こないだ知り合った(政宗のクラスに行ったらオレンジの頭が弁当食ってた)『猿飛先輩』は、いっこ年下の『彼氏』がいるらしい。わざわざ政宗が牽制してきた(その横で真っ赤になって政宗殴り付けてた佐助は黙っていればにこにこしててもちょっと冷たい感じがするのに凄く可愛かったから、多分女の子にモテると思う)。
 なので早速その彼氏に会わせてもらったらこいつがまたなんか変で面白かったから、最近ちょいちょい遊んでる。幸村と遊ぶとあいつはよく佐助を連れて来るから(猿飛先輩だろ、ていうのは政宗。佐助と片倉さんのことだけこいつうるさい)、自然と二人のやり取りを見ることになって、それで気付いたことがある。
 佐助は幸村を名前で呼ばない。あだ名でも呼ばない。
 固有名詞で呼ばないのだ。呼びかけるときは『あんた』で、誰かと幸村の話してるときは『あの人』だ。
 だからなんで名前呼ばないんだって、幸村がいたら言いにくい事情でもあったらきっと誤魔化されるから、昼休みに弁当持って政宗と佐助のクラス強襲して、目の前に陣取って訊いてみた(また政宗が睨んでたけど)。
 佐助はえーとかうーんとか言って曖昧に笑って誤魔化そうとしてたけど、まつ姉ちゃんの卵焼きと交換だって言ったら、可笑しそうに笑って箸で突き付けてた卵焼きを一口で食べて(結構こいつは口がでかい)、きちんと噛んで飲み込んでから、俺は真田の家で養ってもらってる居候だからね、とちょっと首を傾げた。政宗は斜め向かいで物凄く苦い顔をしてそっぽを向いていた(政宗は他人の事情に踏み込むのが嫌いっぽい。ていうか深入りするのが嫌いっぽい。つまんない気遣いだ)。
 だから真田の社長とかあの人のお兄さんとか使用人のひとの前で呼び捨てなんてなんか気になっていけないし、だからって年下なのにさん付けとかしたら絶対嫌がられるし、でも幸村くんも違うじゃん、だから昔っから、どう呼んだらいいのか全然わかんなくって、なんとなく、と曖昧に笑う佐助に、ふうんそういうもんなのか、でも幸村は寂しがらないの、と訊くと、今更別に何も言わないよとあっさり首を振られた。
 
 それからも佐助はあんたとかあの人とかでしか幸村を呼ばなかったけど、でも一回だけ、名前を呼んだのを聞いたことがある。政宗は俺でも聞いたことがないって言ってたから、内緒にしている現在、もしかすると今つるんでる連中の中では、唯一俺だけが聞いたことがあるのかもと思ってる(内緒にしてるなんて知ったら政宗はまた怒ると思うけど、誰にも内緒って佐助に頼まれたからしょうがないんだ)。
 
 その日はみんなで遊んで疲れてでも連休だし明日もどっか行こうとか言う話になって帰るのめんどくさいって幸村の家に泊めてもらったんだった。幸村の部屋は母屋だからって佐助の部屋に上がらせてもらって(片付いてたけど、なんか小さくてこまいものがいっぱいある部屋だった)、夜通し馬鹿話をしてテレビ見てゲームして酒と煙草は幸村と佐助に断固拒否されたからなしで、そのうち疲れてぽつぽつみんな寝始めて、ふと朝方に佐助が起きる気配がしてうとうとしてた俺は眼が醒めた。
 佐助は幸村を揺すって、ねえ、夜が明けちゃうけど、どうすんの朱雀(飼い犬の名前だって)の散歩、行かないなら俺行くよそうじゃないと騒ぎ出しちゃうよと小声で言っていたけれど、幸村は呻くばかりで一向に起きてくれないみたいだった。
 佐助はねえ、と溜息みたいにもう一度呼んで、幸村の耳許に口を寄せて、そっと、微かに、囁いた。
 
「幸、」
 
 途端がば、と跳ね起きた幸村が、真っ赤になって耳を押さえて、おはよ、と笑った佐助にこくこくと頷いて、散歩に行って来る! と大声で喚いて部屋を飛び出して行ったから、踏まれたチカがぐえっと呻いて毒突きながら政宗が起きて(元就さんは平気で寝てた)俺は笑ってしまった。
 佐助は笑いながらちらりと俺を見て(俺が起きてたのに気付いていたのだ、目敏い)、内緒だよと声を出さずに言ったので、俺はおっけー、と頷いて見せた。
 佐助が幸村の名前を呼んだのはそれ一回きりしか聞いたことはなかったけど、あれはたしかに他人に聞かせる類のもんじゃない。大好きなひとに、あんなにあんなに甘く愛しく名前を呼ばれたら、凄く嬉しくって抱き締めたくなると思う。
 
「慶次」
 
 俺は顔を上げて、覗き込んでる政宗を見た。床に座ってソファに寄り掛かっていたら、当たり前みたいに政宗は俺を跨いでソファに座ったから、俺は今政宗の膝の間に寄りか掛かってる形だ。片倉さんが見たら、また甘えてるとか思われるんだろう。
「どうした?」
 背は俺よりずっと低くって(別に小さいってんじゃなくって、俺がでっかいだけ)筋肉は付いてるけど痩せてるのに、政宗の手はでかくてざらざらでごっつい。その手がおでこを前髪ごと掬ってざらざら撫でた。
「慶次?」
 不思議そうにしている政宗を手招きすると、顔が近付いた。腕を伸ばして首の後ろに手を掛け更に引き寄せて、俺はそっと名前を呼んだ。
 政宗は片目だけの眼を大きく瞠って、それからすぐに怖いくらい鋭く細めてにんまりと嗤うとキスをしてきた。
 おいこら別に誘ったわけじゃないんだけど、と思ったけど、耳が真っ赤になっててかっこつけるのにちょっと失敗してたのに気が付いたから、俺は黙って政宗の膝に頭を乗せた。

 
 
 
 
 
 
 
20070109
初出:20061226