20070105〜0128まで設置

 
 
 
 
 
 
 何をして居るのだ、と問うと、佐助は顔を上げず手も止めないままに、見ての通りですよ、と答えた。
「銭ではないか。某の六文銭か」
「そうですよ」
「暫くは戦は無い筈だが、何ぞお館様から言われたか」
「戦が無いから手入れしてるんでしょうが」
 ちゃぷん、と、手桶に張った水で濯いで、濡れ縁に片胡座を掻きもう片足を庭に落とした佐助は文銭を陽の光に翳した。滴った水が綺羅綺羅とする。右手を握った藁ごと浸している手桶の水は、薄く茶色く濁って居る。
「放って置いたら錆びちゃうからねえ。こないだの戦から戻ってからも、なんやかんやで忙しくって手を掛けて無かったから、なかなか綺麗になんなくってさ」
「何だ、佐助、お前」
 手桶を挟んでどっかと腰を下ろし、幸村は佐助の顔を覗き込んだ。
「いつも何時の間にか綺麗にして有ると思っていたら、小者ではなくお前が洗ってくれて居たのか」
「あんたの机の引き出し開けて、此れを引っ張り出して勝手に触る小者が居たら、無礼者だと叱られるでしょうが」
「別に、叱りはせん。構わぬ」
「あんたが構わなくっても、家人が構うの。叱られるのは下の者なんだから、もうちょっとそう言う所、気を遣ってあげなさいよ」
 主の無神経の所為で叱られたら可哀想でしょ、と佐助は畳んであった手拭いの上に洗った文銭を置き、手桶の底に沈んでいた一つを拾った。藁でごしごしと擦る。
「まあ、あんたは結構、奉公人に慕われてるからさあ。あんたの所為で叱られたって、別に恨みに思いはしないだろうけど。長く仕えてる者ほど、旦那がそう言うお人だってのは、知ってるし」
「………気を付ける」
「そうして下さい、主殿」
 ちゃぷ、と音を立ててゆっくりと洗う佐助の手を見、幸村はまだ水の中に沈んでいた一枚を取った。指で擦ると汚れが溶けて、茶色の水が滴る。
「着物に垂らさないでよ。染みになる」
「血か」
「泥と錆とね」
「紐は洗ったのか」
「干してあるよ。こっち洗い終わる頃には乾くでしょ」
「此れは何か薬剤を溶かしてあるのか?」
「うん、ちょっとだけね。水だけじゃあ落ちにくいから。別に毒じゃ無いけど、舐めると苦いし腹壊すかも知れないから、ちゃんと手を洗って下さいよ」
 頷いて、幸村は汚れた文銭を陽に翳す。滴った水が膝に落ちる瞬間にぽんと投げられた手拭いが受け止めて、溜息が聞こえたが小言は言わずに佐助は洗い続けている。ちゃぷ、と水の跳ねる音がする。
 穴空き銭の真ん中に、水の膜が張り其れを通して光が見える。血の溶けた水は、僅かな滴では透明だ。
 これが、戦の直後となれば、血の塊で穴が塞がれてしまう程に汚れてしまう。幸村も戦装束を解く時には拭っては居るが、確かに丁寧に洗って置かなくては錆びてしまうだろう。
「………錆びても構わぬものを」
「俺が構うんです。あんたの渡し賃が血塗れ泥まみれの怨念まみれなんて、勘弁して欲しいよ」
「怨念か」
 呟けば、ふと顔を上げた忍びが眩しそうに眼を細めて薄く苦笑した。
「旦那には陰の気は近付かないだろうけどさあ、器物には、そう言う物が宿り易いからね」
「そう言うものか」
「大事にされればされるだけね。こいつはあんたの心が籠もるからね」
「佐助は、意外に迷信深いな」
「信心深くはねえけどな」
 再び目を落として文銭を濯ぎながら、佐助は口元に笑みをたゆらせたままだ。
「旦那の槍だって、魂籠もってるじゃないの」
「む、」
 翳していた手を下ろし、幸村は首を傾げて暫し考える。
「そうかも知れん。朱雀など、時折何か、誰かと駆けて居る様な気になる」
「そら、見なさいよ」
「おれは其れは、お前だと思って居たのだが」
 水音が止まった。見れば、佐助は目を瞬いて此方を凝視して居る。
「言ってる意味が、良く判んねえんだけど」
「お前が共に駆けてくれて居る所為だと思って居た」
「いや、別に何時でもあんたと居るわけじゃねえだろ。大体、旦那に最初っから最後まで付きっきりで走るのは、俺にはちょっと無理」
「だが、それでもお前はおれと共に居るではないか」
 佐助は空に視線を彷徨わせて、其れからさらさらと手桶の中の文銭を濯ぎ、そっと手拭いの上に並べて幸村の手の中の六枚目を奪った。
「俺を迷信深いって言うけど、旦那の言うことだって結構曖昧じゃないの。俺には良く判んねえな」
「心の話だ」
「嗚呼、そう言うの、苦手だわ、俺」
「心が籠もると言う癖に」
「俺の言うのは、目に見えないだけで手や足みたいに魂や陰気も有るって話だろ。旦那の言う心は、雲を掴むみたいな話の方だ」
 何が違うのだ、と言えば全然違うよ、と返されて、幸村は首を傾げ、其れから空を見上げた。
 薄青く高い空に浮かぶ雲は確かに手には掴めないが、霧と同様、人の手に掴めずとも其処に有って、やがて雨として膚を打つ物だと教えてくれたのは此の忍びだった。
「今は掴めずとも、やがて身を打とうぞ、佐助」
「はあ?」
 本当訳判んないよね旦那は、と呆れた溜息を吐いた佐助ににんまりと笑って、幸村は丁寧に文銭を洗う手を、胡座の膝に頬杖を突いて眺めた。

 
 
雨夜の星

あえかに光る。