「正装しろと言っただろうが……」 額を抱えて溜息を吐いた礼装用の軍服を纏ったロイに、エドワードはいつもの黒の上下に赤いコートのまま唇を尖らせた。 「フォーマルなんか持って旅してるわけねーだろ」 「買え。一揃い買え。今すぐ買い揃えろ」 「他に使わないのに勿体ないじゃん」 「銀時計持ちが妙なところで節約するな!」 「大佐、そろそろお時間が」 ああもう、と吐き捨てて撫で付けた髪の上から軍帽を被り、ロイは発火布ではない白い手袋に包まれた指をエドワードへ突き付けた。 「いいな、叙勲式が済むまでに準備しておけよ! 猶予は3時間だ!」 「えー」 「やる気のない声を出すな、仕事だ仕事! 中尉、すまないが見繕ってやってくれ。私の名で領収書を切って構わないから」 「お供は」 「クソジジィの叙勲式など少尉で構わん。それよりも君も準備したまえ。本日の主役は女性の軍装を嫌うから」 「解りました」 「頼む」 言って軽く手を上げ腰に佩いたサーベルを鳴らし、大股で司令部を出て行くロイに「いってらっしゃーい」と巫山戯た声を掛けると肩越しにじろりと睨まれた。 「あー、怖い怖い」 くっく、と笑い、エドワードはリザを見上げる。 「大佐が買ってくれんの?」 「そのようね」 「中尉もドレスアップしたりするんだ?」 リザはふう、と溜息を吐いてそうね、と気の乗らない様子で頷きエドワードを急かして歩き出す。 「大佐に奥様でもいらっしゃれば別だけど、パーティに出席するには女性をエスコートしていないと見栄えが悪いし、エスコートされる相手が軍装では格好が付かないから」 高級娼婦を連れて様になるほどの年齢でもないし、とまた溜息を吐いたリザに、ふうん、と呟き頭の後ろで手を組んで、エドワードはあまり興味もなさそうな口調で尋ねる。 「………大佐って結婚しないの?」 「プライベートでそのような相手はいらっしゃらないようだけど、お見合いの話は最近またちらほら出ては来たわね。大佐になられたばかりの頃ほどではないけれど」 「……見合いねえ」 「まだ二十代だからそれほどうるさくはないけれど、将軍職にでも就いたらもう上の方々が放っておいてはくださらないでしょうね」 「どういうこと?」 リザは瞳を細めて微笑んだ。小さな弟を甘やかすような、宥めるようなその微笑にエドワードは僅かに居心地の悪さを感じる。なんだか何もかも見透かされているような気になる。 「結婚も仕事のうち、ということね」 「……胸の勲章と引き替えってことか」 「今は断り続けておられるようだから、じきに静かにはなると思うわ」 ふうん、とつまらなそうに呟いたエドワードに僅かに苦笑して、リザは少年の肩を押した。 「さあ、急ぎましょう。仕立てている暇はないのだから、既製品でサイズとデザインの合うものを探すには3時間は短いわ」 「適当でいいよ、適当で」 「駄目よ、将軍家の催しなのだから。今日はもう仕事だと割り切ってそれなりに振る舞ってね、鋼の錬金術師殿」 はあ、と肩を落とし、エドワードは了解、と頷いた。 「おお、馬子にも衣装」 「他に言うことはないのか」 仕立屋の店員に散々着せ替え人形にされ、フォーマルな黒でいい、と主張したにも関わらずまるで小さな子供のようにバーガンディと灰と黒の三揃えに編み上げのブーツを合わせられ、長い前髪を撫で付けた金髪はいつもの三つ編みではなく深い緑のリボンでひとつにくくり肩に垂らされたエドワードは、服装だけならさしずめ上流階級の末息子といった風情だ。ひどく不機嫌にむくれる少年に笑い、ロイは手にしたコートをハボックへと渡した。 「ほら、笑えとは言わんから精々真面目な顔をしていろ。黙っていればそれなりに見えないこともない」 「それで褒めているつもりか」 「無論だ。貴族の子供のようだな。なんというか、……可愛らしいぞ」 「………笑うなよそこで」 くっくっと喉を鳴らし口元を手袋に包まれた手で覆って俯くロイの足を蹴り、エドワードは屋敷を見上げた。 「にしても、で……ッけー屋敷」 「大将ともなればこんなものだ」 「なーんでこんな家のパーティにオレまで連れて来いなんて言われたんだよ」 「君が悪いんだ」 「はぁ?」 ロイは溜息を吐いて肩を竦めた。 