恐ろしい物になれる素養を持っている、けれどそれを突き放す事で自覚のないふりをしてみせる、自らの狂気も飼い慣らすことの出来ぬ者には興味がない。
 紅蓮の鬼など、自覚はなくとも狂気そのものの具現であるから面白いのであって、ただの人であることを必要以上に自覚する者など視界に入った所で何一つ心をざわめかせるものでもない。
 だから用などないのだと言った事を、久し振りだねえと気の抜けた(と言うよりも、間の抜けた)笑みで、けれど決して笑っていない目で睨み付けられて、政宗はようよう思い出した。武田に赤い頭の忍びが居たことは憶えていたが、からかったことなどすっかりと忘れていた。
「悪いけど、こっから先は通すわけには行かないな」
「別に、喧嘩を売りに来たんじゃねえぜ。ちょっとばかり真田幸村の顔を拝みに来ただけだ。和睦を結んだ相手を蔑ろにするような主なのか、あんたの主は。An?」
「あんたが和平を結んだのは武田の大将だろ。お館様に目通りすれば、それで済むことじゃない。わざわざ、真田の旦那に会う必要なんか、これっぽっちもないでしょ」
 私闘出来るわけでもないんだし、とふんと鼻を鳴らす様に言う忍びに政宗はくつくつと嗤う。
「俺が戦う事しか頭にねえような言い種だな?」
「違うのかい? 戦馬鹿だろ。聞いてるよ、代替わりしてからの奥州攻め。農民すら一族郎党皆殺し、って? むごいもんだ。政のことなんか俺様にゃあ判んないけどね、そんなんで土地を治めようなんて、」
「おいおい、非道だって言いてえのか? けどあんたが気に食わねえのはそこじゃねえだろ。大体にして、あんたの主だって関係ねえんじゃねえのか。あんたはただ俺が気に食わねえ、違うか?」
 だから難癖付けて文句言ってる、それだけだろうと腕を組み、すっかりと立ち話の姿でまた嗤えば、忍びは剣呑に笑んで見せた。何とも底の浅い闇だと政宗は思う。ちらりと闇を覗かせているつもりで、其の実それが虚構であることがありありと見て取れる。本当の暗闇を引き摺り出す事で狂気に堕ちるとめくらに恐れている、その現れだ。
「あんた、名前はなんつった」
「別に忍びの名前なんか、聞いたところでしょうがないだろ」
「俺が知りてえと言ってるんだ。草如きが口答えすんじゃねえ。答えろ」
 それとも呼び名もねえか、と目を細めれば、忍びは苦々しく口元を歪めた。
「天下の真田忍隊の忍び頭が名無しじゃ、かっこつかないでしょ」
 ぴゅう、と口笛を吹き、政宗は大袈裟に肩を竦めた。
「テメエ如きが忍び頭か、真田隊ってのも大したもんだ!」
「真っ向から闘るんじゃなきゃ、あんたにだって遅れは取らねえよ」
「Han! 粋がるだけならただだぜ。で、」
「人呼んで、猿飛佐助! 真田忍隊隊長です、奥州王殿!」
 一気に怒鳴り、今は小袖姿のまるで忍びには見えない忍びは、溜息を吐いて額当ての無い顔に掛かる髪を掻き上げた。
「もう、本当帰ってくんない? 旦那は忙しいんだよね、あれでもさ」
「さっきから聞こえてる声ってえのは、あいつのもんじゃあねえのか? 鍛錬でもしてんだろ」
「鍛錬だって立派にお仕事なんですう」
「和睦を結んだ同盟国の国主をもてなすのも、立派な仕事だな? あんたがここで止めていいもんじゃあねえだろう。それとも何か、真田の城では、忍び如きが一存で客を追い返していいと、そんなRuleになってんのか?」
 む、と口を噤んだ忍びは、半瞬のちにはやれやれと肩を竦めて険を落とし、呆れた様に半眼になって見せた。
「しょうがないなあ、旦那といいあんたといい、戦馬鹿ってのは我が儘で困るね」
「Ha、そりゃどうも」
 言って腕を解き、脇を擦り抜けるのも忍びは咎めなかった。その振り向きもしない肩を、擦り抜け様に政宗は小突く。
「Hey、忍び」
「あんた、何のために名前聞いたの」
「そんなにびくつかなくとも取って食いやしねえぜ? まあ、今の所は、と条件が付くがな」
「俺様を、」
 振り向いたのか、声が真っ直ぐに背に届く。
「食うなら覚悟しな。腹の中から毒撒くぜ」
「Han、テメエに吐ける毒なんざねえよ」
 小物が、と嗤えば追ってくる返事はなくて、ただ微かに風の舞う音がして、忍びの気配は完全に消えた。
 先んじて主の所へ戻ったのだろう、とは思ったが、特に急ぐでもなく、案内のないまま門を潜った政宗は、好敵手の鍛錬の声を頼りに歩を進めた。

 
 
 
 
 
 
 
20070410
初出:20070510