20080412〜0624まで設置
血が溢れていく感触がする。 此れは死ぬな、と心中で呟いて、佐助はごろごろと胸を鳴らしながら息をした。ふいに、くう、と唇が笑みの形に吊り上がる。 ひ、ひ、と、軽い笑いが洩れた。 「厭だな、もう……。勘弁して、くれよ……」 呟いた途端に噎せた。どろ、と粘度の高い血が鼻腔から溢れて、つんと眉間に走る痛みに涙が滲む。 「やば、い、な……此れ、ほんとに、死ぬって……」 横たわっているのに天地が回る。倒れているのに眩暈で更に倒れそうだ。地が泥の沼にでもなったかの様に、何処とも知れない所へ落ち続けている気がする。 「此処まで、か、な………」 掠れた声で呟いて、薄く目を開く。時折遠くを駆けて行く馬の地響きが、地に付けた耳に届く。 かは、と息を吐き、佐助は一度瞼を下ろし、それから再び細く開いた。 聞き慣れた足音が、頬に響く。 「だ……ん、な」 掠れた声を立て、酷く咳き込むと迷う様に常よりも乱れていた足取りが、ふいに勢いを取り戻した。ざ、と影が被る。 「佐助!!」 息を洩らし、佐助はへにゃりと泣くように笑った。 「た、すかったぜ、旦那ぁ……」 「無事か!」 「死にそ……」 「何処が酷いのだ」 安堵の軽口にも頓着せずに、素早く膝を落とした幸村は、ざっと頭から爪先までに目を走らせた。厳しく眉間に皺を寄せた顔を見ながら、佐助は暫し考え、直ぐに頭を振った。 「判んねえ……ッ、────!!」 眉一つ変えず唐突に、腋下へと滑らされた両手に持ち上げられて、佐助は喉へと突き上げた悲鳴を噛み殺した。一瞬、死んだと思う様な闇が、目を塞ぐ。 「………っ痛え、痛え、よ! こ、殺す気かよ……ッ」 「何処が痛む」 ひいひいと喉を喘がせて、佐助は諦観に似た気持ちを抱きながら、散り散りに落ちていく痛みを追った。 「腕……と、あと、脾腹……と、足……か。肩は、外れて」 「肩は後だ。……腕が酷いな。止血をしたいが」 「腹は……? 中身、出てねえ?」 「傷は皮と肉だな。腑は見えぬ」 なら良かった、と溜息を吐いて、佐助は胡座の上へと頭と肩を預けたまま、鉢巻きを解く幸村を見上げた。 「腕の止血、は、腋の下のとこ……」 「前に教わった遣り方で良いのか?」 「憶えてるなら、有難えな……」 「お前の着物を使うぞ」 言いながら、ぐると返された槍の穂先が手早く佐助の装束を裂いていく。あっと言う間に肩布を外されたかと思えば、手慣れた様子で胴当てを解き、鎖帷子の合わせも割いて、しとどに濡れた帷子の糸が切られた。 「さっすが、慣れてる……」 「戦場が長い。此の程度、出来ぬでどうする」 「はは、違い……ねえ、な。それで命拾いするんだから、なんでも教えておく、もんだ……ね、」 喋るな、とは幸村は言わない。ただ黙々と肩布と帷子を裂き、先程解いた鉢巻きできつく腕の止血をする。 「良っ、い、手際だわ、旦那……あんた、お医者にもなれそう………」 ふっと、喋り続けていた佐助は口を閉ざした。幸村の足越しに、駆ける音がする。 「だん、な……敵だ、三……四、否……六……」 幸村は無言で、傷へと布を巻いていく。 「七……七、だ、……足軽、が」 どんどんと近付いて来る足音に、此れは敵方の忍びにでも尾行られてでもいたか、と目を細め、佐助は距離を測る。 「あ……と、百歩……九十、………七十五、」 ぎり、と脇腹の傷へと布を巻き終え、幸村は佐助を引き寄せ足を掴んだ。 「三じゅ……っ、」 ぎりり、ときつく布が巻かれる。痛みに歪んだ顔にちらと目をくれて、幸村は鼻を鳴らした。 「足は骨が削れておるぞ。痛みもはかれぬ程死に掛けるな、馬鹿者」 「ば……っ、」 馬鹿はあんただ、と毒突き掛けた佐助は、すると地へと下ろされた背に大きく息を吐いた。すわと風が走り、傍らの炎の気配が高く跳ぶ。 ぎゃあ、と獣の様な声を幾つか上げて、あっと言う間もなく間近へ迫っていた数人の足軽の足音は途絶えた。 「肩を嵌めるぞ」 何事もなかったかの様に戻って来るなりそう言って、幸村は佐助の口へと余った帷子の袖を噛ませた。血と泥と汗に眉を顰めながらも噛み締めると、心を決める余裕など待たずに無骨な手が筋の伸びた腕を引き、ばき、と驚くほどの音を立てて関節を嵌めた。くう、と心の臓が縮み、視界が酷く狭まる。かと思えば厭な汗がどっと浮き、途端どくどくと早鐘を打ち出した胸に合わせて込み上げた吐き気を、佐助はぐうと喉を鳴らしてどうにか呑んだ。 