武田屋敷から戻った途端奥州へ行く、と言った主に目を丸くして見せれば、幸村は大事に抱いていた書状を示して見せた。
「お館様から、此れを政宗殿へ届けよとの下知を賜った。ついでに奥州を見て来いとの仰せだ」
「……そりゃ、良かったね。実質お休み頂いた様なもんじゃない」
「そうだな。お前も来るだろう?」
 はあ、と曖昧に頷いて、佐助は僅かに首を傾げた。
「別に特別俺がしなきゃないお仕事もないしね。……ないでしょ?」
「あれば来るか等とは言わぬ」
「そりゃあ、そうですね。んじゃ、お供しますよ。旦那だけ、奥州まで行かせるわけにも行かんでしょ」
 溜息を吐くふりをしつつ苦笑して見せれば、幸村は僅かに沈黙し、其れから胡座を掻いたままずいと顔を近付けた。その余りに近い距離に、佐助は思わず仰け反る。
「………なんです」
「お前、独眼竜が苦手か」
「嗚呼、まあ、そりゃあね。得意じゃないよ。面倒臭いお方だし」
 何考えてるかも知れないし、と言えば、幸村は首を傾げる。
「そうか?」
「え、旦那、独眼竜の考えてる事判るの」
「外連味の強い方だとは思うが、しかし刃を交えれば、そんな事はどうでも良くなるからな。判らずとも問題は無い」
「あ、そ」
「そもそも、政宗殿は一国の国主であらせられるからな。おれでは考えも及ばない事もあるだろう。お館様なら、良く存じておられるのだろうが」
「……それだけじゃない気もするけどねえ」
「佐助、お前」
 可笑しそうに目を細めて、幸村はどす、と佐助の胸を小突いた。
「独眼竜にからかわれでもしたか」
「あー、まあ、そんな感じですかね」
「良い薬だな。誰もがお前の掌の上で踊ると思うな」
「え、俺様ってそんな風に思われてんの? 心外だなあ」
「ほら、其れの事だ。箍を弛めてのらりくらりと、だが其れでも躱しきれぬ物もあるだろう」
 政宗殿は退屈を厭うのだろう、其れだけだ、と口元に笑みを刷いたまま書状を懐に収める主に、佐助は肩を竦めた。
「暇潰しに付き合わされんのは、真っ平だよ」
「暇潰しに付き合わされる様になれば、政宗殿はお前をからかわぬ」
「………ん?」
「政宗殿もお前を知らぬ様だな。此の真田一の忍びを、軽んじる様では」
 此度の訪問で思い知らせてくれよう、安心しろ、と不敵に笑う主に慌てて、佐助は両手を振った。
「ちょっと、俺はただ付いてくだけだからね!」
「何、一度手合わせ願えば其れで判ろう」
「って、幾ら同盟国でも他国の城主と手合わせする忍びなんかいねえっての! ていうか、そんな事したら外向的にまずいって! お館様に叱られるよ!? 第一俺だって、手加減なんか出来ねえよ! 殺されちまうもん!」
「仕合だと言っておろう」
「仕合だろうがなんだろうが、殺られるって。あのお人、俺様の事なんか塵芥くらいにしか思ってないよ多分。そんなのが掛かって来たら払うだろ、普通。あの六爪にまともに払われたら死ぬって」
「死なぬ様に頑張れ」
「何その無責任な応援!」
 ほとほと参った、と言う顔をして見せて項垂れる佐助の肩を叩いて、幸村はさて、と声を改めた。
「明日には発つぞ。準備をしろ、佐助」
「そりゃまた、急だね」
「書状をお預かりして来たのだ、急がねばなるまい。物見遊山ではないのだ」
 はいはい、承知、と頷いて腰を上げ掛けた佐助は、視線を感じて動きを止めた。
「何?」
 つと伸びて来た手が、軽く顎を持ち上げる様に触れる。
「佐助」
「はい、何です」
「呑んで掛かるな。お前には呑めぬ」
「……はあ?」
「軽口に付き合ってくれる相手では無いと申しているのだ。本気でやり合う気がないのなら、躱し続けておれ。でなくば目を回して、落ちるぞ」
 お前はふわふわと飛んで居なくては安定せぬだろうと軽く頬を叩かれて、佐助は眉を下げた。
「今日の旦那は謎掛けばかりだな。独眼竜の毒気にやられたか?」
「おれがそんな物に呑まれる様に思うのか。であれば、お前はおれの事もよく判ってはおらぬ様だな」
「うーん、そうかもね」
 軽く肩を竦めて今度こそ立ち上がり、佐助は失礼しますよ、と言い置いて半ば逃げる様に姿を消した。

 
 
 
 
 
 
 
20070413
初出:20070510