風が吹いていた。
 慶次やまつの呼ぶ、木の葉を舞い立てる昂揚の風ではない。地を鳴らし土煙を上げ血臭を巻き上げる、戦場の風だ。
 ばたばたと、酷い音を立てて折れた旗指物がはためいている。同じようにして、びゅうびゅうと音を立てる風に、端が襤褸襤褸に裂けた鉢巻きが滅茶苦茶にはためいて、一括りにした長い髪もまた、千切れんばかりに靡いた。
 慶次は風上を見て立つその横顔を見ながら、顔にもみくちゃに掛かる己の逢髪をわさり、と振った。
 鬼だ、恐ろしい、と囁く声が切れ切れにする。囁くのは敵兵ばかりではない。武田の兵もまた、最早血で塗り替えたかのような赤を纏う幸村を顔色を青くして遠巻きにしている。幸村の忍びですら、戦場の彼の人は、と、まるで普段とは別の顔でも持っているかの様に話すのだ。
 けれどそれは厭な誤魔化しだと慶次は思う。
 戦場に出ようがなんだろうが、人は己の他の何にもなれぬ。ならばこうして恐ろしいと囁かれる彼の赤い男とて、真田幸村に他ならない。忍びと笑い武田の虎と拳を交わす、飯を食い鍛錬をして日々を過ごす、声の大きな若者に過ぎない。
 目の前には屍が広がり、其処此処で呻く声がする。早く手当てをしてやれば、助かる命は多いだろう。けれど呻く声が多過ぎて、どこから手を付けていいものか判らない。それに、敵兵の命を救おうとしたものなら、此の屍の数だけ殺し傷付けて回った幸村と幸村の兵が、慶次に牙を剥くのだろう。応戦すれば、また此の場は荒れる。荒れれば、死人も増えるだろう。
「………あんた、」
 助けてやりたい、助けてやれぬと、悄然と声を出したら悲しくなった。
 半顔を僅かに向け此方を見た幸村の顔は恐ろしく生真面目で、確かに死に、傷付いた兵達の血にまみれてはいたが、鬼でも別人でも無かった。表情こそ多少の違いはあるかも知れぬが、けれど幸村には違いない。
「あんた程の腕があるなら、殺さずに済んだんじゃないのかい」
 ぐうと、口角を引き下げ眉尻を吊り上げて、幸村は身体ごと振り向き爛と光る目で慶次を見た。此の風の中、瞬きの少ない目が、幾らか充血をしている。けれど此の惨状に涙した等と、そんな理由では無い事は知っていた。
 だが、言わずにはおれぬ。
「倒れてる奴等だって、あんたが今此処で指揮をして、助けてやればどれだけの命が拾えると思う」
「勝負なら、受けて立とう」
「喧嘩なら買ってやるよ。ただし、助けられる奴をみんな助けてからだ」
「貴殿は、戦を何だと思っている」
 慶次は顎を引き、眉間に皺を寄せた。
「殺し合いだ」
「判っておるではないか」
 ざり、と風の合間を縫い、足を擦る音がした。下げていた腕に意志が漲り、ほん僅かの構えではあったが、それだけでもう臨戦態勢だと判る。確かに、腕の立つ男ではあるのだ。雑兵など、紙屑の様に斬って捨てる程に。
「不殺を貫くその心意気、お館様も見上げたものだとおっしゃっていた。だが前田殿、貴殿は戦を判らぬふりをする。それが某には解せぬ」
「あんた等は民を守るのが役割だろ。国を豊かに皆を笑顔にしたいんだろう? どうして殺し合いに頼るんだ。その口は飾りかい? その頭はでっかい南瓜か?」
「間に合わぬ───と、申しておる」
「どうして間に合わないなんて判るんだ。もっと考えなよ! あんたは考えなさ過ぎる。その目は節穴か? 此処を見て、どうして何も思わないんだ」
「無論、殺さずに済めばそれが良い」
 ひゅう、と淀みなく振られた槍が音を立てた。どう、と横殴りの風が吹き、遠巻きにしていた兵達がどよめき身を屈める。だが、慶次からすれば未だ若く小柄な躯は、微塵も揺るぎはしなかった。常人とは足腰の強さが違い過ぎる。
 ぎ、と大刀の柄をきつく握り締めると軋む音がした。
「その槍を振るえば、あんたが民と呼ぶ人達は死ぬんだぜ」
「戦に御座る」
「刃物で突かれりゃ痛いんだ。血も出る。死ぬんだぞ!」
「故の、槍で御座る。………貴殿の朱槍にも、刃が付いておろう」
「俺は殺さない!」
 少しばかり首を傾げて考える素振りを見せ、幸村は顎を引いた。
「以前、そなたに佐助が申しておったと思うが」
「……武田の忍びが?」
「武具は喧嘩の道具ではない」
 慶次は唇を結んだ。幸村は槍を構え、身を低く落とす。
「邪魔立てするならば、此処で貴殿を食い止めるが、此の幸村の役目」
「馬鹿言うな。喧嘩じゃないなら、俺はあんたと戦わない」
「では、其処で見ておれ」
 あ、と思った時には驚くほど素早く身を返し、幸村は槍を足場にその身の重さからは思いも掛けぬ程の跳躍を見せた。
 ばさり、と羽撃く音がする。
「───真田!!」
「武田の、天下で御座る」
 粉塵に陰る白い日に黒々と影になる鳥と、それに掴まる細い人影に腕を絡め、見えぬ顔から声ばかりが降った。
「魔王の軍勢等、蹴散らしてくれる。武田が力、とくと見よ!」
 風の合間を縫いぐんぐんと高度を上げる二つの人影と大きな翼に、慶次は鋭く舌打ちをした。
「───糞ッ!! おい、あんたら!!」
 ぐるりと遠巻きの兵を見渡し、慶次は声を限りに叫んだ。
「もう良いッ、早いとこ怪我人抱えて、逃げな!! 直に織田の鉄砲隊が来る!! 立ってるもんはみんな撃たれるぜ! 倒れてる奴らだって、魔王の毒に殺される! 此れ以上、死ぬ事なんか、ねえよ!!」
 だから生きてくれと口の中で呟いて、慶次は風の向こうへ飛び去る鳥の影を追い、駆け出した。
 遙か先、翼の向かう方で、戦の火が再び上がった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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転載について


リクエスト内容:幸村と慶次の話(雑記の幸慶系?)
依頼者様:イチさま

20080405

空気読めないけいじと空気読まないだんな

リクから逸れた感でいっぱいです…す、すみません…っ