ぼくのかわいいこねこちゃん
「なー、大佐。にゃーって言ってみて」
「は?」
何の入室許可も求めず執務室へと乗り込んで来た少年の(こんなに簡単に司令官の執務室へ軍属とは言え部外者を通すうちの部下どもはなにかが間違っている教育し直したほうがいいのだろうか)唐突な発言に、ロイは小言を言うのも忘れてエドワードをぽかんと見つめた。
「………えー、それはどんな意味があるのだね、鋼の」
少年は後ろ手にばん、と扉を閉めてすたすたと執務机へと近付きながらけろりとした顔で答えた。
「可愛いかと思って」
ロイは引き出しを開け、軍の紋章が箔押しされた羊皮紙を取り出しさらさらとペンを走らせる。
「鋼の」
インクを押さえて羊皮紙を差し出し、ロイは至極真面目に続けた。
「これを医務室へ持って行って軍医に精神科への紹介状を書いてもらえ」
「いやアタマおかしくなったわけじゃないから」
受け取りくしゃくしゃと丸めてぽいと床へと放り、エドワードは机へと両手を突いた。
「なー、言ってみて」
「断る」
「いーじゃん、一言だろ。ほら、にゃー」
「こんなオッサンに何を言わせる気だ君は」
「自分でオッサンて言うなよ」
「自分で言う分にはいいんだ。用がないなら出て行きたまえ、執務中だ」
「いやまだ用事済んでないから。ほら、早く言って」
「言わない」
「言えって」
「心の底からお断りだ」
「なんで」
「なんでも」
「オレのこと愛してないの」
「今眼が醒めた。こんな頭のおかしい15歳を一瞬でも愛していた私が馬鹿だった。さようなら楽しかったよ鋼のこれからはいい友達でいよう」
「うわ酷い。別れ話ならせめてその手止めてオレの顔見て言えよ」
書類に眼を落としていい加減な返事をしていたロイは、手許に落ちた影に眉を顰めて顔を上げた。机の上に乗り上げた少年が見下ろしている。
「そもそも今のは婉曲な別れ話じゃないのか」
「なんでそーなんの。可愛いかと思ってって言ったろ」
「と言うかどこから仕入れた知識だそれ。幼児言葉でも使わせたいのか。変態か君」
「んじゃなくてー」
エドワードは焦れたようにがりがりと頭を掻いた。
「さっきさ、ハボック少尉たちと動物に例えたらみんなどんなだろ、って話してて」
「……常々思っていたんだが少尉は割とろくでもないことを君に教え込むよな」
「いや別に少尉に教え込まれたわけじゃなくてね」
「誰が何だったんだ?」
ぽい、と万年筆を放り机に肘を突いて組んだ指の上に顎を乗せたロイに、エドワードは「サボりたかったのかよ」と笑った。
「えっとねー、ハボック少尉は犬ね。のそっとしたやつ」
「ああ、いかにもかな。でも軍用犬じゃないのか」
「そんな鋭いカンジしないだろ。怒っててもじっと我慢みたいな」
「軍用犬は訓練が行き届いているから感情で飛び掛かったりはしないぞ」
「だから、それは中尉」
ロイは面白がるように片眉を上げた。
「ほう、君には彼女は犬に見えているのか」
「……あんたには何に見えてんの?」
「野生の動物だな、猛禽とか。群れず孤高の肉食の禽」
「あー、名前がホークアイだし?」
「ぴったりな名前だとは思うが、それだけでもないよ。中尉は誰かの下に伏せていられるようなひとではない」
「へー……」
「他は?」
複雑な顔をして相槌を打ったエドワードは、促されてああうんそれで、と気を取り直した。
「アルは大型犬。レトリバーとかかな。利口で懐が深くてでも怖いんだ、怒らすと」
「はは、なるほど」
「で、アンタがね、黒猫だって」
「あー…猫か犬かで言えば猫だと言われることはあるが、そうでもないだろう」
「うん、オレもそう思ったんだけど」
エドワードはにやりと笑う。
「もっとごっついっていうか、肝が座ってる動物だよな、アンタなら」
「ほう?」
エドワードはロイの肘の下に敷かれる書類の箔押しをとん、と指差した。
「豹とか……じゃなきゃ、アンタんとこの紋章通り、ライオンかな」
