まるで憎まれているようだ、と思う。
 苛立ちも露わに組み敷いてくる手は慶次からすればまだ成長途中の細さだ。華奢ではないが、完成された男の筋肉と呼ぶにはしなやかに過ぎ、しかし少年と呼ぶには逞し過ぎる。
 過渡期を僅かに過ぎた、若い雄の手で、けれどその目は情欲とはほど遠い色を乗せている。
 からかいが過ぎたかな、と慶次は遠慮もなく腹に乗られれば意外と重い躯にはあ、と息を吐いた。
 
 
 
 午に手合わせを願われて、いつか喧嘩をしたときよりも幾分か鋭くなった槍捌きをあしらい日が暮れて、結局付かなかった勝負に引き分けだな、と笑えば青痣だらけの顔に睨まれた。
 今にも呻りを上げそうなくっきりと浮き出た喉仏をぜいぜいと上下させて、幸村は槍を一振りし、纏う炎を打ち消した。しかし燻る熱が陽炎を立ち上らせて、そのまま庭へと戻れば待ち構えていた忍びに手桶の水を浴びせられ、しかしいつもの事なのか主である筈の青年は特に文句もなく、ただ無言でさっさと屋敷へと戻ってしまった。
 誘われず放置され、これは飯には有り付けぬものかと思っていれば忍びに呼ばれ、無言の青年と共にあまり楽しくもない膳を囲んで、せめて酒くらいは楽しく呑みたいと、そうして月を愛でていたのはつい半刻前だと言うのに、この始末だ。
 組み付いて来た手は熱かった。
 難しい顔をして、ぐいぐいと引いたり押したりと忙しない青年になんだ相撲でも取りたいのかと笑ってごろりと転がしてやれば、跳ね起きたその眦が屈辱に吊り上がりそのままの勢いでまで猫のように飛び付かれた。
 呆気に取られている間に転がされ、首でも絞められるものかとその憎んでも憎み足りないとでも言う目に驚いていれば、幸村は馬乗りになったまま、ぴたりと動きを止めた。
「………真田?」
 どうしたんだ、と尋ねると、幸村はくうと結んだ唇を引き下げた。
「何故だ」
「え?」
「何故勝てぬ」
 慶次はゆっくりと瞬いた。幸村はうるる、と獣の様に低く微かに喉を鳴らして深く息を吐き、肩の力を抜いた。それから再び、新たな熱と力をその二の腕に籠める。
 掴まれた襟が喉を締め上げ、苦しい。
「真田、苦しいって」
「そのように、簡単に弱音を吐く口を持っていて、何故それ程」
「何故って、そりゃ」
 慶次は眉を顰めたまま、軽く両手を晒して見せた。
「虎や狼は、って奴さ……天分ってもんは、仕様のないもんだろ?」
「某とて虎だ!!」
「だから、」
 熱い手首をやんわりと掴み、慶次は苦しい息を吐いた。
「あんたは強いよ」
 何が逆鱗に触れたものか、幸村は眦を吊り上げた。
「口先だけで物を申すな!!」
「ほんとだって、だから今日だって、勝負が付かなかった………」
「馬鹿にするな!! あれ程あからさまに手加減されて、気付かぬ程愚かではないわ!!」
「………声、でかいよ。手加減なんか、してねえって」
 折角楽しく喧嘩をしたのに、と苦しい息の下で殊更軽く付け加えると、ぐうと襟が持ち上がり後頭部が浮いた。
 かと思えばがん、と酷く打ち付けられて、目の前に散った星に慶次は呻く。
「ッてえ……!」
「貴様は空言ばかりだ……」
 くらくらと揺れる額を抱えながら、どことなく遠い声に慶次は細めた目を向けた。見開いた目はまるで獣の様に真っ黒で、爛と熱に燃えている。
 食うてやろう殺してやろうとでも言う目をして、けれど飽く迄武の腕で打ち負かしたいと思う芯からの戦人は、今此の熱を散らす方法を知らずにいるのだろう。
 襟を掴む手が、怒りに震えている。
 狂犬のようだなとぼんやりと考えて、けれど今宵これから互いの槍を持ち出し殺し合いなど無粋に過ぎる。こんないい月の下、血腥い事は真っ平御免だ。
 慶次はゆっくりと息をして、もう一度幸村の手を掴んだ。ざらりと撫でる。
「なあ、真田。俺を負かしたいんだろ」
「…………」
 幸村は怪訝な顔をした。くうと眉を寄せた顔は、黙っていれば女が放っておかないだろうと思わせるほど、整っている。
「負かさせてやっても良いぜ」
「手加減など御免だと、」
「そういうんじゃなくって、」
 俺はどうでもいい事だけど、と慶次は伸ばした手でわしわしと青年の髪を撫でた。
「あんたら武士なら、こういうのも有りだろう」
 未だ怪訝な顔をしてる幸村に苦笑して、慶次はその固く括った髪をざらりと解いた。
 
