「なあ、幸村」
「なんでござろう?」
 肩の上に夢吉を遊ばせていた幸村が、目を上げた。
「よく睨まれてる気がするんだけど、あんた、俺の事嫌いなのか?」
 ぱちくり、と見開けば存外丸い目が瞬く。
「礼節に欠けたところは、けしからんと思う事は多いが」
「あ、そ……」
「だが、嫌いとは思ってはおらぬ。惜しいとは思うがな」
「惜しい?」
「それだけの力があれば、幾らでも前田の力になれよう。主家が織田である事が気に食わぬなら、お館様に進言して、武田の客将として」
「あー、待った待った! そういうの止めてくれよ。俺は戦なんか嫌いなの」
「それが惜しいと申しておるのだ。此の乱世に終止符を打つには、」
「戦戦で頭おかしくなってる連中にゃ、判んねえだろうけどな。殺し合わなきゃ解決出来ないって、思い込んでるだけじゃないの?」
「それが甘いと申しておるのだ。ならばそなたは、何故戦うのだ」
「戦うって言うか、喧嘩が好きなんだっての。派手でさ、いいじゃねえの。大体、別に俺は腕磨いてるわけじゃないし、それに俺が強いって言うなら、それは守る強さであって、彼の朱槍も、殺すための刃じゃないんだよ」
「其れは」
 幸村は酷く静かに慶次を見た。恐ろしい程澄んだ目が、揺らがず慶次の姿を映す。
 赤獅子の肩に乗った夢吉が、ざわりと毛を逆立てて、ぴょんと飛び降り慌てて慶次の影へ隠れた。
「唯の綺麗事にござる」
 慶次は投げ遣りな溜息を吐いて、頭を振った。
「俺は、あんた達のそう言う所が嫌いだね! 武人てのは、ほんと、なんでこう」
「無粋と言いたいのであろうが、戦に粋も無粋も無い」
「違う、馬鹿だって言ってんだ。刃を交える前に、戦わず済む方法を、考えた事があんのかい?」
 ぐっと、強く眉が吊り上げられた。
「それで、戦わず済む方法を模索する間、民が殺されるを、指をくわえて見ていろというのか!」
「違うよ、そうじゃない。こんな乱世だ、戦わず手をこまねいていたら滅ぼされるなんてのは、判り切ってる。だけどそれと、嬉々として戦をする事は違うだろ。大体、戦をすれば、それだけで土地は荒れて、人は死ぬ。兵に取られた父親が死んで、残された女子供がどれだけ惨めか、あんた、知ってんのか」
 幸村は瞬き少なく慶次を見詰めたまま、応とも否とも言わず、耐えねばならぬ、と返した。
「耐えろ、耐えろって、弱い者ばっかり、いつまでも耐えて挙げ句武士の勝手に殺されなきゃならない世の中なんて、間違ってる」
 頭を振り、吐き捨てる様に言い切って、それから慶次はふっと表情を治めた。
「………悪い、言い過ぎた」
「しかしそれが、お主の信念であろう」
「いや、ちょっと、あんたに関係ないこと、思い出した」
「慶次殿」
 慶次の後ろに隠れていた夢吉が、背をよじ登り肩に座って飼い主の頬に手を寄せるのにも頓着せずに、幸村は変わらず真っ直ぐに見詰めている。
「その、間違っている世の中を、正したいとは思わぬのか」
 顔を上げれば、ゆら、と逢髪が縺れて揺れる。
「あんたの言う正すってのは、結局、虎のおっさんに天下を取らせる事だろ」
「無論」
「お断りだね」
 軽い口調で、けれど笑みもなく顔を顰めて、慶次は軽く顎を引く。
「血塗れの手を汚いとは思わないよ。守る為に戦う事が必要な事だって、あるのは判る。だけど天下天下と大きな口叩いて、大事な事を見失う様な連中とは、一緒にはいらんないよ」
 そうか、と頷いて、幸村はふいに立ち上がった。視線を上げれば、きつく眦を吊り上げたまま、両の口角を上げて、肉食獣の様に獅子が笑う。
「慶次殿、手合わせ願いたい」
「は?」
「貴殿の言い分、一度とくと聞いてみたいと一通り言わせたが、矢張り納得出来ぬ。ならば力で語るしかあるまい」
 貴殿の好きな喧嘩だ、構うまい、と殺気を漲らせたまま傲然と言い放つ幸村に、慶次は戯けて肩を竦めた。
「おお、怖! そんな殺気満々で、どの口が喧嘩なんて言うのかね」
「なんの、易々殺せる様ならば、そもそも貴殿は此処にはおらぬ。いつだったか上田を荒らしてくれた時に、疾うに屍と成り果てていた」
「うわ、俺強くて良かったなあ!」
 はは、と笑い、膝を立てて慶次は傍らの超刀を手にした。
「じゃあ、喧嘩といくか! 手加減しねえからな、泣くなよ」
「無論、手加減など無用!」
 どかどか音を立てて廊下を去っていく二人の後を、夢吉がちょろちょろと追い掛けた。

 
 
 
 
 
 
 
20070622