「俺をここに置いてください」
 真摯な眼差しでソファの上へと正座した子供に、隣でテレビのリモコンを持ったまま手持ち無沙汰にニュースを眺めていた幸村は目を瞬かせた。
「……出て行けなど言った覚えはないが」
「じゃなくって、」
「明日は土曜だろう。泊まって行くか?」
「そうじゃなくって!」
「帰るか? ならば送るが」
「じゃないってば!」
 んもう、とぶんぶんと頭を振って、佐助はずい、と身を乗り出した。思わず間近に来た頭をふわふわと撫でる幸村を余所に、妙に真摯な目が真っ直ぐに見詰める。
「旦那のとこに住みたいの!」
 幸村はちらと片眉を上げ、テレビを消した。
「ご両親はどうする」
「………別に」
「喧嘩でもしたか」
「……………」
 黙り込んだ佐助にふ、と小さく息を洩らして笑い、幸村はソファの背に肩肘を突いて頭を乗せた。
「謝りにくいのなら、口添えしてやってもいいが」
「そういうんじゃないんだって……」
「引っ越しの話ならば、聞いているぞ」
 ぱっと弾かれたように逸らしていた目を上げた佐助に手を伸ばし、幸村はその頭を再び撫でた。
「アメリカだったか?」
「………どこでも一緒だよ。遠いもん」
「しかし、本決まりになったわけではあるまい?」
「なってからじゃ遅いだろ!」
 うる、と大きな瞳を潤ませたかと思えば、佐助はもそりと幸村へと寄り添い肩口へと顔をつけた。
「………だめ?」
「駄目とは言わぬが、しかしその年で親と離れて暮らすことはあまり感心はしない」
「でも」
「見識が広がっていいかもしれぬぞ。何も、二度と会えぬわけでもあるまい」
 片腕で背を抱き、撫でながら囁くと佐助はぱっと顔を上げた。もう泣き出しそうな目が間近で見上げる。
「旦那は俺様と離れてもさみしくないの!?」
「側でお前の成長を見られぬのは惜しいが、しかし行こうと思えば会いには行けるからな。お前の両親の実家も日本にあるのだ、お前もまったく帰らぬということもないだろうし、電話もある。そもそもお前がこの世におらなかった二十年を考えれば、大したものではない」
 お前の今生が大切だろう、と囁いてやっても、佐助は何か言いたげにむくれたままだ。ぼろり、と溜まっていた大粒の涙がこぼれ落ち、幸村はそれを見ながらくう、と唇の端を吊り上げて笑った。
「しかし、お前が本当のことを言うならば、考えてやらぬこともない」
「……え?」
 幸村は額を付き合わせて子供の目を覗いた。ゆら、と所在なく揺れる視線を間近に見る。
「お前が日本にいたいのは、本当におれと離れたくないからか?」
「あ……当たり前でしょ」
「他に理由があろう?」
「な、ないよ、そんなの………」
「ならば行け。父と母を悲しませてはならぬ」
「……………」
 幸村はざらり、と掌で頬に落ちる涙を拭った。冷たい頬だ。
「お前は忍びであったようにはもはや思えぬが、平気で嘘を吐くようだな」
「そ、そんなことないよ! 嘘なんか言わないよ!」
「子供とて隠し事の一つや二つあっておかしくはないが、おれにまで隠すか」
 ざわ、と総毛立たせるように身を竦めた佐助に、余程恐ろしい目に見えているものかと考えながら、幸村は薄らと笑い声ばかりは優しく続けた。
「なんとも、忠義のない忍びよ」
 さあ、と青ざめた顔を見ながら、昔の佐助ならばこの程度で幸村の不興を買うことも、またこの程度で顔色を変えることもなかったなと遠い記憶を思う。
 すっかりと保護者が板に付いた。昔の佐助が見れば、旦那も大人なったねと笑うところだ。
「ごめんなさい!」
 やだやだと頭を振って、竦み上がったまま抱き付いてもこれない小さな身体を引き寄せると、佐助は震えてしゃくり上げた。
「て……転校したくない」
 ぐしゅ、と鼻を鳴らし、佐助はを身を縮めて小さく言った。
「友達と離れたくない……」
「そうだな」
 友は大切だ、と囁いて、幸村はゆっくりと背を撫でた。
「よくぞ言った」
「で……でも、旦那とも、離れたくないよ……」
「わかっている。おれとて、むざむざお前を手放したくはない」
 ひいっく、と大きくしゃくり上げてぎゅうと抱き付く佐助をゆっくりと撫でながら、さて今夜は預かっても構わぬだろうか、と幸村は呑気に考えた。

 
 
 
 
 
 
 
20090624
初出:20090317