彼女が買い物をしている。距離のある市場に紛れるその背中を、私は不思議と見失うことがない。
 彼女は私を尊敬していて、愛している。私も彼女を愛しいと考えている。
 それはとてもあたたかで穏やかな感情で、これを愛情と呼ぶのでなければ一体何を愛と呼べばいいのだろうと思うほどスタンダードだ。
 私たちは深く解り合っていて、だからただの一度も愛していると告げ合ったことはない。しかしそれでも不安に陥ったことはない。

 愛している、と言い続けていなくては不安で潰れそうだったのは、あの小さな子供への感情だ。

 今でも彼を思い出すと世界は色を失い、白と灰色のモノクロームへと姿を変える。
 不完全で美しかった無垢な世界は、冷徹に、完璧に、そのひとの理解を寄せ付けない美しさでもって私を糾弾する。

 あの、無垢に父を慕う何も知らない小さな子供を救えず自分だけが長らえた私を。
 同胞であるはずの心正しき医師たちへ手を下した私を。
 罪もない人々を焼き尽した私を。
 そしてそれらすべての罪へ責任をとる術を、既に失った私を。
(……私は赦されてしまった)
 もう目指すべき高みはない。それは意味を失った。そして私の罪は、重さを増す。

 私を信じ、私を支える過程で命を落とした親友の死を、その心、を、

(……マース)
 けれど彼は私を断罪はすまい。それができるのなら、とうに私は見限られていたはずだ。

 私は目を閉じる。
 瞼の裏に、鋭く輝く金の瞳。

 あの子のあの眼、が、私を走らせた。
 同じ過ちを、私には覗くことしか出来なかった淵の底へ、二度降り立った愚かな術師。
 けれどその暗い輝きが眩しくて、ただひたすら、誘蛾灯に誘われるかの如く。

 あの───断罪を、支配を求める感情は愛だ、と私は信じている。境地にある彼を、まるで崇拝するかのように愛したあの感情は彼女への愛とは似ても似付かないものだが、それでも、

「准将、お待たせしました」

 私ははっと目を開いた。彼女が微笑んでいる。
「ああ、行こうか、中尉」
「はい」
 杖を突き、気遣う彼女の手を借りて私は歩く。世界は眩しく色に溢れているのに、私の魂はモノクロームの静寂の中にいる。

 そこに彼はいるのだろうか。弟と引き替えに、その全てを失った彼は。

(もし…アルフォンスが理論を完成させたとして)

 人体錬成に代価が必要になったとしたら、この身を与えよう。
 そうすれば、彼のいた境地に。

 ───高みに。

 僅かに目眩う。雑踏が、彼女が遠い。

 彼女の言葉に微笑み答えながら、私は遠くはないはずのその日に心を馳せた。


 
 
 
 
 

■2006/3/9

アニメエドロイっていうかアニメロイ。「ナルシストの絶望」ってタイトル付けてたみたいです。

初出:2004.12.27

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