真夜中の電話にはろくなことがない。
親の世代が言いそうな言葉だが、社会人となって数年、深夜に友人からの遊びの誘いが来ることもなくなり暫しすると、それが概ね間違っていないことに気付く。
ただし幸村は、人生経験など持ち出さなくともそもそも深夜の電話はあまり好きではない。祖父母の訃報が届いたのも深夜で、母親の訃報が届いたのも深夜だった。
ただ、その日の電話は幾分か違った。
『こんな時間に悪いな』
「先輩」
見られているわけでもないのに咄嗟に短髪を撫でつけ、幸村は意味もなくベッドから立ち上がり灯りを付けながら居間へと向かった。
「どうしたんです」
『すまんが、うちに来れないか』
「今からですか」
うん、と答えた声が途方に暮れている。
半分外国人の血が混じるとは言え、礼儀は必要以上に重んじる相手だ。不思議と幸村を可愛がってくれた、大学からの先輩だ。会社は違うが、今でも頻繁に飲みにも行くし、家族ぐるみで出掛けもする。
と言っても、幸村は独り身なのだが。
「何かありましたか」
『いや……うん、佐助が』
「佐助?」
うん、と弱り切った答えた声の向こうから、微かに子供の泣き声がする。
『説明しにくいんだが、どうもお前を呼んでいるようでな』
幸村はひとつ瞬いた。
「すぐ行きます」
『悪い』
ほっとあからさまに弛んだ低い声に、では、と答えて、幸村は通話を切った。
こんなの怖くないはずだ、と佐助はぶるぶると震える身体を硬く縮めて大きくしゃくり上げた。
自分は強くて賢くて優秀な忍びで、怖いことなんかひとつもなかったはずなのだ。真っ暗な夜もしんと静まり返った廃墟も血腥い戦場も。
なのに涙が止まらない。うわああ、ぎゃああ、と喚く断末魔が怖くてそんなものなどないように駆ける自分の両手で耳を塞ぎたいのに、夢の中の佐助は平気で悲鳴を聞き流し、また新たに誰かを殺す。どっと飛び散る血を浴びながら、その切れ味に笑ったりもする。
「だんなあ」
震える声で呼んで、佐助はひいいっく、と腹を震わせた。変な声しか出ない。怖い。助けて欲しかった。どんどん先へ行ってしまった赤い上着の背中が振り返ってくれればいいのにと思った。
「だんなあ!」
さなだのだんな、と縺れる舌で呼んで、布団ごと抱えてくれるお母さんにしがみついているのに、ちっとも安心できない。がちがちと歯の根が鳴った。
「だんなあ……」
怖いよう、と両手でぐしゃぐしゃと目を擦ると、お母さんがだめよと言って手を握ってくれた。佐助はぐずぐずとむずがって、また大声を上げて泣いた。怖い。
ふ、と、扉が開いた。
部屋の灯りは点いていたのに、そのひとは真っ黒に見えた。背中にお日様をしょっているみたいだった。
お母さんが何かを言った。腕が緩まる。佐助は両腕を伸ばしてベッドの上からおおきな人影へと飛び付いた。
過たず受け止めたその人は、ぎゅうと抱き締めて背中を撫でてくれた。
「佐助」
耳許で囁いた低い声に、佐助はきゅう、と息を止め、それから深々と溜息を吐いた。ひっく、と涙の名残が喉を突く。
主は小さく笑って、良い子だ、と佐助の頭をすこし乱暴に撫でた。
「あーあー、肩んとこ」
よだれ、と指差され、幸村はちらと濡れたTシャツを見た。
「すぐ乾きます」
「クリーニングして返すよ。なんか着替え」
「構いませんよ、先輩。お気を遣わず」
そうか、と首を傾げる様は佐助と少し似ている。顔立ちはどちらかというと母親のものだが、仕種はこの父親が近い。
だから始め、幸村は佐助が二人に分かたれて生まれたものかと訝しんでいたのだ。それほど、二人の顔立ちや仕種は、かつての佐助に似通っている。
「佐助は、ああなったのは初めてですか」
「うん? んー……まあ、」
前からな、ときどき、と頬を掻き、父親は眉尻を下げた。
「もともと夜泣きが酷い子だからな。しかし今日は起こしても全然泣き止まないし、俺達が解らんわけじゃないみたいだが、どうにも治まらなかったもんでな」
悪かったな、と頭を下げる父親にかぶりを振って、幸村は少しばかり思案した。
「先輩」
「ん?」
「明日は土曜でしょう。土日、佐助をおれに預けてみませんか」
「何?」
ぱちくり、と瞬く父親に、幸村は笑ってみせた。
「それで治まるかどうかは解りませんが、まあ、物は試しに」
「治まるって」
「夜泣きが」
父親はじっと幸村を見つめた。その色の薄い瞳から目を逸らさず見つめ返すと、暫しの沈黙のあと、微かに溜息が吐かれた。
「……なんだかなあ、俺達よりお前のほうが、親のようだ」
「そんなことはないでしょう」
「まあ、初対面から真田の旦那、なんて妙な呼び方してたし、なんか通じるもんがあるんだろうな」
がりがりと頭を掻いて、父親はよ、と立ち上がった。
「泊まってけよ。連れてくのは、明日でいいんだろ」
「はい」
「覚悟しろよー。三歳児の世話ってな、意外と疲れるもんだぜ」
へへ、と笑う顔に目を細め、覚悟します、と頷いて、幸村は促されるまま立ち上がり、客間へと向かった。
20090624
企
虫
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