茶呑みぐさ

 
 
 

「お館様がご上洛を果たしたら、俺は何になろうかなあ」
 縁側に座ってぼけっと空を眺めていた忍びの唐突な呟きに、幸村は目を丸くして口を開き掛け、それから慌てて口の中の団子を咀嚼して茶で流し込んだ。
「何を言う。お前はずっと某の忍びだぞ」
「ええ? ああ、うん、そりゃそうだ。そうなんだけど、でも戦がなくなれば戦忍はいらなくなるだろ?」
「仕事はまだまだあるぞ!」
「旦那はね、お武家様だからな」
「そうではなくて、お前の忍びの力は戦ばかりに使うものでもないだろう」
 あっはっは、と声を上げて笑って忍びはそりゃあ光栄だとぱたぱたと片手を振った。
「けどな、旦那。俺はちょっと忍ぶのには向いてないぜ」
「……うん?」
「忍びってのは本来目立つ風貌をしていちゃいけないんだ、素性がばれるからな。だから戦いになりそうになっても全力で避けるし、捕まりそうになれば自ら命を絶つこともする。死体ってのは情報の塊だが、躯に目立った特徴がなければ、その死体から何かが洩れることはない。素性が洩れそうな特徴を持つ場合には、自分の死体が敵の手に渡らないように死ななきゃいけない」
「……お前は変装だって出来るではないか」
「いや、でも、戦傷なんかねえだろ、普通の人は。一度戦忍になってしまえば、別のもんに職替えは出来ないんだよ。忍びって一言で言ったって、色々あるんだ」
 だから戦が終われば俺らは要らないの、と再び空に向けた目を眩しげに細める忍びの横顔を幸村は思案げに眺める。
「城下で薬屋か小間物屋でもやるか。忍び宿の主もいいかもな」
「町民になるのか?」
「それでも京に居れば、あんたや大将が必要な時には、直ぐに馳せ参じれるだろ。鍛錬を怠る気はないから、まあその辺は安心し、」
「駄目だ! 仕事はいくらでもあるぞ、佐助!」
 大声にわざとらしく肩を竦めて耳を塞いで見せて、忍びは怪訝な顔で主を見た。
「政が主になるだろう? 俺は戦がなけりゃぼうっとしてる他ない、」
「ならばお前も政をすればいい」
「旦那、馬鹿かい?」
「ばっ、馬鹿なものか!」
「どこの世界に政に口を出す忍びがいるんだよ。そんなのはあんたたち武家の仕事だろうが」
「ならば、武家になれ!」
「本気で馬鹿だろう、旦那」
「馬鹿なものか! 禄を持ち妻を娶って家を盛り立てればいい!」
「妻を娶る忍びがいるかっつーの。上忍でもないってのに家なんか……」
 面倒臭いことになって来たぞ、とでも言うようにぶつぶつと文句を言いながら耳を掻いている忍びに、幸村はふん、と鼻を鳴らして笑った。
「嫌なら無理に太刀を佩けとは言わん。だが佐助、某はお前を手放す気はないからな! 某には政はよく判らぬし、頼みに出来る者が必要だ」
「真田隊がいるだろう。昌幸様から預けられてるじゃないか」
「父上の臣だ」
「真田の忍び隊は」
「お前の臣だ」
「旦那のだろ!」
「だが、某が頼みにする臣はお前だけだ」
 はっきりと、言葉に詰まった忍びを悪戯な童のように目をきらきらとさせて満足そうに眺めて、幸村は団子に噛み付いた。
「だからな、お前は、ずっと某の側にいろ。お前はおれの懐刀だ」
 はー、と馬鹿を見る目で眺め溜息を吐いて、忍びは口を付けていなかった己の分の茶を差し出した。
「口に物を入れて喋っちゃ駄目だって言ってるだろ、みっともない」
 む、と咀嚼を止めて気まずそうに肩を竦めた主に、忍びは差し出した湯飲みを持たせ、じゃあ茶の湯でも覚えて茶汲みでもするかなあ、と笑った。

 
 
 
 
 
 
 
20061226
初出:20061121