ」
「オレですね、スミマセン」
「ほんとどうにかしてよもう……」
「謝りついでにもっかいしてもいいですか」
「凄い嫌」
「どーせお前が了解することってないから、勝手に了承したことにさせてもらう」
「うわなにそれ! ボクの人権は!?」
知らん、と笑ってオレはアルの耳朶を甘噛みした。アルはぎゃっと騒いでオレを押し退けようと無駄に足掻く。
「アルー」
「なに!? やめてほんと! すっごい疲れてんの! 明日は午後からボク仕事なんだよ!!」
「ちゃんと幸せになっていーからな、オレに遠慮すんなよ」
ぴた、とアルの抵抗が止んだ。オレはどくどくと脈打っている頸動脈を舐め上げ、肩に音を立てて吸い付く。アルが微かに震えた。
と、思うと、「あーもー!!」と叫んだアルはかばっとオレの肩を強く抱いた。オレは思わず顔を上げる。
「な、なんだアル、どうした」
「兄さんってほんとバカバカバカ!! 世界一バカ!!」
「な、なんで!?」
「ボクが結婚するわけないだろ!!」
「は!?」
アルはオレの頭をがっしと自分の肩へと押さえ付けた。
「この身体は人間だけど、どこにも元のない遺伝子が詰まってんだよ!! そんな遺伝子を女の子に突っ込んだりましてや子供を作ったりなんて出来るわけないだろ!?」
「な………」
「反論しない! 兄さんのせいだって言ってるわけじゃない!!」
怒声でフォローして、アルはぎゅうと腕に力を込めた。
「………ボクはこれも罰だと思ってる」
「─────」
「兄さんの右腕が戻らなかったみたいに、兄さんが未だにボクに縛られてるみたいに、ボクは永久に失くした身体は取り戻せないし、兄さんとも母さんとも父さんとも繋がらない身体で子孫を作る気もないし、……だから、普通のひとみたいな幸せは最初から諦めてる。鎧でいた頃からずっと諦めてた」
「ア……アル」
「そんな声出すな。兄さんのせいじゃない。……ボクだけのせいじゃないけど、兄さんだけのせいでもない」
この罪は、ボクら二人のものだ。
アルフォンスはふいにくす、と笑った。
「だけどね、兄さん。世の中には罪に縛られているひとはボクらだけじゃないけど、ボクらの幸いは、罪を二人で分かちあって一緒に抱えていけることだよ」
「…………アル」
囁きに名を呼んだオレの声は涙声で、オレは自分で驚いた。アルフォンスがくすくすと笑う。
「兄さんって泣き虫になったよねえ」
「ば……誰が泣き虫」
「だってすぐ泣くじゃん」
アルの手がオレの背を撫でる。
「でも、良かったよ。兄さんがちゃんと涙も取り戻してくれて」
「………別に失くしたわけじゃ」
「失くしたでしょ。泣くのは弱いことだって思ってたでしょ。立ち止まるのも振り返るのも決心を鈍らせることだってずっとずっと意固地に考えてたでしょ」
そんなことはないのにね、と優しく笑むアルフォンスに、オレは堪らずキスをした。
迷惑げに唸ったアルは軽くオレの髪を引っ張ったけれどそれにはたしなめる以上の力は籠もらず、オレは許された気になって、更に深く唇を合わせた。
ボクは幸せだから、兄さんも幸せになってね、と。
睦言のように囁いたアルの言葉は、空耳だったのかどうか。
アルの身体と熱に溺れかけていたオレには、確かではないのだけれど。
翌日アルはいつものように身体が痛いとぶつぶつと文句を言っていたのだけれど、おはようのキスを拒むことはしなかった。
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