「お披露目しろとは前々から言われてはいたんだが、連絡が付かないからと断り続けていたというのにわざわざ叙勲式前日にセントラルにいて、その上将軍に姿を見られただろう。将軍直々に、叙勲式の後のパーティには鋼の錬金術師君も連れておいでと連絡をして来た。その上君もうっかりヒューズなんかに捕まっているものだから私と連絡が取れてしまったし。断る口実がことごとく失せた」 「………いや、連絡が付かないうちに出立したとかなんとか言えば」 「君さえ我慢すれば吐かなくていい嘘を吐くのは面倒だ」 「役立たず……」 「心外だ」 言いながら、ロイは控えていたリザへと片手を差し出す。 「では行こうか、中尉」 「はい」 肩の出た細身のドレスに身を包んだリザは、金髪をアップに整え派手ではないものの華やかな化粧を施していて、いつもよりも細身に映る礼装用の軍服を着て髪を撫で付けたロイと並ぶとなかなか見栄えのいいカップルだ。たしかにこれじゃそこらの店の女の子を連れて来る必要はないよな、と頷いて、エドワードは階段を上る二人の後に続く。 「な、少尉は?」 「運転手は別館で待機」 「え、可哀想じゃん」 「何を言う。あっちも食べ物は用意されているし、気楽な分こっちよりはマシだ」 「えー、オレもそっち行きたい」 「……君はなんのためにそんな格好をさせられているのか解っていないのか」 振り向きもせずに小声で言うロイにだってさー、とこちらも小声でエドワードは返す。 「オレ、何すりゃいいの」 「将軍に挨拶をして、寄って来るお偉方にも挨拶が終わったらご婦人方の玩具になってちょっと酒でも呑んで適当なところで疲れて眠くなれ。そうしたら我々も帰れる」 「………おい。まさかアンタそのためだけに連れて来たってんじゃ」 ロイはちらりと視線を落として唇を引いて笑った。 「年寄りは話が長くてね。君は切り上げるのに絶好の口実だ」 「すげェむかつく今すぐ帰る」 「もう遅い」 敬礼をした将軍家の私兵に軽く頷くだけの挨拶をし、ロイはほとんど唇を動かさずに言った。 「精々大人しく上品に振る舞ってくれたまえ」 「………ほんッとむかつく」 「疲れた?」 ようやくかしましい貴婦人たちから解放され、壁に寄り掛かりふー、と溜息を吐いたエドワードにグラスが差し出された。見上げると微笑んだリザが立っている。エドワードは「まあね」と頷いてスパークリングワインの満たされた冷えたグラスを受け取った。 「あの女の人たちってみんな偉いひとの奥さんなんだろ。なんであんなに興味津々なの。銀時計見せろとか何か錬成して見せろとかうるさくてさあ」 「家柄のいい方たちだから、娘のように無邪気なところがあるのよ。美人に囲まれて楽しかったでしょう」 「冗談だろ。中尉のほうが綺麗だよ」 「あら、大佐の悪い癖が移ったのかしら」 「……って、アルなら言うかなーって」 リザは軽く目を瞬かせ、それから小さく笑った。 「アルフォンス君も立派にプレイボーイね」 「あれで結構女好きだからね。自覚はないみたいだけど」 「今日は、彼は?」 「まさか連れては来れないからさ。中佐の家だよ。エリシアに気に入られてさ」 そう、と頷き、リザはエドワードに倣うように壁へと背を預けた。 「大佐、ほっといていいの?」 「将軍に捕まってらっしゃるから、私は邪魔よ」 「なんでさ。エスコートしてもらってんだろ」 「形だけはそうでも、私は大佐の護衛としてここにいるの。そして将軍から見ればただの下士官。話の邪魔は出来ないわ」 「……ふうん」 大変だな、と呟いて、エドワードはぼんやりと広間を眺めた。胸にじゃらじゃらと重そうな勲章を下げた大柄な老人とロイが話をしている。貼り付いた微笑はわざとらしさや嫌味は微塵も交えていないが、その分だけ生気を欠いて人形のようだ、とエドワードは思った。 真っ直ぐに伸びた背筋が細い。 否、決して華奢なわけではないのだが、いつもの軍服とは違い細身が強調されている気がする。周囲には同じ軍服の男はたくさんいたが、屈強な者の多いその中ではやはりロイは細く見えた。それでも頼りない感がないのは姿勢のせいか、それともその自信に満ちた立ち振る舞いのせいか。 被っていた軍帽のせいか僅かに乱れた髪が額へと幾筋か落ち、頷くたびに揺れる。髪の掛からない剥き出しの耳の、その付け根の骨がシャンデリアのきらきらしい明かりを受けて首筋に小さく影を落とし、略式の軍服よりも生地の柔らかな礼装の、襟から覗くうなじへと伸びている。 