幸村は亀を飼っている。しかし室内に水槽を置いているわけではない。大して広くはないベランダの隅に置いた浅い金盥に細竹の簀の子で蓋をしただけの住処だ。冬は水を張って放っておくと、勝手に冬眠している。
 無造作な飼い方だとペットショップの店員などには呆れられるが、これで5年過ごしているから、無造作な飼い主に合った丈夫な亀なのだろう。
 とは言え、餌もやらぬというわけにはいかない。ちょっとした旅行や出張程度ならば餌をやらなくても死にはしないが、普段は毎日面倒は見ている。ペットなど飼えそうにもない、と言われる幸村だ。確かに犬猫や齧歯類のような繊細な動物は飼える気はしないが、亀や蛇なら手隙のときに構えばいいのだから面倒はない。
 その、手の空いた暇に、ドライタイプのタートルフードを摘んで亀の口元に落としながら、幸村はベランダを開けたまま盥の前に座り込んだ。面倒はないペットだが、鈍いのか餌をやっても気付かないことが多々ある。放っておくと餌がふやけて水が臭うから、こうして少しずつ、目の前に落としてやらねばならない。
 出掛ける折などは適当に盛っておいてあとで水を換えるがそうでないときにはこうして手ずから餌をやる。鳴きもしなければ懐きもしないが、のろのろと餌を食べている様は割合和むと幸村は思う。
 ぱら、と餌を落とし、もそもそと食べている歯のない口を見ていると、ふいに半開きだったベランダががらりと開けられた。同時にぺたり、と寝起きの子供の熱い体温が、背中にのし掛かる。
「起きたのか?」
「んー………」
 もぞもぞと目を擦り、肩越しに亀を覗いた佐助はまだ眠そうに何事か口の中で呟いた。夢でも見たのか、と背を揺すると、肩口に細い顎が乗る。
「かめさん……」
「臭うか?」
「うちのねこのがくさい……」
 くわ、と欠伸をし、佐助は目を瞬かせた。幸村は餌の箱を示す。
「やるか?」
 んー、と佐助はのろのろと頭を振った。
「もういっぱいやったんでしょ……」
 示され、目を戻すと亀は満腹になったのか、のたのたと背を向け細く短いしっぽでぴちゃり、と小さく水を弾いた。幸村は何を思うでもなくその甲羅を眺める。ごつごつとした、岩のような甲羅だ。しかし触れば少しばかり柔らかく、厚い爪か角質のような手触りだ。
 幸村には馴染みの手触りだが、生まれてこの方哺乳類以外は飼ったことがないという佐助は、触らせようとすると怖がる。確かに戦国の頃の佐助も、鳥類か哺乳類しか使役はしていなかった。この手の、毛のない動物は苦手なのかもしれないとふと思う。
 そんなことを考えていると、ふいに背中が重くなった。首を巡らせ見ると、背に張り付いたままの佐助が肩口でくうくうと小さく寝息を立てている。
「佐助」
 背を揺すり名を呼んでも、返事がない。べったりとくっついたまま、絶妙なバランスで寄り掛かった小さな身体は、けれど放っておけばすぐに転がり落ちるだろう。
 幸村は声を立てずに唇だけで笑い、何が解るわけでもあるまいにくう、と首を伸ばして顧みた亀に目を細め、だらりとした細い両腕を肩に回させて片手で纏めて掴み、それから盥に簀の子を被せた。
 熱い身体を揺すり上げて背負い、ゆっくりと立ち上がると思ったよりも重い。そう言えば前期の健康診断のときよりも背が6センチも伸びたと、嬉しそうに報告してきたのはつい先日のことだ。
 子供の成長は早いな、と考えながら、幸村は室内へと戻った。

 
 
 
 
 
 
 
20090624
初出:20090613