「こんな夜更けに訪問たあ、頂けないねえ」
 旦那はもう寝てるよ、と屋根から降って来た声に、慶次は目を上げ笑った。
「あんたが出て来ると思ったんだ」
「どうやって門越えたのよ」
「門番の人に、猿飛佐助にいつでも来て良いって言われたって言ったら、通してくれたよ」
「………人の名前、勝手に使うの止めてくれない」
 腰と額にそれぞれ手を当て、はあと大仰に溜息を吐いた、月明かりにも鮮やかな橙色の頭の忍びの一重の袖が、夜風に軽くはためく。加えて、裸足だ。
「珍しい格好してるね。あんたも寝てたの?」
「非番でね」
「女といたとか? 邪魔したかい?」
「まあ、良いじゃないの、どうでも」
 ぽんと結構な高さの屋根から軽々飛び降りて、ほとんど裾を乱さない忍びに流石と手を打ち、慶次はふと、微かな酒精を嗅ぎ取った。
「良いなあ」
「え?」
「酒呑みてえなあ」
「………旦那には朝にならなきゃ会えないよ」
「別に、叩き起こせなんて言わねえよ。あんた非番なら、付き合ってよ」
「勘弁してよ」
 迷惑がりながら踵を返して先導する、そのちらちらと覗く首筋に赤い跡を見付けて、思わず衿に指を引っ掛け覗くと、顰め面が顧みた。
「何なの、ちょっと……」
「あんたの好い人ってのは、随分積極的な女だね」
「嗚呼……まあ、そうね。羨ましい?」
「ええ、いや、それが好きになった人なら、俺はどっちでも」
「あんたなら、引く手数多だろ。人気者なんだし」
「まあ、良いだろ、俺の事は」
 言葉を濁すと、ふいに佐助は慶次を見上げた。
「あのさ、もしかしてあんた、女の経験無いとか」
「へ!?」
 あっ、へえ、そうなんだ、と妙に人の悪い笑みを浮かべた忍びに、慶次は慌てて両手を振った。勢いに驚いたか、懐で寝ていた夢吉が、もぞもぞと動く。
「な、何言い出すんだよ! 幸村に破廉恥って叱られるぞ!」
「だって、変に興味津々だしさあ……へえ、遊び人かと思ってたら、意外にねえ」
「ち、違う! 違うって!」
「誤魔化さなくて良いって」
 嗚呼でも彼れだね、あんた綺羅綺羅してるから、郭の女は気が引けるのかね、と必死の否定も聞かず楽しそうに歩く佐助に、慶次は弁解を諦めてむくれた。
「京の連中は、友達なんだって」
「関係ねえよ」
「大有りだろ!」
「はは、前田の風来坊は純情だ」
 純情に絆されたから、酒にでもお付き合いしますか、と顧みた目が笑って、慶次はむくれたまま、応、と頷いた。

 
 
 
 
 
 
 
20070619