「ただいまあ」
 2、3日姿が見えぬと思っていた被扶養者が帰ってきた。無論法律上、戸籍上の被扶養者ではないが幸村が養っているのだから被扶養者である。
 佐助は酔っているようで、機嫌良くにこにこと外は寒いねえなどと言いながらコートを脱ぎマフラーを外して、いそいそと幸村に寄ってくるとそのままテーブルと足の間に頭を潜り込ませて器用に胡座に頭を乗せた。腹に額が当たる。丸めた躯は幸村の背後で唸っているヒーターに足先を向けている。
「どこ行ってたとか訊かないの」
「ああ、どこへ行っていた」
「おかえりは?」
「おかえり」
 ぱん、とキーボードを叩いて改行し、悪筆の書類を清書しながら幸村はおざなりに答える。佐助は気にする様子もなくかすがちゃんとこにいたあ、と間延びした声で答えた。
「ずっとか?」
「そう。ベッドいっこしかないっていうから一緒に寝たんだよ。女の子はやっぱりいいにおいがしてちっちゃくって柔らかくって最高だねえ」
「よくかすが殿が許したものだ」
「ソファで寝ようかって訊いたんだけど構わないって言うから」
「ふうん」
「謙信さまと喧嘩したんだって」
 いや、ていうか、単なる誤解であいつが勝手に悲しくなっただけなんだけどね、と腹の辺りで勝手に喋る佐助の言葉を適当な相槌を打ちながら聞いて、幸村はぱらと草稿を捲った。
「……それで、誤解を解いてやって、帰ってきたのか」
「うん。俺様すっげえいい奴じゃね?」
「まあな。だが、」
 幸村は無造作にオレンジ色の頭に左手を乗せて、そのままわしわしと犬でもこするように撫でた。
「馬鹿だとも思う」
「え、なんでだよお」
「何故そこで仲を取り持つのだ。ほうっておけば念願通り、かすが殿の心を掴めたのではないか」
 胡座の上で頭が動く。見下ろせば酔いに紅潮した顔が、ぱちくりと目を瞬かせた。
「……まったくだ」
「だろう」
「据え膳も逃しちゃった」
 幸村は思わず笑みに歪む口を隠しもせずに失笑して、憮然としている酔っぱらいの頭をもう一度乱暴に撫でた。
「お前は器用な癖に、妙なところが抜けている」
「傷付いた!」
 慰めて! と喚いて胴に腕を回し、ぎゅうぎゅうとしがみついて来る後ろ頭を幾度か撫でて、幸村は液晶に目を戻した。暫くぎゅうぎゅうと固い腹に顔を押し付けていた佐助は、やがて飽きたのかもぞもぞと寝心地のいい体勢を探して落ち着き、黙り込んだ。
「かすがちゃんちでお風呂借りた」
 寝たのかと思えばそんなことを言われて、そうか、と幸村は相槌を打った。
「シャンプーもボディーソープもいい匂いだった」
「ん、」
 ちらと見下げ、それから幸村はずず、と少しばかりテーブルを押し遣って身を屈め、オレンジの髪に鼻先を埋める。確かに嗅ぎ慣れない香りに、佐助のにおいが少しばかり混じっている。ひやと鼻の頭に冷気が触れる。髪の芯はまだ外気を籠もらせているようだ。
「飯はどうした」
「食べたあ」
「では、こちらはまだ一時間は掛かる。少し眠って酔いを醒ましておけ」
 へーい、と返し、それから思い出した様にちらと見上げた目が悪戯に笑った。
「はれんちはれんち」
 べし、と後頭部を叩いておいて、幸村は押し遣ったテーブルを引っ張って元の位置へと戻し、キーボードに指を置いた。

 
 
 
 
 
 
 
20071212
初出:20071223