「俺はあんたらを謀ったりはしないし、前田も織田も関係無い」
尾行ていた者が悟られたか、夜半になってぶらりとやって来た風来坊は、酷く不機嫌な顔で酒を煽った。
「佐助は何処だよ。毎回こんなじゃ、気が滅入るってもんだ。今度こそ、はっきり言ってやらねえと」
「彼れは、今宵は本丸へは姿を見せぬ」
「何で」
「各々、役目がある故」
「でも、あんたが呼べば来るんじゃないのか」
「無論」
「………何で、呼ばないんだよ?」
幸村は何を思うでもなく、笑みを浮かべた。そもそも、何か思惑を抱えて、作った表情を浮かべる事など無い幸村だ。その笑みもまた、何かを思って作ったものでは無い。
しかし目の前の慶次は奇妙に片眉を顰め、首を傾げた。それを不思議に思いながら、幸村は続けた。
「彼れはお主を買っておるし、好ましいと思うている筈だ。某はどうにも人の心の機微に疎いが、その某でも判るのだから、まあ、慶次殿は、己で知っておるだろう」
「まあ、嫌われちゃいないつもりだけどね」
でも、だったら、と身を乗り出す慶次を片手を上げて止め、幸村は胡座の膝へと掌を戻した。
「信頼の有無や好悪に拘わらず、可能性があるのならば用心をする、それが、此の上田を守備する彼れの役目故。職務を全うしたと言うのに、貴殿の誹りを受ける為だけに、此処へ呼べと申すのか」
「別に、仕事にけち付けようってんじゃないよ。ただ、こそこそ探る様な真似はすんなって、そう言いたいだけだ」
「それは、済まなかった」
「は?」
「彼れの動きは全て主たる某の思惑。貴殿を探る様差し向けているのも、某という事になろう」
「うわあ、面倒臭え」
鼻の頭に皺を寄せて顔を顰め、慶次はぽいと空の杯を放り出した。
「止め止め、酒が不味くなっちまわあ。俺は、帰るよ」
「何処へ」
「何処だっていいさ。折角の月夜だってのに、風情がないねえ」
ま、無粋な話を持ち出したのは俺か、と肩を竦めて縁側から立ち上がり、慶次は傍らの大刀を両肩に担いで月明かりの下、長い影を従えてふらりと身を返した。高く結い上げた逢髪が、夜風に縺れる様に流れる。
「嗚呼、そうだ、幸村、あんたさ」
見るとも無しに背を眺めていた幸村は、振り向いた渋面に、首を傾げた。慶次は一層顔を顰めて、人差し指で差す。
「その顔、止めなよ」
「顔?」
「気持ちと顔が合ってねえって言ってんだよ、気持ち悪ぃ。作り笑いなんか似合わねえよ」
おっかねえ目、しやがって、と唾棄する様に言い捨てて、慶次は再び背を向け、今度こそ振り向かずに髪を揺らして去って行った。
暫く月明かりの庭を眺め、それから表情の消えた顔を片手で擦り、その手の熱さにちらりと槍を見遣る。近頃佐助も任務が忙しくて、鍛錬も一人延々と槍を振るばかりで、それに飽いたとは言わないが、けれど慶次が上田を訪ねて来たと聞き、手合わせ出来るかと密かに楽しみにしていただけに、機会を逃した事は残念だ。
己にも守る家や民が無いわけでも無いだろうに、その役目を全うする者を唾棄にするとは、風来坊め、と態と八つ当たりの様に呟いて、幸村は少しばかり声量を上げて、佐助、と己が忍びを呼んだ。
膝に置いた拳の熱は、冷めるどころか飛び火して、爛と目が冴え、幸村は己が唇を吊り上げて笑っている事に、気付かずにいた。
20070615
文
虫
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