街道の終わりの宿へと松風を頼み、大刀を担いだまま悠々と歩けば通りを行き交う甲斐の住民は驚いた様に慶次を見た。若干の怯えの混じる視線に頓着せずに、道端で見掛けた蒟蒻を買い店番の子供へぴらぴらと手と愛嬌を振って、慶次はさて、と途中で農作業中の親父に聞いて描いた地図を広げる。
「何処が躑躅ヶ崎やか、」
ひょいと地図の上をつまんだ指が素早く慶次の手から抜き取り、おや、と顔を上げれば橙色の髪に輪郭を飾った見覚えのある顔が、へらりと笑う。
「どおもー、風来坊。何してんの、こんなとこで」
「あれ、佐助じゃないか。あんたこそどうしたんだ、こんなとこで。奇遇だねえ」
「奇遇な訳ないでしょって。此処は虎のお膝元よ、うちの大将の」
「だって、上田は?」
「いつも上田にいる訳じゃないよ。真田の旦那だって半々くらいでこっちにいるんだ」
「じゃ、真田もこっちにいるのか?」
甘い味噌の付いた蒟蒻をぱくと食べ、残りを串から抜いて肩の夢吉へと与え、慶次は指を舐めた。佐助は肩を竦める。
「さあね」
「さあねって」
「あんたは此のまま帰るんだ。知る必要も無いと思うけど」
慶次は不満の声を上げて顔を顰めた。
「何だよ、折角来たんだし、虎を見たいよ。見るくらい良いだろ、留守って事もないんだろ?」
「急がないとあんたの馬も、誰かに盗られちゃうかもよ」
眉を吊り上げて唇を曲げたまま見詰めれば、佐助は直ぐに気の抜けた笑みを浮かべて両手を上げた。
「冗談、冗談。そんな狭量な事したら、俺様が大将にどやされちまうよ」
「へえ、虎のおっさんは懐が広いのか。なら俺が会いに行っても、厭な顔なんかしねえよな」
「お館様はしないだろうけど、旦那が怒るよ」
「なんでだよ」
「あんたこそなんで判んないのよ。面倒臭いからさあ、ほんと、勘弁してよ」
取られた地図は何処かへ隠した様子も無かったが、いつの間にか姿を消している。素早い忍びの手業に慶次は首を傾げてまじまじと細い躯を眺めた。上田城で見る軽装よりは厚着の、けれどこうしていれば忍びとは見えない町人の姿で、しかしその髪や顔に書き込まれた緑の文様は、明らかに佐助が佐助である事を示している。見た事がない相手でも、橙の頭と顔の文様とその特徴だけを知って居れば、猿飛佐助だと判じる事は出来るだろう。
「まあ、いいや」
「諦めてくれた?」
「あんたに案内して貰おう」
「人の話、聞いてる?」
「聞いてる聞いてる」
言いながら一方的に肩を組んで歩き出せば、連れられる様な格好になった佐助が嘆きの声を上げた。
「嗚呼、もう、うちの旦那と言い、どうしてこう聞き分けが無いの」
「なんだ、真田の奴、また何かやったの」
「またって何、またって。ああ見えてうちのご主人様はそれなりに行儀が良いんだからね。あんたとは違うっての」
「けど、よくそうやって怒ってるじゃないか」
「怒ってないよ、別に。ただもうちょっと力加減とか、耳の掃除とか、して欲しいな……と、」
ちょろちょろと肩を組んだ腕を伝った夢吉が、佐助の襟を掴んでちゃっかり懐へ納まった。佐助は眉尻を下げて情けない顔をした。
「ほら、夢吉ももうちょっとあんたと遊んでたいって」
「ちょっと、獣使うなんて卑怯だって」
「俺がしろって言ったんじゃないよ。夢吉がそうしたいだけだよ。それに夢吉だって、虎のおっさん見物、したいんだよ」
合わせる様にききっと啼いた子猿に、佐助ははあ、と溜息を吐いた。
「……まあ、取り次ぎはしてみるけど、絶対旦那には会わないでよね! 彼のお人は大将の事となると、本当見境ないんだから」
「はは、それじゃあ、虎のおっさんも大変だな。会いに来る奴みんなに妬くんじゃ」
「ん、そうねえ」
ちら、と微妙な顔をした佐助はそれを咎める前に呆れた笑みに擦り替えて、軽々と慶次の腕から逃れた。
「あ、」
「此の道真っ直ぐ行って右曲がって、あと番所があるから其処で躑躅ヶ崎館はどっち、て訊きな」
「おい、夢吉は!」
「あんたが暴れ回んないように、人……じゃねえな、猿質だよ」
甲斐の人は上田と違って民兵なんかじゃないからね、暴れたら大将だって黙ってないよ、と釘を刺し、佐助は素早く跳躍したかと思えばあっと言う間にひょいひょいと屋根を跳んで姿を消した。慶次は急に軽くなった様な肩にぽかんとして、ひゅうと吹いた乾いた風にぶると身を震わせ唇を引き締め眉を吊り上げ、退いた退いた、と通行人を掻き分けながら番所を目指して全速力で駆け出した。
20071126
文
虫
|