チェシャ猫のように嗤う

 
 
 

「はーン……それなら俺は手ェ空いてますから調べておきますよ。午後までで構わないんですね?」
「ええ。悪いわね、ブレダ少尉」
「なに、仕事ですか……っておう?」
 受け取ったバインダーを捲っていたブレダはたたたたと響き始めた必死の足音に顔を上げた。リザが振り返る。
 二人分の視線の先の曲がり角から滑る廊下にかかか、と爪を立てスピードを殺して壁への激突を避けた黒猫が、耳を伏せまるで黒い弾丸のように再び一直線に走り始めたかと思うとぴょんとジャンプしてバインダーを蹴りブレダの右肩へと登り頭に足を掛け左肩へ渡って、フー、と小さく威嚇の声を上げた。頭に肉球の感触が残る。バインダーには足跡が残る。
「……ちょっと大佐、なに………ッてう、おッ!?」
 続いてかかかかと今度は引っ込められない爪で廊下を叩きながら現れた喜色満面の黒い犬に、ブレダはツーステップで大きく後退した。犬は嬉しそうにブレダ目掛けて駆けて来る。
「くくく、来んなーッ!? つか降りてくださいよ大佐あんたが目当てだ間違いなくッ!!」
 慌てて振り落とそうとすると小さな獣と成り果てたとしても上司であることには違いない上司はふぎゃーと不満げに啼いて軍服の肩に爪を立てる。それを掴んで引きずり降ろそうとすれば今度は手に爪を掛けられた。
「いて、痛ェ!! ってこっちくんな犬ッ!! 今こいつ渡すからッ!!」
「上司にこいつ呼ばわりはないでしょう、ブレダ少尉。元に戻ってから何を言われても知らないわよ。────ブラックハヤテ号」
 小柄な黒い犬は静かな飼い主の一言でぴたり、と足を止め腰を落とし、きらきらと澄んだ眼でリザを見上げた。
「大佐を追い掛けちゃダメよ、迷い猫ではないんだから。あなたの遊び相手でもないわ」
 軍用犬でもないのに唯一司令部内を自由に動き回る権利を得ている黒い賢い犬は、わん、と一言吠えそう、偉いわね、と頭を撫でた主人に嬉しそうにはたはたとしっぽを振った。それを青醒めた顔で眺めながら、ブレダはじりじりと後退を続ける。肩の上の猫もまたぴたりと耳を伏せたまま、半ば毛を逆立てて副官とその愛犬の交流を凝視したままだ。
「ブレダ少尉、行って構わないわ。大佐、申し訳ありませんでした。ハヤテ号にはよく言って聞かせておきますから」
 こくこくと頷くブレダに合わせるようになん、と声なく小さく啼いて、猫は促すようにぱしり、と部下の肉の厚い背をしっぽで叩いた。
 
 
 
「あー………驚いた」
 ごしごしと顔を擦る手にくっきりと爪痕が残るのに気付き、ブレダは顔を顰めた。
「酷ェですよ、大佐。こんな思い切り爪立てんでもいいじゃないですか」
 なぁお、と澄ました声で啼いた肩の上の生き物に眼を遣ると、まるでおとぎ話のにやにや笑いの猫のようにうっすらと黒いアーモンド型の瞳を細めて黒猫はぺろり、と自らの鼻を舐めて見せた。
 その猫然とした、けれど本物の猫ならば決してこのタイミングですることはないだろう仕草に部下ははー、と溜息を吐く。
「………ま、人身御供、というか、犬に渡そうとしたのは悪かったと思います、すみませんでした。でも俺本当に犬はダメなんでね、解ってると思いますが」
 ぺし、と頬をしっぽで叩かれて、ブレダは憮然としてバインダーに付いた小さな足跡を払った。落ちない。
 困ったな資料室のファイルなのに、練り消しで消えるだろうかと考えながら、ブレダはあやすかのように小さく肩を揺すった。黒猫が僅かに慌てて足場を整える。
「早いとこ元に戻りましょうや、大佐」
 知らんふりしよう、と決めてぱたん、とバインダーを閉じる。
「んじゃないとあの犬もあんたとろくに遊べやしませんし、俺たちも困りますんでね」
 言われなくても解ってる、とでも言いたげにぱしり、ともう一度しなやかなしっぽで短く髪を刈った後頭部を打たれ、犬は駄目でも猫なら飼ってもいいんだがな、とブレダはこっそりと思った。

 
 
 
 
 

■2005/2/22

grin like a Cheshire cat.:チェシャ猫のように笑う。

や、にゃんにゃんにゃんの日だから……(目逸らし)
ロイブレ(ブレロイにあらず)。というかアイロイブレ…? ……ハヤロイ…? ハヤブレ……?(もうなにがなんだか)
とりあえずアイハヤであるのは確実。ところで咄嗟には誰と誰のカップリングなんだか解りませんこの略し方(マイナー過ぎ)。

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