烏に掴まって頭上を滑る様に飛びながら、旦那は縁側、と器用に片手を振って、お茶はちょっと待ってねと語尾を引き摺って忍びは何処かへ行ってしまった。
さっき佐助を見たよ、と言えば、幸村は軽く片眉を上げた。
「すれ違いでも」
「ああ、頭の上飛んでったから。茶はちょっと待てって言ってたから、直ぐ戻るんだろ?」
「その筈でござるが」
「何処行ったんだ? 使いかい?」
「甘味を頼んだのだ」
「って、そんなの忍びの仕事かい?」
「女中では行けぬ店まで行って来れるのだ」
て事は麓の茶屋まで行ったかな、彼の烏なら直ぐか、そう言えば今季節物の葛餅が出てたかな、と顎を撫でて、慶次はへへへ、と悪戯に笑った。
「甘味の使いなんて、佐助はあんたの嫁さんみたいだなあ」
「は?」
「掃除や洗濯もやらせてんじゃないの?」
「まさか。彼れは忍びでござる。………まあ、あまりに散らかせば、片付けくらいは、」
口籠もる様に吹き出せば、虎の若子はむっと唇を曲げた。
「わ、笑う事はないでござろう!」
「いや、ごめんごめん! なんか目に浮かんだからさあ」
「目に浮かぶ、とは」
「文句言いながら、あんたが散らかした槍やら具足やら片付けてんのがさあ」
壊した庭も佐助が直すの? と笑いながら言えば、それは流石に庭師がやる、と不機嫌に返された。慶次は笑いの余韻に喉を鳴らしながら、胸を反らして板間に手を突く。
「手足みたいに使うねえ。幾ら貰ってんのか知らないけど、忍びってのも、大変なもんだな」
「慶次殿」
思い掛けず真面目な声に名を呼ばれ、首を捻って空を見ていた視線を返せば、真っ直ぐな目に当たった。
「佐助は某の心臓の様なものだ、と、以前申した筈」
「へ? 嗚呼、そうだっけ」
「手足では足りぬ。貴殿には彼れを貶されたくない。以後、お慎み下され」
「別に貶したんじゃないけど」
首を竦めて、身を起こすと胡座の膝に手を置き、慶次はぺこりと頭を下げた。高く結い上げた逢髪が、ふさりと揺れる。
「まあ、ごめん。仲良いよなって言いたかっただけなんだ」
「判って頂ければ構わぬ。此方こそ、申し訳ござらん」
礼儀正しく頭を下げ返した幸村に良いよ頭上げろって、と手を振って、慶次は頬を掻いた。肩に座った夢吉が、真似る様に頬を掻く仕種をする。それを目を丸くして見た幸村に笑ってひょいと子猿を渡してやれば、慌てて掌に受け取った幸村は、円らな瞳を覗き込んだ。
夢吉殿、何か芸ができまするか、と楽しげに話し掛けている様を眺めながら、慶次はそっと嘆息をした。
心臓、と言う事は。
幸村の為に、死ぬまで走り続けると言う事だ。手足ならば使おうと思わねば動かず、止めれば止まるものだが、心臓は止めようと思うなら、深く刃を突き立ててしまうしかない。そうして止まった心臓は、もう二度と動かないものだ。喩え幸村本人にでも、幸村の為に走り続ける心臓を止める事は出来ないだろう。
言葉の綾である事は充分に判っていながら、それでも慶次は、手足の方がまだましじゃないか、と口の中で呟いた。
20070622
文
虫
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