20061210〜1225まで設置

 
 
 
 
 
 
 さすけさすけ、とばたばたと駆けて来た幼い主がどっかと腰に頭突きをする勢いで抱き付いた。思わず蹌踉けて根性で踏み止まり、佐助は呆れた顔で弁丸を見下ろす。
「ちょっと、ねえ! 危ないでしょ!」
「おお、すまぬ! さすけは軽いんだったな!」
 父や敬愛するお館様と比較してのことか、このくらいで蹌踉けるなんてと他意無く笑う顔にもっと足腰を鍛えておこうと内心で決めて、佐助はしゃがみ込み視線を合わせた。
「で、どうしたの。お医者に診て貰ったんだろ?」
「うむ、何処も何ともない!」
「そらあ良かった。あんたに何かあったら俺は腹を切らなきゃないですからね」
 軽口を叩いて笑って見せると、弁丸はそんなことはさせぬと顔を真っ赤にしていきり立った。
「だったら、いつでも元気でいて頂戴よ」
「しかしそれがしが風邪を引いたり怪我をしたりするのはそれがしが至らぬせいだ! さすけのせいではないぞ!」
「はいはい、判りましたから」
 ぽんぽんと頭を撫でて立ち上がろうとすると、ぐっと肩を掴まれて押し止められた。不思議に思って見詰めると、弁丸は大きな目をきらきらとさせて満面で笑う。
「さすけ、虫歯を見てやる!」
「はあ?」
「口を開けよ! 虫歯になると大変なのだぞ」
「いや、いいよ、虫歯なんかねえし……」
「己の口の中などきちんと見れぬだろう!」
 さあさあとぐいぐいと口に親指を突っ込まれて、痛い止めてよと拒むが新しい遊びを知ったばかりの子供はしつこい。佐助は渋々と口を開いた。
「もっと上を向け。暗くて見えない」
「あいあい」
 空を見上げるようにしてやれば、神妙な顔が覗き込んだ。その顔に思わず眼を細めていると、弁丸はさすけ! と驚いたように声を上げる。
「奥歯が欠けてる!」
「ああ、昔修行してたときに折ったの。それより虫歯はあった?」
「ない! だが欠けた歯など放っておいたら虫歯になるぞ! 痛くなる前に抜いてしまえばいいのではないか?」
「あー、そうだね、そのうちに」
「虫歯になってからでは痛いぞ!」
「虫歯じゃなくても抜くのは痛いよ。まあ、虫歯になんかならないようにしますから、平気ですよ」
「だが」
 言い募る弁丸に、それにねえ、と立ち上がりながら佐助は笑って見せた。
「奥歯抜くと顔の形変わっちゃうからさあ」
「え?」
「ほら、顔が細くなるんですよ。このへんに歯があるでしょ?」
 小さな両手を取って己の耳の付け根を辺りに触れさせると、弁丸はこくんと頷いた。
「ここら辺の歯が無くなって、歯茎が痩せちゃうからね。顔の形が変わるんですよ。どっかの国の昔のお姫様なんかね、顔をちっちゃくするのに奥の歯を二本も三本も抜いたって話だぜ」
 そんだけ変わるのよ、と言えば、弁丸はぱちぱち目を瞬かせる。
「だから、必要になるまでとっとくよ。一回抜いたら生えてこねえし」
「えっ? 弁丸は生えるぞ!」
「弁丸様の歯は子供の歯なの。抜けたとこから大人の歯が生えて来たろ? それは次に抜けたらもう生えないから、大事にしなきゃ駄目だよ」
 うっ、と顔を強張らせて、弁丸は佐助の顔から放した両手を己の頬に当ててこくこくと何度も頷いた。
「ちゃんと歯磨きする!」
「はいはい、そうして下さい」
 苦笑をすると大真面目に頷いた弁丸は、ふと不思議そうに佐助を見上げた。
「なあ、さすけ」
「何?」
「必要になるまでって、何のために歯を抜く事になるのだ?」
「顔変えるためかなあ」
「なんで?」
「さあ、色々理由はあるだろうけどね、まあ、万が一の話ですよ。俺だって奥歯無くなったら物食うにも不便だし、躯切り売りするような真似は出来ればしたかないよ」
 見る見るうちに苦い顔になる弁丸に首を傾げながら言うと、幼君はぎゅうと佐助の袖を握った。
「………それがしはさすけにそんなことはさせないぞ!」
「はあ、それは有難いですね」
「歯だって髪だって爪だって、それがしのためにも、他の誰のためにも、失くすことなんかないからな!」
 ぱちぱちと目を瞬いて弁丸のつむじを見下ろし、佐助はゆるく笑ってその頭をぐしぐしと撫でた。
「はいはい、判りましたよ」
 答えてやれば口約束に、忍びの使い方を未だ知らない幼い主は約束だからな! と真摯に小指を突き出した。
 きっと守れない幾度目かの指切りをはいはいと気易くかわして、さて俺はいずれどれだけの拳固を食らいどれだけの針を呑まねばならぬのか、と佐助はうっすらと苦笑した。

 
 
ゆびきりげんまんうそついたら、

指切り拳万 嘘吐いたら針千本呑ます 指切った