「ローイ!」 しなやかな腕を振り駆け寄って来た娘は、もう昔のように抱き付くようなことはしない。 男は微笑し、娘の頬に掌を添えてその秀麗な額にひとつ口付けた。 「久し振りだね、エリシア。綺麗になって」 「この間会ったときもそれ言ってたわ、ロイ」 ぷ、とむくれた娘は男の首に腕を巻き付け引き寄せて、その頬に滑らかな自らの頬を寄せた。 「おかえりなさい、ロイ!」 男の家では勿論ないのに、いつの頃からかこうして家族のように迎えるようになった娘の変わらぬ言葉にほろ苦く頬を崩し、男は娘の背をそっと抱く。 「ただいま、エリシア」 娘は父親似の緑の瞳を朝露のように光らせて、満面の笑みを浮かべた。 「あたし、好きなひとが出来たの」 紅茶にミルクをたっぷり注いでくるくると掻き回しながら、エリシアは唐突にそう言った。 「アッシュブロンドに青い瞳で背はロイよりも低くてほっそりしてて、パパには全然似てないわ」 「………そうか」 「でも眼鏡を掛けていて」 緑の瞳がきらきらと輝きながら真っ直ぐにロイを見つめる。思わず逸らしてしまいたくなるほど強く汚れのないこの視線は父親のものでも母親のものでもなく、この娘そのものの、少女期特有の視線だ。 「士官学校に通ってる」 「───軍人の卵か」 「そして錬金術を使うの」 ロイはわずかに沈黙し、それから「そうか」、と頷いた。 「国家錬金術師に?」 「ならないわ」 エリシアは微笑んだ。 「あたしがならないで、って頼んだから。頑張って身体を鍛えるって言ってる」 「………何故?」 「あたし、パパのことは結構たくさん憶えてるの」 ぽんぽんと一見一貫性なく飛ぶ話題にロイは黙って耳を傾ける。エリシアはスプーンを置き、そつなくロイの押し遣ったシュガーポットをサンクス、と微笑み受け取った。 さらさらと砂糖がミルクティーへと落ちて行く。 「パパがね、錬金術師は軍人になんかなるものじゃない、って言ってたから」 「ヒューズが」 「苦しむことになるからって」 「……………」 「ロイみたいにきちんと目的を持っているひとじゃなきゃ無理だって。心の強いひとじゃなきゃ挫けてしまうからって」 ひとつ瞬いた年上の友人に、エリシアは悪戯っぽくウインクする。 「彼は心の強いひとだけど」 再びスプーンでくるくると紅茶を掻き混ぜて、エリシアは続けた。 「でも、錬金術を戦争でどう使いたいのかなんて、そんなビジョンは持っていないから。彼の錬金術はひとを生かしたり癒したりするために使われるものだから」 「医療系か?」 「士官学校にいるとシンからの錬金術書が手に入りやすくて助かるって言ってた。資格を取ればもっともっとたくさん読めるのよね」 「ああ」 「でも、ダメ。ロイが大総統になったら、そうしたら彼を国家錬金術師にしてあげて。ロイは錬金術師を戦場に送ったりしないでしょう?」 ひとを生かすべき技を、ひとを殺すために使わせたりはしないでしょう? 男はただ微笑み、ストレートティーへと口を付けた。娘は無言を咎めずにティーカップを両手で包んで甘く仕上げたミルクティーを飲む。 「あたし、彼と結婚するわ」 「気が早いな」 あら、とエリシアはにっと少年のように唇を引いて笑う。 「パパと出会ったときのママだって16歳だったんでしょ? あたしももう16よ」 エリシアは強い視線でロイを見つめる。 「予感がするの。あたしは彼と結婚する」 「………ヒューズが大泣きするな」 「ロイも泣く?」 男はくつくつと喉を鳴らし、娘の一筋ほつれた金髪を掬って耳へと掛けた。 「泣くよ、君の結婚式でね」 そう、ふうん、と呟いて、娘は耳元から去ろうとする男の手を握った。 「………ロイがよせっていうなら、あたしは彼のところには行かないわ」 「エリシア」 「あたしはずっとパパのお嫁さんになるんだって思っていたんだけど」 骨張った、薄い傷跡だらけの手に桜色の唇でキスをして、娘はその指に頬を寄せうっとりと眼を閉じた。 「あたしの初恋はパパで、だから当然パパのお嫁さんになるんだって思ってた。ずっとずっとパパとママとあたしと三人で暮らせるんだって思ってた」 「…………」 「あたしの二番目の恋人は」 ゆっくりと上げられた瞼の下から現れた緑の瞳は情熱に色を濃くする。そう言えばこの娘の父親も恋人を、妻を見つめるときにはこんな瞳の色をしていた、とロイは頭の片隅で考えた。 「あなたよ、ロイ。一番は永遠にパパだけど、二番目は永遠にロイなの。だから、ロイがよせと言うなら、あたしは彼のところには行かない。ロイが結婚してくれるって言うのなら、あたしはロイのお嫁さんになる」 ロイはゆっくりと瞬き、それからゆるりと頬を崩して少女の手から指を抜き取り、そのまま桃色の頬を壊れ物を扱うかのように撫でた。 「………何年振りだろうな、君にプロポーズをされたのは」 「子供の戯言だと思ってたんでしょう、ロイ。あたしはいつも本気でロイのお嫁さんになるって言ってたのに」 「それは失礼をした、レディ。だが」 エリシアの細い指が立てられ、ロイの唇を封じた。 