結局のところ、それは店員の勘違いだったのだ。
 
 平謝りをする店長に濡れ衣が晴れたならいいよと困り笑顔を浮かべる佐助の隣で、幸村は顔を真っ赤にしたまま声を殺して泣いていた。ぼろぼろと大粒の涙の零れる瞳は、けれどじっと店長の後ろで突っ立っている店員を睨み付けている。佐助はちらりとその様を伺って、ほら、かえろ、と幸村の腕をとった。
 
 
 
「何故怒らぬのだ!!」
「間違いなんか誰にでもあるでしょー」
「違う、そこではない!!」
 万引きを疑われあわや警察を呼ばれそうになったのはこちらなのに、怒り通し泣き通しなのは不良に騙され付き合ってやっている気の良いぼっちゃん扱いされた幸村のほうだった。
 じゃあどこよ、と溜息を吐けば、幸村はきっと鋭く佐助を見る。子犬のようなまるい眼をしているというのに、近頃気迫が乗ったときの幸村は、恐ろしく鋭い眼差しをするようになった。
 中身も大人になればいいのにと考えながら首を傾げると、幸村は握った拳をぶるりと震わせ、ぐいと涙を拭う。一瞬覗いた酷く大人びた怒りに、佐助は僅かに唇を開き、結局何も言わず、閉じた。
「───親がないからと」
「………あー、」
「みなしごだから躾がなっていないと、そう言ったのだぞ!!」
「躾がどうのは世間一般の先入観にしても、俺に親がいないのは事実」
「戸沢先生がいるではないか!!」
「あんな方々勝手に飛び回ってるおっさんなんか、赤ん坊の頃しか世話になってねえっつの。あんたんちにいるほうが長いって」
「しかしお前が中傷を甘んじて受ける必要などない!」
「あんま大声出さないでよ」
 ぽんぽんと幾分か低い位置にある頭を撫でると、誤魔化すなと叱られた。佐助は肩を竦めて口角を下げる。子供らしくないかわいげのない表情だと言われるが、そう言われることすら自身が大人びているようで、佐助は気に入っていた。
「じゃあ言わせてもらうと」
「なんだ!」
「俺のことなのにあんたが泣くから、俺は泣けないの」
 ぐっと、呻くように幸村は声に詰まった。かあっと一気に耳まで真っ赤になった顔に、こんなに血圧高くて大丈夫なのかなあと佐助はずれたところで心配をした。
「そっ、」
「なに」
「それなら、おれはもう泣かぬ!」
「へえ」
「お前の代わりには泣かぬ!」
「そうしてくれると嬉しいね。俺が泣かせてるみたいでちょっと困るから」
 途端眉尻を下げて不安そうに上目遣いになった幸村に、何を考えているのかが手に取るように解って佐助は笑った。
「違う違う、いやじゃないよ。あんたが俺のこと心配してくれるのは嬉しいけど、困っちゃうってこと。だって俺は全然なんとも思ってないんだからさ」
「それがおかしいと言うのだ! 自分のことなのだからもっと……」
「平気なんだからしょうがないじゃない」
 ふふふと笑う佐助にちょっとむくれて、幸村はぶらぶらとしていた手を勢いよく取って足を早め、ぐいぐいと引いた。
「だが、お前が悪口を言われたら、怒るからな」
「あれ、泣かないんじゃなかったの」
「おれが腹が立つから、怒る!」
 それはお前とは関係がないと言えば、少しの沈黙の後、はいはい、と少し呆れたような声が答えた。
 
 
 
 
「………で、それが何だってんだ」
 頬杖を突きながら思い出話を聞き、組んだ足をぶらぶらとさせながら尋ねた政宗に幸村はだから、と言ってこちらに背を向けたままぼんやりと庭木の前に立ち、花も付いていないそれを見上げている佐助に眼を遣った。オレンジの髪がふわふわと、冷たく緩い風に時折揺れる。
「佐助の代わりに泣くことは出来ぬ」
「別に、葬式で泣くのが誰の代わりって話でもねえだろ」
「しかし、おれは戸沢先生のことはほとんど知らぬ。佐助の養い親だと言うことしか知らぬ。会ったこともないのだ。ならばおれが泣けば、佐助のためということになるだろう」
「なんでそれでお前んちが葬式出してんだよ」
「おれの親は懇意にしていたのだ。戸沢先生も身寄りのない方で、だから佐助をうちに預けて仕事に回っていたのだ」
 ああ、へえ、そう、と思い掛けず人の家の事情に立ち入ったのが不快だったのかちらりと眉を寄せて、政宗は幸村の視線を追うようにオレンジの頭を見遣った。
「………それで、」
「ん?」
「あんたが泣かなくなって、それであいつが自分のために泣いたことってのは、あんのかい」
 幸村は沈黙した。考えて、それから考えるまでもなく、佐助の泣いた姿など見たことがないと思う。泣き顔など見た日には仰天して、到底忘れられそうもない。
 それほどに佐助はいつも笑っていて、大概のことに平気な顔をする。平気なわけのないことも平気な顔をして、そういう顔をすることで自身に大丈夫だと言い聞かせているようにも幸村には思えた。
 それが、嫌で、だからつい過剰なほどに、佐助に向けられる悪意に立ち向かい牙を剥いてしまうのに、困るよと柔らかく苦笑されれば引くしかなくて。
「…………、……ない」
「だろ?」
「……うむ」
 頷き、ぎゅうと眉を寄せて幸村は勢いよく立ち上がった。追って視線を上げた政宗を見下ろす。
「すまぬ、政宗殿。おれはちょっと佐助を慰めねばならぬ故」
「…………Ah、お邪魔だと言いたい」
「けっ、決して邪魔にしているわけでは! しかし、その……」
「あーあー、いい、気にすんな。人の恋路に踏み込むほど無粋じゃあねえ」
「こ、恋路とかそういうものではなくてその……っ、た、単にだな!」
 言い訳をする幸村をにやにやと暫し眺め、政宗は立ち上がった。
「ま、早いとこ家ん中引っ張り込んであっためてやれよ」
「へ?」
「明日はあいつ単位落とせねえ授業あるからな、ほどほどにしろよ」
 背を向けひらりと手を振って勝手知ったると言った足取りで去って行く政宗をぽかんと見送り、それから幸村はかあっと熱くなった顔のままに違う誤解だと追い掛けそうになる足を慌てて踏み止めた。
 誤解だろうがなんだろうが、とにかく佐助を寒空の下から暖かな部屋へ引っ張り上げてやらねば、いくらなんでも風邪を引く。明日の授業にはどうしても出なくてはならないと言うのなら尚更だ。
 幸村は赤い顔のまま、がらりとガラス戸を開けて庭へ出た。
 オレンジの頭はまだこちらに背を向けている。

 
 
 
 
 
 
 
20061226
初出:20061212