「………んじゃ、お馬さん連れて行くってことですね」
 つい一瞬前まで真面目な口調で、否、口調は今も真面目なままで言った佐助の言葉に、信玄は腕を組み鷹揚に座ったままぴくりとも表情を動かさずに、己の耳を疑った。うむ、と答えた幸村へと視線を向けるも、愛弟子は至極真面目なままで先程下知した作戦を図面を広げて己が忍びへと説明している。
「騎馬隊を率いて正面から回れ」
「でも、旦那みたいに中央突破までは無理ですよ。幾ら完璧に化けるったって、真田幸村の術じゃあ、斬り付けられたら解けちまう」
「受けねばよかろう」
「無茶苦茶言いますね」
「何、さほど長い時間ではない。騎馬隊に気が向いている隙に、我ら真田隊本体が、西方面から攻める」
「回り込むんですね」
「嗚呼。東から攻めるは難しかろう。向こうも警戒していようし」
「んじゃ、烏さんでそっちの様子偵察しつつ、かな。分身飛ばしますよ。川中島の二の舞は御免ですし。でも、前田って最近熊さん使ってくるからさ、気を付けて」
「熊?」
 頓狂な声を上げた幸村に被せて熊さん、と口の中でだけ呟き、信玄は佐助を見た。忍びは巫山戯た色もなく、普段通りの様子で頷く。
「狼さんたちを使ってくるのは知ってるでしょ。熊さんも使うのよ、あそこの奥方」
「………猛獣使いではないか」
「すげえよね。使い方教わりたいくらいだ」
 へへ、と笑い、兎も角、ともう一度ざっと書面に目を走らせて、佐助は一歩下がった。
「準備に掛かりますね、大将」
「む……うむ、」
 信玄はぐっと顎を引いて頷いた。
「任せたぞ、佐助」
「はあい、お任せあれ、ってな」
 へへ、と笑い、軽く膝を弛めたかと思うときゅ、と軋む音を立てて忍びは姿を消した。ひらと黒い羽根の幻影が、舞っては消える。
「………幸村よ」
「は、何で御座いましょう」
 くるくると図面を巻きながら顧みた幸村を、信玄は見詰めた。愛弟子は不思議そうに見返して来る。
「………お馬さん、とは、なんじゃ」
「馬の事で御座いましょう」
「烏さんとは」
「佐助の烏で御座います」
「………狼さんたちと熊さん」
「前田の奥方は、獣を使うようで御座います」
 知っているだろうと敢えては問わずに生真面目に答える幸村に、不審な様子はない。
 信玄は僅かに沈黙し、それからよい、と頷いた。
「詮無きことを訊ねた。忘れよ」
「………? はっ」
 一礼し、幸村はでは某も準備を致しますとばたばたと騒がしく去って行った。
 そう言えば軍神さんに魔王さんであったな、と考えて、信玄は僅かに溜息を吐いた。
「………儂は甲斐の虎さんかのう」
 他軍でそんな紹介をされていたとしたらいやだなあ、と信玄は遠い目をした。

 
 
 
 
 
 
 
20090304
初出:20081120