「竹中半兵衛?」
 どこか笑みを含んだ様なあどけない顔でいた男が、ふいに眉間に皺を寄せたのを視界の端に捉えながら、佐助はうん、と口先だけで返事をしてごりごりと薬研を擦る手を止めず、続けた。
「有能な人材を求めて、あちこちに出没してるってさ」
「………あいつ」
「何、知り合い?」
 汗が浮いている訳でもない額を拭う振りをしながら顔を上げ、首を傾げると、慶次は苦い顔のまま、ふい、と微かに視線を逸らした。
「昔のね」
「ふうん。友達?」
「………昔はね」
 あっそう、と頷き、ぽいぽいと薬草を放って再びごりごりと煎じ始めると、慶次は居心地悪げに胡座の膝を揺らした。
「あんたも、誘われたのか?」
「いやあ、俺様は駄目だってさ」
「駄目って?」
「竹中の旦那とおんなじで、俺様も真田の旦那のとこ、離れる気はないんでね。そう言う事だろ」
 でも給料の提示くらいしてくれてもいいのにねえ、と笑えば、いつもならからからと笑い返す風来坊は黙して俯いた。佐助はふっと苦笑の息を洩らし、手を止めその晴れない顔を眺める。
「どうしたの、珍しいね、風来坊。浮かない顔しちゃって」
「………豊臣になんか、行くな」
「行かないよ。てか、あんたにゃ関係ないでしょうに」
「絶対行くな。あいつは、……秀吉は、絶対にしちゃいけないことをした奴だ」
 ふうん、と顎を撫で、薬研を脇に避け、佐助は足を伸ばした。
「噂は聞いたな」
 背を丸め、上目遣いに見上げた目が、酷く疲れて乾いている。
「最愛の奥さんを殺して、それからのし上がって来たんだって」
「───あいつは」
「竹中の謀略だって話も、聞いたけどね」
 再び俯き掛けた顔が、弾かれた様に上がる。見開かれた目に、噂だよ噂、とひらひらと手を振り、佐助は肩を竦めた。
「竹中がそうし向けて、豊臣の旦那の奥さん殺してさ、何の得になるっての。大方、何かの妬みでしょ。あの人も大概、性急に事を進め過ぎだし」
「……信じられないだろ」
「ん?」
「大好きな人を殺すって。……それが天下の為だとか、訳判んねえ事、言うんだ。ねねがいなくなってから、秀吉はほんとに、ただの、……人殺しだ」
「それを俺様に言う? あんたも大概おつむあったかいよね」
 肩を竦めてからかい、佐助はそうだねえ、と首を傾げた。
「喩えばさあ、俺様は、真田の旦那がおれの為に死ねって言えば、そりゃ勿論許されるなら理由は訊きたいとこだけど、ま、十中八九はい判りましたって言って腹かっ捌くわけ」
「何言ってんの、あんた」
「真田の旦那だって、お館様がそう言えば、判りましたって頷くと思うよ。他のとこだって似たり寄ったりだろ。主の為に死ぬ事は、別に忌諱する事じゃないし、結構、当たり前だと俺は思うよ。どうせ死ぬなら主の為にって、そう思う向きもあるだろ」
「俺は! そう言うのは、」
「聞きなさいって」
 ひらひらと手を振って宥め、佐助は続けた。
「だからね、豊臣の奥方って人も、そうだったんじゃないのかなあ」
「────、」
「まあ勿論、判んねえ事だけど、」
 どん、と拳を叩き付けられた床が響いて、佐助は軽く片眉を上げた。
「あれれ、ちょっと、止めてくれない。床が傷むだろ」
「ねねは、秀吉を信じてたんだ! それを、あいつが、半兵衛と一緒に裏切って」
「裏切られたのは奥方じゃなくって、あんたの方じゃねえの? それにさ、ひとつ教えておいてやるけど、竹中の旦那、あれね。もう先が長くないんだよね」
 怒りに紅潮していた顔が、すっと血の気を引かせる。見開いたままの目から瞬間的に険が抜け落ち、なんとも綺麗な心根の男だと佐助は薄く目を細めた。
「豊臣がそれ知ってんのかは判んねえし、豊臣軍でもね、お躯が丈夫ではないからとかなんとか、ちょっと言われてる程度だけど、まあ、間違いはないよ。凶刃に倒れる事はなくとも、直に、あれは死ぬ。何年も保たねえよ。だからあんなに、性急なんだろ」
 自分が豊臣に残せるものを、全て残そうと酷く急いで。
「……豊臣の旦那が、そうせねばならぬと言えば、竹中の旦那はその為に動くんだろうよ。反駁している時間がないんだ」
 凍った様に身動ぎしない慶次を暫く眺めて、佐助はそっと嘆息した。
「ま、あんたには何にも出来ないんだし、別に、する気もないんだろ? あんたの家に帰りなよ」
「………家は」
「前田の家が厭なら、京に帰りな。うちも暇じゃないんでね。真田の旦那が甲斐から戻れば、またあんた、どつかれるよ。あんだけ散々暴れておいて、けろっと顔出すなんて、ほんと、良い度胸してるよ」
 何処か痛む様に歪んだ顔にふっと眉根を寄せて笑って、佐助は身を起こし、慶次の頬をぺちぺちと、軽く叩いた。
「あんたはそのままでいなよ」
「……武士ってのは、本当」
「そうだね、ろくでもないよ。だけど戦忍だってろくでもないんだから、あんたみたいな綺羅綺羅したのが、あんまり、寄り付くもんじゃない」
 だから帰りな、と言って立ち上がり、そのまま退き掛けた指先が大きな手に捕まった。
 体温の高い手は主とは違い熱いと言うより温かく乾いて、武器を握る硬い皮で覆われながらも、何処か柔らかい。心地の良い、手をしている。
 見上げる悲しげな目は澄んでいて、綺麗な目だな、と思いながら、佐助はそっと、優しい手から指を引き抜いた。

 
 
 
 
 
 
 
20070830
初出:20070509