「断りの言葉は聞きたくないの、ロイ。いいわ、あたしは彼と結婚する。あたしの三番目の恋人と。だからね、ロイ」 エリシアは僅かに首を傾げ、母親似のその顔で上目遣いに微笑んだ。 「バージンロードをエスコートするのはあなたよ」 「そんなことをしたらヒューズに祟られるよ」 「そんなことない。パパの代わりはロイしかないもん。……あたし、ママとロイが結婚すればいいって思ったことは一度もないけど、でもロイがパパならいいなって思ったことは何回もあるの」 「ヒューズが泣くよ」 「泣かないわ、あたしのダーリンはパパだもの。あたしが出会った中で、パパが最高の男だもの。ロイは二番目。彼は三番目。……あたしがひとりでパパの写真を胸に抱えてバージンロードを歩いたら、それこそパパに祟られるんじゃない?」 ロイはしばらく宙を見つめてなにやらシミュレートしていたようだったが、やがて亡友のオーバーアクションを思い出したのか顔を伏せくつくつと笑い肩を震わせた。 「確かに、祟られそうだ。俺の娘に寂しい思いをさせる気かと言って。けれど歩いたら歩いたで、やきもちを焼かれそうではあるな」 「嫌なの?」 「まさか。どちらにしても祟られるなら、喜んでエスコートさせてもらうよ」 「結婚式が終わったらママと泣く?」 「いいや、ヒューズとね」 睫を伏せてふと口元を弛め、男はカップの縁を撫でた。きん、と微かに高音が響く。 「酒でも呑みながらね」 「じゃあママはひとりぼっちだわ」 「グレイシアは君が抱き締めるんだろう」 エリシアは大きな眼を更に大きく見開いて、それからくしゃりと破顔した。 「お見通しなの?」 「もちろん」 「ママを連れて行っていい?」 「残して行ったら承知しない」 「ママは残るって言うかもしれないわ。パパを置いては行けないって」 「ヒューズは君とグレイシアの行くところなら、どこへだって付いて行くよ」 「そうかな」 「そうさ。私はよく知っている。毎日毎日気の遠くなるほど幾度も聞かされたからね」 愛してる、の言葉を。 エリシアはどこか幼さを残す満面の笑みを浮かべ、けれどその瞳の中には確かに女を匂わす艶やかな色香を乗せて、身を乗り出しテーブルに両手を突いてロイの頬にキスをした。 「パパはあなたのことも愛していたのよ、ロイ」 ロイは瞳を細めて唇に薄く笑みを掃いた。 「ああ、知ってるよ。あいつは君もグレイシアも私も、私の部下たちも自分の部下たちもみんな愛してた」 「世界中を愛してた」 「そして君はあいつの世界の中心だった」 「あなたはパパの全てだったってママが言ってた」 「光栄だ」 ロイの手が持ち上がり、娘の金髪を撫でようとしてふと止まる。その手を掴んで自らの頭に乗せ、エリシアは小さく肩を竦めた。 「今だけよ。あたしももうお年頃なんだから、無闇に頭撫でちゃダメ」 「……そうだな」 ゆっくりと小さな頭を撫でて、ロイは細めた双眸でエリシアを見つめた。 「君が綺麗になって行くのを見るのはとても嬉しいが……」 「寂しい?」 「ああ、寂しいな」 「あたしはずっとパパの天使でロイの可愛いエリシアよ」 ずっとずっと、おばさんになっても、おばあちゃんになっても。 エリシアはゆっくりと離れて行くロイの手を目で追い、けれど今度はそれを取ることはせずに大人びた顔で男を真摯に見つめた。 「ねえ、おにいちゃん」 まるで小さな頃のようにそう呼んで、娘は囁く。 「あたしを愛していて」 「……………」 「ずっと愛していて。いつまでも小さなエリシアと呼んで。忘れないで。食事の前のお祈りのときにはあたしとパパとママのことも思い出して。お願いだから」 「エリシア、愛しているよ」 男はテーブルに手を突いたままの娘の頭を引き寄せて額を付けた。娘の伏せた金の睫の間から、はらりと造り物のような涙が落ちる。 「忘れないよ」 「おいて行かないで」 「もちろんだ」 「死なないで」 「君の花嫁姿も見ていないのに死ねるものか」 「パパもそう言ったわ」 「きっとヒューズはあの世の門の前で仁王立ちだ。私が行っても追い返されるに決まってる」 ふ、と笑みを洩らすと同時にもう一度閉じた瞼の間から涙が落ちて、現れた娘の緑の眼は薄く濡れたままだ。 「………行ってらっしゃい、ロイ」 「行ってくるよ、エリシア。すぐに帰る」 「危ないことはしないでね」 ロイは苦笑を浮かべ、それには答えず娘の頬を両手で包んで桜色の唇へと恭しくキスをした。 開いた緑の瞳から、透明な涙が溢れ頬を伝い落ちた。 |
リクエスト内容
「10数年後のエリシア&ロイ(偽親子+α)」依頼者様
あろさま
■2004/11/12 マスタングさんは戦争に行くようです。(解説)←おい…
大人になった(っても16歳ですが)エリシアちゃんって愛溢れる娘しか想像できませんでした。もっとおきゃん(死語)なカンジにしたかったかもしれない。とか思いつつ。
タイトルが無闇に長いのは突っ込まない方向で…!(脱兎)
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