 
 
 ぜい、と胸を鳴らし、何が不満なのか口をへの字に曲げたままぎりぎりと奥歯を鳴らす幸村を見上げて、慶次は額に被さる髪を掻き上げ腕を放った。どたり、と板間が鳴る。ごりごりと押し付けられる背が痛い。
 せめて布団を敷けばよかった、と考えながら、慶次はずる、と抜けていく熱にううと呻いた。
「い、てえ………」
「詮無きことを幾度も申すな」
「仕方ないだろ、痛いもんは、………っう、」
 ぐ、と乱暴に押し入る熱は、気遣う動きではなかったが我を忘れたものでもない。
 薄いようにも見えねえけど、これで意外と女じゃなきゃ立たない方なのかね、と口に出せばまた怒らせそうな事を考えて、慶次は腑を押し上げられるままに目を閉じ、口を開いて息を吐いた。自然と仰け反った顎に、ふ、と気配が近付いたと思えば歯が立てられる。
「ッて、」
 ごり、と顎を噛まれて薄目を開けると、伏せた瞼が近くにあった。じっと見れば視線に気付いたか、ぎょろりと大きな目が睨め付ける。
「………腹が立つ」
「そうかい」
「お主に良いように血を抜かれた」
 苛々と呟いて、幸村はふ、と強く息を吐き、ぶるりと背を震わせた。ざわと垂らした鬣のような髪が蠢き、じわりと腹の裡が濡れる感触がする。
 同時に緩く立ち上がっていただけの前を掴まれて、慶次は眉を顰めた。
「おい、良いよ、そんなの」
「勝たせて下さるのだろう」
 ならば気前よく負けて下されとつまらなそうに言って、幸村はぐいぐいと乱暴な愛撫を始めた。
「ッて、いてえって、」
「文句ばかりを言う」
「だから、乱暴なんだよ! もっと優しく、」
「こうか」
 ふいにゆると力の抜けた手に、慶次は息を詰めた。先程までとは打って変わってゆるゆると、じれったいほど優しく触れる手がぬるりと滑る。何かで濡らしたということもない。己の体液だ。
「ち、ちょっと待てって、」
「何だ。未だ文句があるのか」
 みるみる屹立する熱に、慶次は狼狽えた。決して巧い訳ではない無骨な手に触れられて、あからさまに変化していく躯に気持ちがついていき損ねている。
 くく、と滑りを使い掌が粘膜を擦り、先端を胼胝だらけの指が撫でた。
「ッあ!」
 反射的に力が籠もり、未だ体内に居座る雄を締め上げて慶次は慌てて口を閉じた。いつの間にか吹き出ていた汗が流れ、どく、どくと鼓動が強く打っている。
「ちょ……さなだ、」
 繋がる熱の存在に感覚を刺激されているのだと漸くに気付き、慶次は慌てて幸村の肩を押し遣った。
「抜けって、もう………ッ、ん、……く」
「もう暫し堪えよ」
「何だ、それ………」
 幸村は不思議そうに首を傾げた。いつの間にか険の抜けた目が、瞬き少なく慶次を見詰める。
「悦いのであろう」
「な、────あ!」
 滑りの良くなった手が、濡れた音を立てて幾度も雄を擦り立てる。その単純な動きに感じて締め上げるたびに、僅かに芯の戻った熱がしかとは判らない場所を押し上げて、それがまた熱を上げて行く。
「ばか、だめだって、ゆきむ……ら、」
 泣きを聞き入れた訳でもあるまいに、ぐ、と身を屈めた幸村の唇が耳許に触れた。べろり、と色気のない仕種が耳朶を舐め上げる。
 低い声が冷徹に囁いた。
「甘えるな」
 似合わぬ、と続け、幸村はふいに強く今にも弾けそうに濡れる雄を擦り上げた。
 慶次は喉奥に悲鳴を溜めて、微かに喘ぎ幸村の肩を強く掴んだ。
 
 
 
 青年は此方に背を向けて、手酌で酒を呑んでいる。月を向いてはいてもその目が鮮やかな満月を愛でているかは判らず、ただ戦装束でいる時よりも広く映るぴんと伸ばされた背が、未だどことなく怒っているようにも思える。
 慶次は眠い目を瞬き、それからくわ、と欠伸をした。その気配に気付いたか、幸村はちらと半顔を向けた。
 静かな顔をしている。
「また負けた」
「………うん?」
 否、と嘆息し、幸村は再び慶次に背を向けた。
「眠いのだろう。此方は気にせず、好きにして下され」
「……布団敷くの面倒臭えな」
「ならばそこで転がっているが良かろう」
 風邪を召されても知りませぬぞ、と冷たいことを言い、それから幸村はく、と小さく笑った。
 その声に多少は機嫌が直ったらしいと口元を弛め、慶次は掛けられた羽織を引き上げ、目を閉じた。

 
 
 
 
 
 
 
20090129
初出:20090119