20070128〜0225まで設置

 
 
 
 
 
 
「佐助! 佐助!」
 どたどたと廊下を踏む音が響いて板間が揺れる。佐助は溜息を吐いて、薄く油の塗られた手裏剣を置いた。一纏めに晒しにくるんで、片隅に纏める。
「佐助!」
「はいはい、聞こえてますよ」
 さて、今日は川遊びか遠乗りか、はたまたお八つのお誘いか。
「肩車をしてやろう!」
「肩車してもらわなきゃ届かないとこなんてないですよ。こんな身体でもあんたの頭に俺が乗った分くらいは楽々跳べますって」
「そういう事ではなかろう」
 むっとむくれた主殿にやれやれと肩を竦めて、佐助は立ち上がった。其れでも視線は主を見上げたままだ。今、佐助の背丈は、幸村の胸までも無い。
 むくれていた幸村は、その身長差を確認したのが満足だったのか、ふいに相好を崩すと手を伸ばし、わしわしと橙の髪を撫でた。
「ちょ、痛いって、旦那! 手加減してよ!」
「おお、すまぬ。佐助は力が弱いからな」
「当たり前でしょうが! あんたの力に敵う餓鬼が居たら、其れこそ人間じゃねえよ!」
 声変わりなど遙か先の少年の声できんきんと喚いて、佐助は無遠慮な手を振り払った。
「で、肩車ですか」
「うむ!」
「構わないですけど、人前では止めて下さいよ。恥ずかしいから」
「む、何故だ。今日は宵宮があるのだぞ。はぐれてしまうではないか」
「やっぱり其れか」
 むうと半眼になって、絶対に行きませんからね、と唸れば、不満げな顔をする。
「何故だ。いつもは一緒に行ってくれるではないか」
「そりゃ、いつもはね。でも、今のこんなみっともない姿を晒して歩くなんて、冗談じゃないよ」
「何処がみっともないのだ。佐助は佐助ではないか!」
「いや、そう言うんじゃなくってさ」
「可愛いぞ!」
「言っとくけど嬉しくねえよ。そうじゃなくってさ、真田の忍長が、こんな子供になっちゃったなんて恥ずかしくっていけないでしょ。間者や刺客も紛れてるかも知れないのに、今の俺じゃあ何かあっても満足に対処出来ないかもしれないし」
「小さくたって佐助は優秀では無いか」
「ううん、其れは有難いお言葉だけど、いまいち未だ馴染んでなくってさ。力も弱いし、歩幅も狭いし」
「そんなもの、某が居れば大丈夫だろう」
「いやだから、其れじゃ意味がないでしょ。護衛が護衛されてどうすんの」
 其れに肩車なんかされてたら挙動も遅れるし、でも子供の目線だと視界は利かないんだよなあ、と腕を組んで暫く唸り、佐助はさっぱりとした顔で幸村を見上げた。
「うん、才蔵を付けますから、心置きなく楽しんで来て下さい」
「おれは佐助を誘ったのだぞ」
「才蔵じゃご不満ですか。んじゃ、くのいちの誰かでも」
「お前、態と言って居るだろう」
「しょうがねえだろ。其れともあんたと役立たずの俺様のために、更に護衛付けるっての? 宵宮だろ? 他国の者が堂々と入り込めるんだぜ。警戒を高めなきゃないってのに、そうそう暇人なんかいねえっての。今日明日は、俺達にとっちゃある意味戦より忙しねえぜ。其れより旦那は、大将と一緒じゃ、て、ちょっ、」
 半眼で不満げに唇を結んでいた幸村が、ふいに動いた。かと思えばひょいと脇の下に手を差し込まれ持ち上げられて、手足をばたつかせる間もなく肩に乗せられる。
「ちょっと、話の途中!」
「おお、少し重たくなったのではないか、佐助?」
「え、太ったかな。食い過ぎてるつもりはねえけど」
「昨日より大きくなったのではないかと言って居るのだ」
「幾ら餓鬼でもそんなに簡単に目方が増えて堪るか」
 やれやれと溜息を吐いて、そのままどしどしと歩き出した幸村に驚いて目の前の頭に手を乗せ、其れから佐助は顔面を打ちそうになった鴨居を身を伏せ危うくかわした。
「あっぶね!」
「何だ、佐助。そんなにしがみつくな」
「じゃなくって! ちゃんと上も見てくださいよ! 顔が潰れるとこだったでしょ! て言うか降ろしてよ!」
「宵宮は諦めるから、此のくらいは許せ」
「別に諦めなくても、誰かに護衛させればいいでしょうが。大将は何か言って無いの。あのお人も、そう言うの、好きでしょ」
「お館様は今日は宴があるのだ」
「あんたは?」
「おれは辞退させて頂いた。お前に宵宮を見せようと思って」
「はあ? そんなの幾らでも見たことあるって」
 首を捻れば、幸村は縁側から庭に降りながら、いいや、見ておらぬ、ときっぱりと返した。
「お前が見て居るのは人混みや暗がりや夜店の店主の顔であって、宵宮ではなかろう」
 肩車をしたまま庭に出た幸村は、しっかりと佐助の足を支えたまま上を見ろと示した。見上げる。空が広い。顔を撫でていく風の匂いが、地に伏せて居る時とも、地に立って居る時とも、高所で地上を窺って居る時とも違う。
「高いだろう」
「うん、そうだね。意外と高く感じるもんだね」
「お前が行かぬなら、他の者の仕事を狂わせてまで我が儘を通そうとは思わぬ。大人しくして居る」
 嗚呼、うーん、と呟いて、佐助は暫し風の香を嗅いだ。ぺちぺち、と、手の下の頭を叩くと、其れが妙に子供の仕種じみて仕舞って、一人笑う。
「何だ? 痛いぞ」
「大して叩いてないでしょ。……良いですよ」
「うむ?」
「宵宮。行きますか」
「ほ、本当か!」
「でも頼むから、大通りだけですよ。路地は絶対覗いちゃ駄目です。其れから、一通り見たら、さっさと引き上げますからね。振舞酒も手を出さないで下さいよ」
「判っておる!」
 見上げた顔が喜色満面を絵に描いた様で、佐助は苦笑を返して軽く足を振り、手の緩んだ隙に幸村の肩に手を掛けくるりと蜻蛉を切る様にして地に降りた。
「あ、」
「んじゃ、お仕事片付けちゃいますんで」
「佐助!」
 さっさと屋敷へと引き上げ掛けて居た佐助は、振り向いた。肩越しに見た主は、何でもない顔で笑って、頷く。
「直に元に戻ろうぞ」
「うん、そうじゃなくっちゃ、困るけどさ」
「だから、今のうちに堪能しておけ」
 僅かに視線を彷徨わせ、結局肩を竦めて佐助は軽く手を振った。
「はいはい、了解」
 満足げな主の気配を背に感じながら、変に面映ゆくなって佐助はそそくさと縁側に上がった。

 
 
迦陵頻伽の雄鳥

この後隠し子発覚の噂が流れて蜜柑頭のひとは城下にお使いに行ってくれなくなりました。