「佐助、さーすーけ、佐助ー」
「嗚呼、はいはい、煩いって!」
 そんなに喚かなくても聞こえてるよ、と気配もなくすらりと背後に立った忍びを肩越しに仰ぎ見て、慶次は破顔した。
「ほんとに呼べば来たな。凄いな、あんた」
「はあ? 何、真田の旦那の真似ってわけ? 止めてよね、俺は別に、あんたんちの忍びじゃないんだから」
「だったら何でわざわざ来たんだよ」
 言いながら、一人月見酒と洒落込んでいた杯を差し出すと、佐助はきちんと膝を揃えて座り両手で受け取る。
「主の客が名前連呼してんのに、蔑ろには出来ないでしょ」
 顰め面で文句を言いながらも酒を受け取る仕種は律儀で、ふうん、と顎を上げて慶次は直接銚子から中身を舐めた。
「真田の客ってわけかあ」
「あんた、前田の若様だもん。そう言われるのがやなら、あんまり来ないでよ」
「別に、そんなに来てるわけじゃないだろ。上田は蕎麦が旨いしさ」
「蕎麦食べに、わざわざ来るの? 物好きだねえ」
「それもあるけど、謙信んとこに行くのに、序でに寄りやすいしさ」
 嗚呼、と呟いて、佐助は空の杯を弄ぶ様に傾けた。
「軍神と、顔見知りだっけ」
「友達だよ」
「友達ねえ………」
 そう、と頷いて、慶次は腕を組んで笑う。
「軍神とか言われちゃってさ、あいつあんな見た目だし、言動がどっかずれてるから判りにくいけど、本当は凄く優しい奴なんだ。かすがちゃんともいい仲だし、見てて幸せになるよ」
「ふうん」
「そう言えばあんた、かすがちゃんと知り合いだっけ」
「ま、同郷でね。………でもかすがにいい仲なんて言っても、うんとは言わねえと思うけどな」
「そうそう、そこがさあ、困ったもんだよな。謙信って結構、女の扱いが上手くねえよ。もっと真っ直ぐに好きだって言ってやればいいのにな」
「いや、どうでもいいよ、別に」
「冷てえなあ。友達なんじゃないの?」
「友達っていうか……まあ、いいじゃねえの、俺の事は」
 にやり、と笑ってはぐらかす慶次の口調を真似、佐助は銚子を奪って空いた手に杯を押し付けた。
「でも、軍神は軍神だよ。戦の申し子だ。戦嫌いの癖に、良く友達になんてなれるね、あんたも」
「それは、」
「あんたは結構誤解してる気がするけど、」
 酒を注ぎながら、佐助は呟く様に続けた。
「戦人って言うのは、どれだけ高尚な御託を並べたとしても、結局の所はみんな戦馬鹿だ。あんただって旦那の事、戦馬鹿って呼ぶじゃない。なんも変わんねえよ。戦場は汚ねえし、欲にまみれてるし、戦ってのは元々の元を暴けば、みんな私怨から出てるもんだ。義憤で戦ってる奴なんか、いねえよ。気に食わないから殺すし、都合が良いから手を組んで、嫌いになったら掌返す。その盤上で、駒みたいに兵が死ぬし、その兵にしたって欲ずくめ打算ずくめで、槍を取る。運良く生き延びりゃ、金を手にして酒も呑めるし、村に帰れば英雄だよ」
「佐助」
「ん?」
「荒れてるな」
 僅かに息を詰め、それから佐助はそっと嘆息した。酒を満たした杯を差し出せば、唇を寄せて慶次の手から酒を啜る。
「俺はさ、結構、あんたの事は気に入ってるよ」
「ふうん」
「だからあんたは、戦場なんか知らなくていいよ」
 あんたは旦那とは違うから、と低く呟いて、佐助は軽く頭を振った。
「ま、あんまり、旦那にちょっかい掛けないでよね。後で困るのはこっちなんだからさあ」
「何だよ、あいつって、あんたに当たったりすんのか」
「そういうんじゃないけど、あんたと旦那はどう見たって相容れないよ」
「そうかい?」
 首を傾げれば、佐助は怪訝そうに片眉を上げた。
「結構、それなりに面白いと思ってるけどな。幸村も、そうじゃねえの?」
 大体もう、友達だろ、と言えば、佐助はゆっくりと瞬いて、それからへら、と笑った。
「友達ねえ」
「あんたも友達だよ」
「そりゃ、嬉しいこって」
 酔ったふりでもしているのか、へらへらと笑う佐助に、慶次はじっと視線を注ぐ。
「なあ、あんた」
「はいはい、酒が足りない? 取って来ようか?」
「俺は、あんたが思ってる程無垢じゃないし、物知らずでもないよ、多分ね」
「ふうん?」
「勿論、あんたの見てるものが見えてるとは、思わないけどな。でもあんたが真田に心底惚れて、命を懸けてんのは、汚いものの為じゃねえだろ」
「綺麗なものの為でも、ねえよ」
「でも、それって大事なものだ。私情も無いのに命を張るなんて、辛いよ」
 無造作に手を伸ばし、ぽんぽん、と肩を叩けば力が抜けたのが判った。表情に僅かにあった棘の様な強張りが溶けて、普段の忍びに戻る。慶次はほっと笑った。
「呑み直し、な!」
「あ、うん……って、あんた、どんだけ持って来たのよ、人んちのお酒だってのに」
 ごそ、と背後から小振りを瓶を取り出せば、呆れた顔をした佐助が、ふっと僅かに気を外へと向けた。
「何、真田が呼んでるのか?」
「…………ん、いや」
 大丈夫、何でもない、とにこりと笑った忍びにそうかと頷いて、慶次は瓶の封を開けた。

 
 
 
 
 
 
 
20070624