「も、ちょっと、優しく……」 「軟弱な事を申すな」 言いながら背に腕が回された。かと思えばふわと躯が浮いて、片腕に俵の様に担がれ佐助は動かぬ両腕を諦めて、卓越した忍びの感覚で均衡を取った。体術も極める幸村の支えは重心を捉えており、落とされる様な事は無い筈ではあったがそれでも此の主の大雑把な気遣いでは、傷に響く揺れを押さえるまでは至らない。ならば少しでも痛みを軽減させる様、自ら体勢を保たねばならない。 まあ意識がもてばだけど、と心中で呟いて、佐助はつと視界の端に引っ掛かった紅い柄に、ぎくりと目を瞠った。 「旦那! あ、彼れ、炎凰の左翼………」 「うむ」 「うむ、じゃ、ねえよ!」 首を巡らせれば、幸村は片手に一本の槍しか握っていない。もう片方は先程佐助が倒れていた、その場所に突き立てられている。 「ちょ、も、戻って! 駄目だよ!」 「何、縁あらばおれの手に返ろう」 「そ、そう言う問題じゃねえだろ……!」 「返らねば、それだけの縁であったと、そう言う事だ」 ざくざくと大股で未だ戦火の絶えぬ陣を目指しながら、幸村はちらとも振り向かぬ。 「それよりも、死に掛けたお前を見付けた。それもまた、縁であろう」 「………嗚呼、絶対ぇ、盗られるって……あんな、業物……」 「ならばまずは、その縁を掴まねばなるまい」 未練がましくもう見えぬ槍を目で追う佐助を揺すり上げ、痛みに息を詰めた忍びに漸くに薄く笑い、幸村は足を速くした。 「旦那……そういや、陣、ほっぽって……」 「お前が戻らぬのが、悪い」 「……すんません」 「お館様にお詫び申さねば」 お前も来るのだ、ときっぱりと言い切られて、せめて傷が付いてからにして下さいと弱く溜息を吐いて、佐助はざらと目を撫で掛けた長い後ろ髪に瞼を下ろした。 どん、どんと堅い躯を伝って響く歩む音に痛む傷が、熱を持つにつれ増していく眠気に、佐助は小さく震えて逆らわず意識を手放した。 ほいっと、と妙な声を掛けて烏から飛び降りると、飛んで戻るのを暫く前から見ていたらしい主が、縁側に腕を組み仁王立ちしたまま厳しい顔で佐助を見た。 「………佐助。お前、先日お館様の処へ参るぞと申した時、未だ傷が付かぬから安静にしておらねばならぬと言うたな」 「言いましたよお」 「ならば何故勝手に寝床を抜け出した!! 皆佐助がおらぬと心配しておったのだぞ!」 「あー、すんません」 耳を塞いで怒鳴り声をやり過ごし、佐助はひょこひょこと足を引きながら歩み寄ると主の顔を見上げてへへ、と笑った。幸村は眉を吊り上げたまま、きつい眼光を注いでいる。 「………何だ。おれは怒っているのだぞ。へらへらするな」 「お説教は後で頂きますよ。それより先ず此れ、」 はい、と後手に隠していた物を手妻の様に突き出して見せれば、幸村は目を丸くした。 「お前……此れを」 「俺様はねえ、旦那。縁なんてのは、自ら結びに行くもんだと思ってる方なのよ」 佐助は目を細め、手の中の炎凰を見た。 「でも、あーんな目立つとこにこんな業物置いてってさあ、疾っくに誰かに持ってかれて売り捌かれてるもんだと思ってたのに、ちゃんと残ってあんたを待ってるなんざ、ちょっとはね、縁なんてのも信じていいのかなあなんて、思っちゃったりしたわけよ」 それともこいつがあんたに惚れたかな、と言えば、幸村は怪訝な顔をした。 「何を言っておる。此れは槍だ。無機物だろう」 「そうねえ」 「佐助は、時々妙な事を言うな」 「ま、そんな事よりさ。早く綺麗にして、右の子と一緒にしてやんなよ。やっぱりあんたの槍は、双子で一つ。分けちゃあ、駄目だよ」 縁は信じておらぬ癖に、と幾分か機嫌を直したらしい主にそう言って促すと、幸村はおお、と笑みを浮かべて炎凰を受け取った。 「磨いて、研ぎにも出してやろう」 「右翼も磨いてやんなよ」 「無論だ!」 ぐるりと踵を返しどすどすと歩き掛けた幸村は、ふと足を弛めると佐助を顧みた。 「すまなかったな、佐助。手間を掛けた」 「いやあ、元はと言えば、俺様の所為ですから」 「しかし、勝手に姿を消した事は、許した訳ではないぞ。首を洗って待っておれ!」 説教だ、と妙に生き生きと言って再び踵を返した主に、佐助はやれやれと苦笑を浮かべ、それから痛た、と呟き足を引き摺り縁側へと上がり込んだ。 彼れでいて小言好きの主だ、説教は長い。それに耐える体力を付ける為にも今暫く寝ておこう、と佐助は痛む躯を庇いながら、自室へと向かった。 |
鳳 凰
鳳は雄、凰は雌。