ロイは黒い眼を細めてにんまりと笑う。
「それは光栄だ。……で、それなのに何故猫の鳴き真似をさせようとしたんだね」
「いやだから、可愛いかと思って」
「……君の考えていることは理解不能だ」
なんでだよー、と唇を尖らせる子供に溜息を吐いて、ロイは指を解き下敷きにしていた書類を撫でる。
「それで?」
「え?」
「君は何だったんだ?」
途端エドワードはむすりと唇を曲げた。
「なんだ、猿だとでも言われたか」
「うわアンタまでそーいうこと言う!?」
「………本当に猿だと言われたのか」
まあぴったりかな、と顎を撫でたロイにエドワードはやかましく喚いた。
「納得すんなそこで!!」
「いや、騒がしくて身が軽くて小さくて」
「誰が小さいって!?」
「眼が合うと襲ってくるんだよ猿は。ぴったりだ」
思わず掴み掛かったエドワードをすっと躱し、そう続けてロイはにっこりと笑った。
「遊びだろう遊び。そんなに熱くなるな」
「遊びだからむかつくんだろ!!」
喚くエドワードにわはは、と笑い、悔しがる様を眼を細めて見つめてロイは頬杖を突いた。
「…………虎かな」
「へ?」
「仔だがね」
ぽかんと見下ろしたエドワードに、ロイはにー、と笑う。
「獰猛で力強くて身が軽くて、意外に賢く狡猾で容赦のない密林の王だな」
エドワードはぱちぱち、と眼を瞬かせた。
「…そうなんだ」
「ああ。獅子も虎も、無駄吼えをするような獣ではないよ」
「ふうん……」
そっか、と呟き、エドワードはわざとらしく拗ねた表情を見せた。
「やっぱ言ってくんないんだ」
「誰が言うか、馬鹿馬鹿しい」
「……可愛いと思ったのに」
「もう本当に君の考えていることが解らない。というかそもそも可愛いってなんだ29歳成人男子に向かって」
「えー。女のひととか言うじゃんよく」
「女性に言われるなら嬉しい」
「女癖悪過ぎんぞアンタ」
「でも頼まれてもにゃーとは言わない」
「…………は」
ロイは引き出しを開け資料室の鍵を取り出しエドワードの額へとぺちり、と付けた。
「ほら、これが目当てだろう、持って行け。そして邪魔をするな。忙しいんだ」
エドワードはぽかんとしたまま引き寄せた書類にサインを始めたロイを見下ろした。
「…………あのさ、大佐」
「なんだ」
「もっかい言ってくんない」
ロイは迷惑げにエドワードを見上げる。
「二度と言うか、馬鹿者」
「いやでも今のってイマイチ言ったとは」
「あまりしつこいなら燃やす」
「すみません失礼しましたお仕事頑張ってください大佐殿!」
慌てて机から飛び下り、ばたばたと部屋を横断して扉に手を掛け、エドワードはふと振り向いた。ロイは書類に眼を走らせている。
「あのさー、大佐」
「なんだ。早く行け」
「今日アンタんち行っていい?」
ロイは眼も上げずに答えた。
「虎穴に入らずとも虎子が手に入るのはいいが、何に使えばいいんだろうな、この虎の仔は」
「……………。……なんか広場に新しい菓子屋が増えてたけど」
「ああ、女性に人気があるようだな」
「そこのヌガー」
ふん、と唇を歪めて笑い、ロイはくるりと万年筆を指の上で回した。
「まあいいだろう。紅茶を用意しておくよ」
エドワードははー、と肩を落とした。
「ライオンが甘い菓子食うなよ……」
ロイは胡散臭い笑顔を浮かべる。
「君も好きだろう?」
「去年の誕生日過ぎたあたりからそんなでもない。アンタのが子供舌」
「子供舌って」
「ま、とにかく残業にならないよーに頑張ってください大佐」
「努力はする」
よろしくー、と言って片手を振り執務室を出て、少尉や中尉たちと話をしていたアルフォンスへ資料室の鍵を預け、エドワードは役に立つ虎の仔としての責務を果たすべく駆け出した。
何故大の大人に菓子を買ってやらねばならないのだろう、という疑問は、胸の底で捻り潰した。
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