此  処  が  華  咲  き

 
 
 
 
 
 
「伊達政宗……」
 ゆっくりと坂を登り切り、大きくはないが重厚な門の前に立った時、低く呟く様に名を呼ばれた。政宗はふう、と一つ息を吐き、汗を光らせたままにやりと嗤う。
「随分と待たせたな、真田幸村」
「………否。天下人ともなれば、私闘になど暇を割いておれぬのも、道理でありましょう」
「俺にとっては此の命懸けるのに、何ら不満もねえ事だがな。天下の安泰を懸けるにゃあ、理想も展望もなさ過ぎる」
「無論、その様な事、此の幸村とて望んでおらぬ。天下の民の命は即ちお館様の案じた民の命。それを無碍になど、出来ませぬ故」
 相も変わらずかつての虎を信奉する言葉に、政宗はふと苦笑した。
「あんたが天下人になれなかったのは、そういう所だな」
「某は天下を獲りたいなどと思うた事は、一度たりともありませぬ」
「変わらねえな。……しょっ引いてでも下山させて、政務でもやらせときゃあ、良かったか」
 幸村は漸く頬を崩した。昔はその熱気に紛れて殆ど覗く事の無かった、けれど若い頃から確実に持っていた皮肉げな一面が、愉しげに歪んだ唇に浮かぶ。
「何を仰せられるか、独眼竜。幸村が変わらず飢えた虎である事が、貴殿の望みであったのだろう。下界になど居ては、流石の幸村も、唯の人と成り果てましょうぞ」
 竜とは違い、某は人の腹から生まれました故に、と喉を鳴らす様に、政宗は戯けて肩を竦めた。
「ま、俺の母親は、猛き竜だからな」
「矢張り、そうでござったか。女の身で戦場に居座る様なお方が、唯の姫であるわけはないと、思うておった」
「Ha……随分と古い話を持ち出すな、あんたも」
 ふう、と息を吐いた政宗に、幸村はふと笑みを納めてその傍らを凝視した。目玉のない、右側だ。
「………片倉殿は、如何なされた。連れて歩かぬなど、珍しい」
「Huhn? 何にも知らねえのか? 閉じ籠もり過ぎだろうが」
 確かに下界の出来事を報せてくれそうな友人などいない男ではある。しかし忍びを飼っていた筈だがそれはどうなったのだ、と眉を顰め、政宗は溜息を吐いた。
「五年も前に、墓の下だ」
「───戦か」
「戦なんざ、もう十年も前が最後だぜ。病でな」
「それは……失礼仕った。弔問もせず……」
「構わねえよ。どうせ地獄で、また会うんだ。そんときゃあんたが謝ってたって、そう伝えておくぜ」
「否、ならば己で言わせて下され」
 くつくつと笑い、そうだな、と頷いて、それから政宗は薄く目を細めた。
「あんたの所の忍びは、どうした?」
「佐助でござるか」
「嗚呼。死んだか?」
 さて、と首を傾げ、幸村は顎を撫で、遠く下界の梢を見た。
「もう八年も、戻っておりませぬ」
「………そうか」
「戻ったならば、何処で遊んでおったのかと、こっぴどく叱るつもりではおりますが……まあ、戻らぬでも、彼れもまた地獄の住人。某の、往く先ではあります故」
「そうだな」
「政宗殿は、天下の権威は、」
「心配ねえぜ。きっちり全て済ませて来た。俺はもう、隠居の身だ。死のうが生きようが、後は若い連中が、好きにするだろう」
「そうか。ならば、心置きなく」
「嗚呼」
 政宗はく、と薄い唇を引き、尖った歯を覗かせて凶悪に嗤った。
「Partyと洒落込もうじゃねえか」
「政宗殿のその異国語、未だ慣れませぬな」
 兎に角、此方へ、と幸村は門の内へと爪先を向けた。
「此処に来たばかりの頃に、本堂を壊しましてな。建て立て直す金など有りませぬ故、そのまま更地にしてしもうたのです」
「Ha! 罰当たりなこった」
「どの道、貴殿と闘う為だけの場所故」
 神仏は必要とされる場所に安らかに在るべきでしょう、と低く言う男の背は、老いて尚逞しい。政務に追われ続けた政宗と違い、飽くるでもなくただ黙々と勤勉に、日々肉体と技を鍛える事だけに留意した、その結果だ。
「………あんたは、変わらねえな」
「政宗殿は、恐ろしくなられた」
 幸村はちらと目を向けた。その瞳が狂喜に笑む。
「老いた竜は狡猾にござる。此の幸村が出会ったうち、今の貴殿ほど恐ろしい男もいない」
「───Ha!」
 政宗は高らかに笑い、それから低く声を落とした。薄く堪えきれぬ狂喜が滲む。
「なら、独眼竜の雷、とくと味わうんだな」
「無論、食らうつもりにござる。虎は悪食故」
 虎の若子か、と言い掛けて、政宗は最早此の男が若子などでは無い事にふいに気付いた。右目が没してからは一度もまみえてはいないものの過去にも合間合間に顔を合わせてはいたし、ほとんど年の違わない相手もまた年を経ていた事を失念していたわけでは無いが、それでも出会った頃に刷り込まれた、大虎の庇護下で奔放に駆けていた若い虎の、その姿は強烈過ぎた。
 庇護の翼を失い、妻を娶るでもなく、忍びだけを引き連れて、下界を捨てて山へと籠もった此の男の人生を殺したのは最終的に天下を治めた、己であったろうか。
 しかしそんな事は、今更どうでもいい事ではある。政宗は瞬間の回顧に直ぐ様興味を失った。
 幸村が落ちぶれようが人生を謳歌しようが、そんな事はどうでもいい事だ。ただ、武人としての此の男が死なずにいたのであれば、それが政宗にとっての全てだ。
「武田の虎か」
「お館様が、如何致した」
「武田のおっさんの事じゃあ、ねえよ」
 独り言だ、とひらと手を振り案内を促せば、幸村は僅かに怪訝そうに眉を寄せて、けれど直ぐに興味を失ったのか再び足を進めた。
 武人としての政宗にしか興味のない此の男が、今の今までおとなしく待っていた事は僥倖だったな、と考えて、大虎の躾が良いなとうっそりと嗤い、政宗は長い境内の向こうに見え始めた更地の砂煙に、ゆっくりと目を細めた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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転載について


リクエスト内容:真田と伊達の対話(さなさす/まさこじゅ前提OK)
依頼者様:たけさま

20080809
あとは地獄で

未来捏造になってしまった……
おっさん蒼紅ですみません…