骨張った肩の線。 なだらかに伸びる腕、骨の形を布地に隠す肘、グラスを持つ手袋に包まれた指。 袖口と手袋の間に僅かに覗く手首が妙に生白く映り、エドワードは慌てて目を落とした。視線の先の半ば上衣に隠れるすんなりと伸びた足は歪みを知らず真っ直ぐで、ああこの男は本当に立ち姿が綺麗だ、とエドワードは思う。 がしゃり、と、届くはずのないサーベルの擦れた音が、耳に届いた気がした。 (あんなもん下げてたって、使えない癖に) だから形式用なのだろう、と思いつつ、エドワードは鋭い視線で周囲に神経を張り巡らせていたリザを見上げ、少し笑った。 「中尉、顔怖い」 「え?」 「せっかく綺麗にしてんだから、笑ってないと」 瞬き、リザは瞳を弛ませる。 「そうね、気付かなかったわ」 「大佐さ、今日は発火布持ってないの?」 「持っているはずだけど、すぐには出せないわ。手袋を外して嵌め直さなくてはならないから」 「そっか。……でもまあ、警備も多いしオレもいるし、そんなぴりぴりしなくていいよ。大体ここじゃ大佐より狙われそうな偉いヤツはいっぱいいるじゃん」 「そういう方たちを守るのも私の仕事よ」 エドワードは肩を竦めた。 「軍人は大変だな」 言って、エドワードはひとつ欠伸をして見せた。心得たようにリザが至極真面目に気遣うように身を屈める。 「疲れた?」 「うん、ちょい眠いかな」 覗き込むリザに目だけでにやりと笑ってみせると、「では大佐を」と言って顔を上げた女性士官は動きを止めた。視線を追うとロイがこちらを示して将軍と何事か笑い合い、敬礼をして踵を返すところだった。 「いいタイミングだ、鋼の」 擦れ違うウェイターのトレイにグラスを返し、小声で囁いてロイはにやりと唇を歪める。 「危うく将軍の孫娘を貰わねばならんところだった」 「……節操なしに口説かれてんじゃねーよ、無能」 「なに、美貌が過ぎるものでね」 「バカじゃねーの」 小声で罵りエドワードは壁から背を離し、連れ立って歩き始めた軍人二人を追った。 「いいのか、ヒューズ家に行かなくて」 ホテルの扉を閉めて言ったロイに、エドワードは肩を竦める。 「こんな夜中に戻ったんじゃ、エリシアとグレイシアさんは寝てるだろうし迷惑だろ。9時過ぎるようなら大佐にホテル取らせるからってアルと中佐には言って来たし」 「何が何でもたかるつもりだな、貴様」 「ッたりめーだろ! アンタの仕事に付き合ってやったんだぞ」 溜息を吐いて剣帯を外し、ソファへとサーベルを放ったロイにエドワードは眉を顰める。 「おいおい、軍刀だろーが。いいのかそんな乱暴にして」 「どうせ飾り物だ」 「刃ァ付いてねーの?」 「そんなわけがあるか。よく斬れるぞ。試してみようか、君で」 「やめてください」 「試し斬りには生き胴が一番だぞー」 「いやっ、信じらんない野蛮人っ」 「………そういう物言いをどこで覚えて来るんだ。気持ち悪いな」 「気持ち悪いとか言うな」 喉を鳴らして笑い、ベッドへ腰掛けてああ疲れた、と嘆息し撫で付けていた髪を崩そうとしたロイをエドワードは慌てて止める。ロイが訝しげに見た。 「なんだ?」 「オレにやらせて」 「は?」 手袋を剥いでほいぽいと床へと放り靴紐の解け掛けたブーツは履いたまま、軍服に包まれた膝を跨ぎベッドへと片膝を突いたエドワードを、ロイは心底嫌そうに見上げた。 「本…ッ気で、疲れているんだが。隣のベッドで大人しく寝てくれないか、鋼の」 「いーじゃん、いつもと違うシチュエーションてのも」 「ベッドが違うだけだろう」 「んじゃなくて、アンタがさ」 肩に手を置き、エドワードは整髪料の匂う髪へと唇を寄せた。 「髪型違うし、髪の匂いも香水も違うし、礼装だし、人形みたいだし」 「何だ、人形というのは」 「んー、なんかさっきさ、そう思って」 「全然解らん」 「いーよ、解んなくて」 掌で肩の線を辿り、やはり普段の軍服よりも生地が薄いな、と考えながら肩胛骨を辿り、真っ直ぐに伸びていた背を辿る。 そうしながら柔らかく瞼に唇を落とし、そのまま一筋の前髪ごとこめかみに吸い付いて、耳を辿り付け根の顎の骨を舌の先で微かに舐める。首筋から微かに甘い酒の匂いが漂う。 