20070716〜0818まで設置

 
 
 
 
 
 
 うえっ、と涙まで浮かべて出した舌は、黒く色が付いている。
「にがい……」
 調合した薬の所為だから直に取れるとそのままに、薬を包んでいた油紙と空なった湯呑みを盆に戻していた佐助は、ぐすぐすと鼻を鳴らしながら懐紙を引き寄せた弁丸に、何気なく視線を向けてぎょっとした。
「ちょっと、何してんの!! 舌に擦り傷出来ちゃうよ!」
 そのまま「あー」と舌を出してごわごわとした懐紙で舌を拭き取ろうとした弁丸に慌て、佐助はそれを奪い取った。
「佐助ぇ……」
「苦いなら湯冷ましもっと持って来るから!」
「水など、幾ら飲んでも苦いのだ……」
 うう、と呻く小さな主に、佐助は深々と溜息を吐く。熱で涙腺が緩くなっているのだろう、潤んでいた目が余計に湿って、大きな目から今にも涙が零れそうだ。
 暑い季節とは言え、夕立の嵐の様な雷に浮かれてびしょ濡れになるのも構わず外ではしゃぎ回ったのだと言うから、風邪を引くのも自業自得、と苦い薬を嫌がるのを叱り付け服ませたは良いが、己でも反省しているのかさほど文句も言わず、暑い暑いと汗を掻きながらも今日の弁丸は大人しく布団の中に居る。出された味の薄い粥ももそもそと食い、苦い薬も泣きながらもきちんと含んだのだとなれば、少しばかり仏心も働く。
 しょうがないなあ、と溜息を吐いて、佐助は懐紙を盆に置き、弁丸の真っ赤な頬に両手を当てた。
「弁丸様。口開けて、べろ出してて」
「こうか?」
 あ、と突き出された舌は矢張り薬で黒いままで、覗き込めば喉の奥は未だ未だ赤い。
 それを確かめてから、はい失礼しますよ、と佐助は自らの舌で、主の小さな舌を舐め取った。驚いた様に目を瞠った弁丸が間近で瞬いたが、それに目を細めて嘔吐を誘わぬ様、口内も丁寧に舐め取る。
「はい、どう? ちょっとは苦くなくなった?」
 暫く舌を出したままぽかんとしていた弁丸は、口が渇いたのかぱくんと閉じて暫くもぐもぐとしていたが、やがて首を傾げた。
「良く判らぬ」
「そう? じゃ、やっぱり湯冷まし持って来ようか。それとも飴の方がいい?」
「い、いや! しかし、ちょっと、良くなった、気がする」
 そっか、と頷くと、こくこくと妙な顔をしたまま頷いた弁丸は、はっとしたように身を乗り出した。その拍子に跳ね上げられた布団とずり落ちた夏物の羽織を丁寧に直す佐助の腕を、ぎゅっと握る。
「さ、佐助に風邪が感染ってしまうぞ!」
「移んねえよ。忍びは風邪引かねえの」
「む、嘘だ! この間の冬に、雪合戦に誘ったら、風邪を引くから厭だと言ったであろう!」
「……よく憶えてるね」
「そっちが嘘なのか!?」
 ゆさゆさと揺すぶられて、あー、と天井を眺めて暫し考え、佐助は赤い顔の主を見下ろした。子供に此れだけ苦い薬を呑ませねばならぬ程の熱は、未だ下がらない。普段から唯でさえ熱い掌が、他の者なら疾っくに昏倒しているのではないかと思うほど、熱を持っている。興奮させて、本当に倒れられでもしたら堪ったものではない。
「えーとね、今俺も苦い薬を服んだから、風邪感染っても平気なんです」
「え? 今のか? ちょっと舐めただけでいいのか?」
「弁丸様は熱がすっごく高いからね、ちゃんと服まなきゃいけないけど、俺は熱ないからね、ほんのちょっとでも効くの。それだけ効く薬だから、こんなに苦いんだよ」
 弁丸はぱちぱちと目を瞬かせた。
「………佐助も苦かったのか?」
「苦かったですよ。こんな苦いのぺろっと服んじゃうなんて、流石俺様の主様」
 へら、と笑えばおだては聞かぬぞ、と大人びたいらえを返しながらも、弁丸はまんざらでもない顔をした。
「さ、そう言う事で、もう寝て。折角薬を服んでも、起きてたら治んないよ」
「うむ」
 大人しく横になった小さな躯に布団を掛けて、佐助は開け放した障子を少しばかり閉め、微かに吹く風が、汗を掻く頭と肩に触れぬ様にした。
「弁丸様、水飴持って来ようか」
「えっ、良いのか?」
「うん。良い子にしてるから、ご褒美。厨で貰って来てあげるよ」
 だから大人しく寝てて、と言えば、弁丸は判った、と頷いた。
 
 
 
「………佐助」
 ちょっと待っててね、と言い置いて盆と水の温くなった桶を持ち、廊下に出て部屋から暫し離れた所で、ふいに声が降った。振り向けば何処からか現れたか、仏頂面の才蔵が腕を組んでいる。
「何よ。俺様忙しいんですけど」
「ちょっと確認をしておきたいんだが……お前、弁丸様が武家のお方だと知っているか」
「当たり前じゃん」
 何を馬鹿を言っているのだと眉を顰めれば、才蔵は額に手を当て、はあ、と溜息を吐いた。
「であれば、彼れは拙いだろう」
「アレってどれ」
「苦みを舐め取ってやっただろう」
「それが何よ」
「里の幼子ではないんだぞ」
「判ってるってば。此れでも俺、結構彼のお人には敬意を払ってんのよ?」
 だから、と心底呆れた溜息を吐いて、才蔵は人差し指を突き付けた。
「接吻と何が違うんだ、と言ってるんだ」
 暫し突き付けられた指の先を眺め、何言ってんの、と笑い掛けて、そのまま半端な顔で佐助は固まる。
「………あー、」
「お前、子守だと思っているんじゃないだろうな」
「いや、いやいや、子守って程世話してねえし、第一そんな無礼なこと思ってやしねえって。俺様が言い聞かせた方がちゃんと薬服むからって、頼まれてさあ」
 嗚呼、でもそうだ、しくじった、とがくりと項垂れて、佐助は両手が塞がっていなければ顔を覆っていたのではないかと思わせるほど、耳の先まで赤くした。
「うわあ、大失態。良く叱られなかったなあ、俺」
「意味も判らぬのだろう。幾つだと思っている」
「そ、そうですね。里の子じゃないもんなあ、下世話な知識はねえか」
 はは、とぎこちなく笑えば、以後気を付けろ、と冷ややかに一瞥をくれて、才蔵は踵を返した。上に言い付けるような陰険な真似は、取り敢えずせずに居てくれるらしいとほっと胸を撫で下ろし、佐助は約束の水飴を取りに、些か慌てた足取りで厨へ向かった。
 
 
 
 意味など判らぬだろう、と若い忍び二人で判じた主がそれを接吻だと認識していた事を知るのは、数年後。
「あんた彼の後も薬服むたび舐めてくれって迫ったじゃん!」
「舐めてくれなかったではないか」
「接吻だって思ってた癖に強請ってたの!?」
 主は平然と頷いた。
「ちょ、旦那が破廉恥!!」
「お前、おれを動物か何かと思っていただろう」
 だから一人前の男だと知らしめてやりたかったのだが、と何処となく偉そうに胸を張る主に、忍びは真っ赤な顔を彼の時の代わりに両手で覆い、きゃー、と情けない悲鳴を上げた。

 
 
良薬は口に苦し

だんなに他意はありません。