午前10時のアップルソーダ
「弟襲っておいて未だ信用を失ってないとか考えてるあたりが兄さんてすっごいおめでたいよね!!」
ベッドの中でシーツにくるまったまま顔を真っ赤にして凄い勢いで怒鳴っているのはオレの最愛の弟だ。てか最愛過ぎてつい昨夜理性のたがが外れてしまったわけだが、まあそのうちそうなるんじゃないかなーと覚悟していたのでショックはなかった。オレは。
「兄さんが覚悟してたって仕方がないでしょ!? この場合突っ込まれるほうが覚悟すべきだよね普通!!」
アルフォンスは相当頭に血が上っているらしくいつもなら言わないようなことまで口にする。ここはたしかに一軒家だが、もう日も大分高いし窓の向こうは人通りはそれほどないとはいえ路地だし、あんまり突っ込むとか突っ込まれるとかそういうことは怒鳴らないほうがいいんじゃないかと思うんだが。いや主にお前のために。
庭に薔薇園作ってる隣の風雅なおじいちゃんに聞かれたらばつが悪いのはお前じゃないかと兄ちゃん思うんだ。
「誰のせいだよ誰の!!」
「うん、ごめんな」
殴られた。
「痛いよアル」
「ボクはもっと痛かったんですけど!」
「でもちょっと良かったろ?」
「いいわけあるかバカ兄ーッ!!」
ぶんと腕が空振った。アルは「逃げんな!!」と無茶なことを言う。
ていうかなんでベッドから動かないんだこいつ。
いくら物腰柔らかで男のくせにやたらめったら可愛くてホークアイ少佐にまで「妹さんだったら相当可愛かったでしょうね」なんて言われちゃうくらいだとしても(こいつ少佐のことちょっと好きだったみたいだからえらくショックを受けていた)、れっきとした成人男子だ。素っ裸だろうがなんだろうが、男同士だし兄弟同士だしついでに言えば昨夜ナニをアレした仲なわけだし今更恥ずかしくて出てこれないなんてことはないだろう。むしろぶらぶらさせたまま(何をだよバカ兄、とはアルのツッコミ)跳び蹴り食らわすくらいはしそうなものなんだけど、この怒りようからすると。
と言うことはだな。
「あのさー、アル」
「なに」
わあ、冷たい声。
「お前もしかして、腰立たないの?」
「……………」
あ、図星か。
オレはアルに擦り寄ってむすりとしたままシーツにくるまっている肩を抱いた。
「ごめんなー、アル。お前があんまり良かったもんだからつい調子に乗って」
「つい!? ていうか良かったって何どういうこと!? 弟に欲情して襲った挙げ句に『良かったからつい』!? ついで5回もやるわけ兄さんは!!」
「………そんなにしたっけ?」
「したよバカ!! もうあれだよね! やった側はやったこと忘れちゃうってこういうことだよね!!」
それはちょっと違うと思うんだが。
「ほんとごめんな」
「…………」
「何でもいうこと聞くから」
「…………」
「許して、な? 愛してる」
「…………。……愛してれば何してもいいってわけじゃないでしょ」
「うん、オレが悪かった」
「二度としない?」
「……………」
正直者のオレは無言で答えた。のできりきりとほっぺたを捻られた。
「い、いひゃいって、アル」
「痛くしてんだから当たり前だろ!」
アルはぶちっとオレのほっぺをつねってばふりとシーツを被った。
「………もー絶対絶対筋肉付けてやる!! 兄さんなんか片手でぶっ飛ばせるくらい力付けてやるから!!」
オレはひりひりと痛むちょっと腫れているほっぺをさすりながらシーツの塊の頭らしきところを撫でた。
「いや、あんまりムキムキになられるとちょっと」
「兄さんの好みなんか聞いてない!!」
「……お前童顔なんだから似合わないって。撫で肩だし。それに骨細いからあんまし筋肉つかないと思うけど」
「……………。………まさかと思うんだけど兄さん」
いつもはテノールの優しく少し高い声が、地を這うように低音に響く。
「わざとそう造ったんじゃないだろうな……」
「へ?」
アルはシーツから目だけ覗かせた。すんごい座ってて金色がぎらぎらと光っててちょっと怖い。周囲にはこのぎらぎらした金眼はオレだけの特質だと思われている節があるが、心底怒ったときなんかはアルだってぎらぎらと輝くのだ。客観的に見るとたしかに目付きが悪い。
「兄さん、わざとボクの身長兄さんより低くしただろ」
「いやわざとなわけじゃ……ただイメージの問題がな。鎧のイメージが強くなり過ぎてたから人間サイズ人間サイズと念じた結果」
「兄さんより3センチ低い身長だったわけ。へー、器用だねー」
「………今はもう越してんだからいいだろ」
「あとなんで撫で肩なのさ」
「お前撫で肩だったじゃん。ちょっと首が長く見えて、学校でキリンとか言われて喧嘩して帰ってきたことあったじゃん」
「子供の頃の話だろ!」
「しょーがねーだろ、子供の頃の姿しか参考にすべきもんがないんだから」
「だからってなんでこんな華奢なんだよ!! 子供イメージだからって限度があるだろ!? ボク師匠より腕細いんだよ!?」