エドワードは身を離し、床へと膝を突きまだ手袋を嵌めたままのロイの手を取り、僅かに袖を上げて覗く手首へと唇を寄せた。そのまま指先から手袋をゆっくりと抜き、間接照明の暗い光に白い露わになっていく手を唇で辿る。 関節に軽く吸い付くと、逃げるように手が引かれた。それを逃さず手袋を抜き、指先まで口付けて見上げるとロイは驚いたような顔で見下ろしている。 「………なに吃驚してんの」 「いや……なんと言うか、酒のせいかな」 まだ手袋を嵌めたままの左手で口元を覆い、ロイは感慨深げに呟いた。 「……不覚だ」 「なにが」 「君を見て欲情したのは初めてだ」 ぽかん、とロイを見返し、エドワードは唐突に立ち上がって先ほどと同じようにベッドへと片膝を乗せ、額を突き合わせた。 「………マジで?」 「その台詞は何に対してのものだ?」 「ほんとに欲情してんの? 全ッ然そんな風に見えないんだけど」 ロイは切れ長の眼を細め、にやりと笑う。いつもは前髪で隠れている額が面の白さを増すようで、エドワードは心臓が跳ね上がる音を聞いた。ひとつ打つごとに、鼓動が早くなっていく。 ロイは胸元のリボンだけが弛む、正装の少年の背を抱くように右手を回す。手袋の左手が金髪の後頭部を包んで引き寄せ、ゆっくりと丁寧に、唇を食むようなキスをした。 「………本当だ」 笑みを混ぜ、囁く息が熱い。 エドワードは息を詰めてその夜を満たす目を見つめ、そろそろと上げた鋼の手で耳の付け根から首筋を辿る。ふっと、黒い双眸が瞼に隠れ、俯いた額が肩へと寄せられた。 首筋を撫で上げた鋼の指は鎖骨を過ぎ、胸を辿り、下げられた重い勲章をかちゃ、と鳴らす。その音にふっと瞬き、エドワードは俯く黒髪へと頬を寄せた。湿ったように見える撫で付けた髪が、さらさらと膚を撫で、崩れていく。 エドワードは眼を閉じて細く長く息を吐いた。 「……あのさー。先に謝っておいていい?」 「………なにがだ」 「オレ、今日、ちょっとしつこいかも」 背を抱き寄せると、やはりいつもの軍服よりもずっと確かに身体の線が胸に触れた。 「なんか、寝かすのもったいない」 「………お断りだ、と言いたいところだが」 囁く語尾が僅かに掠れたのを聞き、エドワードはどくどくと鳴るこめかみを宥めて眼を細めた。 「言ったところで君は止さないんだろう?」 「まあね。あんたが期待してくれんのなんて珍しいし」 くく、と微かに喉が鳴る。 「やっぱり酒のせいだ。君ごときに見抜かれるとは」 「ザルのくせにあの程度で何言ってんだか。……でも、まあ」 エドワードは両手で白い頬を包み上向けて額を付け、眼を覗いた。 「……大人の矜持を尊重して、そういうことにしといてやってもいい」 背に回された手が動き、左手の手袋を外して骨張った両の指が金髪を乱すように差し込まれた。さらさらと乱れた金髪から緑のリボンが落ちる。 黒い眼が細められ、睫が光を遮り瞳はただ一面に黒く、フラットだ。 「………君こそ、人形のようだな」 ああやっぱり人形のようじゃないか、と考えたエドワードの思考を読んだわけではないだろうに、そう呟いたロイはくしゃりと金髪を握った。 「目玉がガラス玉のようだ」 深い部分に至高の石を蓄えた、太陽の色の双眸が。 エドワードは薄く笑う。 「人形はこんなに熱くねェよ」 何か言い掛けた唇を塞ぎ、それでも啄むキスだけを繰り返して、ゆっくりと肩を押すとほとんど音もなく押し倒される様子がいつもよりもずっと素直で、エドワードはまた少し笑った。 この人形に、息を吹き込むのはオレだ。 酷く愉しくなって、エドワードはまた笑った。 |
リクエスト内容
「ロイエドロイで直接表現なしのエロ」依頼者様
かなりあさま
■2004/8/1 vita sexualis …イタ セクスアリス(ラテン)…生活の性的部分の意
森鴎外の著書にまんま「ヰタ・セクスアリス」ってあるんですけど全然関係ないです。あまつさえ未読。あははは! オマージュでもなんでもない上に最悪の引用!(解っててやってるんだから質が悪い)
そして長くなってしまった…その上全然やらしくない気が。かなりあさんとメールをやりとりいたしまして「エドロイでもいい」とのお言葉をいただいたのでエドロイにしましたが結局お題を外すことに違いはないようです。ごごご、ごめんなさ…!(脱兎)
■JUNKTOP