立て続けの戦と、その度に自ら奔走しての偵察、一日程度の暇を与えても武具の手入れや城内の仕掛けの確認や修繕と忍びの仕事に忙殺されて、しかし幸村とは違い己の躯を熟知した忍びだ、恐らくそれでも問題は無いのだろうが、けれどそうと気付けば休んでいると見えていなくては気に掛かる。
そう思って酒でも呑もうと呼んだのに、と傍らで珍しく寝顔を晒す男の橙の髪を、頬杖を突いたまま梳く。労いたい、と考えていた事は疾うに知れているだろうから、此れも狸寝入りかと随分と長い事こうして眺めているが、不審な様子は微塵もない。眠りさえ操れる忍びだ、何処かに覚醒した部分を残したまま、意識的に眠っているのかも知れない。
そしてその覚醒した部分にある鋭い第六感には、今、幸村の掌は、気配としては認識されていないのだろう。
そう考えて、愚問だな、と幸村は少しばかりやって来た眠気に、目を細めた。
端から此れは、幸村の手を退ける事はなく、掴まえようと思えば容易く掴めるものだ。喩え此の掌が喉に掛かったとしても、もしかすると眠りの世界に遊ぶまま、一度も目覚めず息絶えるかも知れない、そういう者だ。
(ん、)
ふと、差す月影に翳りが生じたかの様に何らかの気配を嗅ぎ取って、幸村は肩を捻り、障子を見遣った。雲の影すらない。
暫く障子を眺め、気のせいかと躯を返して幸村は瞬いた。何時の間にか、眠りこけていた筈の忍びが獣の様に腕を支えに上半身を起こし、闇をじっと見詰めている。
寄り添っていたというのに全く覚醒の気配を感じさせなかった忍びは、すと幸村に顔を向け、柔らかく瞳を弛めて見せた。
「旦那は、寝てて良いよ」
「何かあったか」
「さてね」
すると伸ばされた手が放ってあった一重を掴み、羽衣の如くさらりと纏ったかと思えば、忍びは足下へ伸びる影へ溶ける様に消えた。散らばっていた筈の帯の一本すら無い。
ひらと落ちた黒い羽根に掌を向ければ、膚に触れる前にそれも夜闇に溶けて、幸村は起き上がり、散らかしていた己の夜着を引き寄せて袖を通した。
20070619
文
虫
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