「いや、師匠は結構筋肉ついてるし」
「でもあんな身体弱いひとより細いってなんなんだよもー!!」
パニーニャよりは太いんだからいいじゃん、と言ったら殴られた。
もー絶対鍛える絶対絶対! ともう泣いてんだか怒ってんだか解らないアルに、オレは今更ながらにちょっと申し訳ない気分になった。
どうやら相当に、この実は結構男らしい性格の弟のプライドを挫いてしまったらしい。
「な、アル。ほんとごめん。お前が嫌ならもう二度としないから」
「嫌に決まってんだろ!?」
「うん、だからしないから許して」
アルは不審げにオレを見上げた。オレはちょっと首を傾げてアルの頬を金属の指で撫でた。アルフォンスは僅かに口をへの字に曲げる。
「………兄さんの右腕」
「うん?」
「ボクがいるから戻んなかったのかな」
「いや、そういうわけじゃねーだろ。仮にそうだったとして左足は戻ったし、もともとこの右腕はお前にくれてやったもんだから、いいよ」
アルがちょっと目を伏せた。金色の睫がとても長い。母さんも睫がとても長いひとだったから、それを考えていたら凄く綺麗な目元になってしまって、女の子みたいだとアルにはちょっとむくれられたけどオレは似合っていると思う。というかオレのセンスとは思えないくらい『アルフォンス』だと、ウィンリィとばっちゃんには凄く褒められたんだけどな、このアルの身体。
「…………ごめんね」
「ん?」
「さっき、わざとだろとか言っちゃって」
「ああ、気にすんな」
アルはもぞもぞと居心地悪そうに動き、オレの機械鎧の指へそっと唇を付けた。祈るみたいなその仕草に、アルがさっきの発言を酷く悔いていることが解る。
「気にすんなって、アル」
「……でも酷いこと言っちゃったし」
「オレが先にお前怒らせたんだから」
アルがオレを見上げた。もうぎらぎらとはしていない金の眼が僅かに潤んでいるようで、オレはそっと生身の指でその瞼を撫でる。白い頬が柔らかい。
頬を掌に包んだままゆっくりと顔を近付けると、アルの瞼が静かに降りた。オレはそのまま少し色の薄い、柔らかで傷のない唇に口付ける。
「いだッ!?」
がり、と唇を噛まれた。反射的に顔を上げてアルを見下ろすと、アルは半眼でオレを睨み上げている。
「何すんだよ!?」
「………さっきもうしないって言ったのに」
「いやだって、眼ェ瞑ったじゃんお前!」
「へー、眼を瞑ったらキスしてオッケーなんだ、兄弟なのに。へー」
「兄弟ならキスくらいすんだろ!?」
「兄さんはずーっとそう言ってたよねえ。ボクすっかり騙されてたんだけどさ、ボクらの他に未だかつてそんな兄弟の話は聞いたことがないんだよね。おはようとおやすみといってらっしゃいだけならともかく、ことあるごとにキスキスキス。ていうか隙があればキス。しかもディープ」
「………誰に聞いたんだ」
「誰でもいいだろ、みんなだよみんな。前からちょっとおかしいなあとは思ってたんだよ、ウィンリィも変な顔するしさ」
オレは内心で舌打ちをした。この22年の間騙し続けていられたから、もう一生騙し通せると思ってたのに。
余計なことを教えたのはあのクソ無能将軍あたりだろうか。次に会ったら絞めてやる。
「将軍じゃないからね、これ教えてくれたの。絞めようなんて考えないでよ」
筒抜けだった。
「つか、お前アイツの肩持つよな、結構」
「あのひと兄さんが言うほど駄目なひとじゃないよ、紳士だもん。優しいし頼りになるし色々知ってるし、一緒にいると楽しいもん」
「………二人きりで会うなよ」
「気持ち悪いからその嫉妬剥き出しの顔やめて。なんで男のひと相手に兄さんに嫉妬されなきゃないの」
「そりゃオレがお前を愛してるからだ」
「それがそもそも変だって言うんだよ。てか愛の種類が間違ってる」
はあ、と溜息を吐いて、アルフォンスはごろりと仰向けになった。片腕を枕にだらりと弛緩する。めくれたシーツからは豪快に腹までが晒されて、昨夜オレが付けた所有痕があちこちに見えた。
「なんかもう面倒臭くなっちゃった」
「んじゃ、許してくれんのか?」
「何でも言うこと聞くんだったよね」
アルはじろりとオレを見る。
「お腹空いたんだけど」
「……なんか作ってくる」
「錬成はやめてよね。兄さんが錬成した食べ物ってなんか味濃くてやだから」
「手作りしたほうが不味いと思うんだけど」
「トーストとスクランブルエッグでいいよ。フライパン焦がさないようにだけ気を付けて。あと飲み物は林檎果汁のソーダ割」
「林檎ないけど」
「買ってきて」
「…………はい……」
しょんぼりと肩を落として去るオレをアルは不機嫌に見ていたのだけど、扉を閉める直前にちらりと盗み見たそっぽを向いたアイツの口元が、ほんのちょっと笑っていたのに気付いてしまったので。
その日一日オレは上機嫌で、アルに何度も殴られた。
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