20070605〜0623まで設置

 
 
 
 
 
 
 空腹と眠気を同時に感じて驚いた。しかもどちらも譲れないほど拮抗した欲求で、成長期の躯というものは凄いなと、我が事ながら佐助はいたく感心をした。
 とは言え、困ったものには違いなく、全く感心している場合でもない。
 
(手が熱い)
 
 元々少しばかり緩い不眠薬が、溶け出してべとべととしている。子供といえど子忍びだ、さほど熱い躯をしているわけではないが、けれど里で修行をしている子供達のように、毒を含んでいるわけではない。耐性を付ける為に毒を含み、故意に年中中毒状態に陥っている子供の躯は、大人の様に冷たい。
 年齢的には未だその時期にある躯だが、真田忍びとして主の元へ居る佐助は、鍛錬こそ怠ってはないものの、そういった門外不出の技から離れていた。
 加えて、子忍びは食事も睡眠も里の子供と等しく取るものだ。無論食事も睡眠も厳しく管理された上で的確に取らねばならないが、そうでなくては後々頑健さに欠けた躯となってしまう。忍びが病に倒れるなどあってはならないことだ。過酷な任務をこなすには、常人よりも遙かに強い躯が必要だ。その上此の躯となってから小さな子供が珍しいのか、妙に佐助に構う主が子供は寝るものだ、食うものだと頻りに勧めるものだから、寝足りない、食い足りないという状態から、そう言えば此処の所、久しく離れていた気がした。
 忍びの薬には毒性の強いものも少なからずある。もともと耐毒性のある躯を持つ忍びだからこそ問題なく含めるが、並の子忍びよりも、今の己の躯は毒に弱い筈だ。
 そう思い至り、年齢に合わせて調合した筈の不眠薬を指の合間でべとべとと練り、結局含まず佐助は懐へと戻した。指を汚した劇薬を鼻腔に近付け、潰したことで刺激臭が微かに上る様になったそれを嗅ぎ、つんと脳髄に走った痛みに眉を顰めて、僅かばかり醒めた目を幾度か瞬く。
 しかし、此れでは。
(……平気だなんて言った癖に)
 ざまあねえな、と佐助はちらりと唇を端を歪めて、嗤った。
 戦に出るのか、と訊ねた主に、当然でしょ、と頷いて、けれど刃を交えるには矢張り向かない此の小さな躯が、逆に容易くする偵察の任に出たまでは良かったが、まさか己の肉体が裏切るとは思いもしなかった。未だ、たった一日半だ。普段ならば、そうでなくとも里の子忍びならば、三日は楽にこなせる仕事だ。
 やっぱり里に下がった方がいいのかね、と考えながら、佐助は唾液が染み出る様、兵糧丸をゆっくりと噛んだ。朝露で喉は潤せては居たが、此の躯の熱さは眠気よりも、乾きによるものに思えた。
 
 枝の上に身を伏せたまま、じっと目を細めればふいに、敵方の陣の気配が乱れた。静かに、速やかに立つ気配は、遠く敵陣からでは判らぬものだが、こうして間近に居れば、闇夜の中でも、喩え忍びでなくとも判る。武人達の纏う甲冑や、手に持つ長槍や指物のぶつかり合う音は、どうしても消せるものではない。
 しかしその瞬間を待ち続けてじっと幾日も見張り、その上敵方の忍びに気取られぬ様速やかに先回りが出来るのは、忍びだけだ。その、耐えて駆ける、それだけの為に子忍びは、越えられなければ死ぬ事もある猛毒を含み、耐えられなければ死ぬしかない修行を経て、身分の無い、何者でも無い影になる。
 微動だにせず、元々さほど強くない呼気を更に殺したまま敵陣の動きが違えようもなく奇襲である事を見てとって、佐助は葉のひとつも揺らすことなく身を起こした。途端、僅かにぐらりと回った視界に、咄嗟に枝へと爪を立てて、転落を防ぐ。ぎちり、と爪の合間に、樹皮が食い込む。
 があ、と、声がして、ざわと揺れた枝に内心で舌打ちする前に、ばさばさと烏が飛び立った。見上げた足軽が陣笠を上げるより早く、佐助は烏の羽根を舞わせ乍ら跳び立ち、別の枝へと軽く爪先を触れ、次には遙か向こうの枝を蹴った。
 があ、があと嗄れた声で鳴きながら、未だ敵陣の上で、兵達の食い残しの残飯を狙う風を装って居る己が烏にいやはや何とも良い部下を持った、と小さく笑い、佐助は後は乾く目を細めたまま、風を切り、武田が本陣を目指した。ざあと追い付いて来た少しばかり離した場所に待たせて居た大烏へと腕を伸ばせば、いつもよりもずっと細い手首を慣れた仕種で掴んだ烏は、一瞬だけその目方の違いにぐんと高度を上げたものの、直ぐに安定を取り戻し、林の中を素早く飛んだ。
 嗚呼全く、烏の方が優秀だ、と溜息を吐いて、佐助は木々の切れ間を見計らい、手首の捻りで指示をして、大烏を夜空に高く舞い上がらせた。

 
 
迦陵頻伽の雄鳥

烏(メス)にまで子供扱いされるさすけ。