花は根に鳥は古巣に

 
 
 
 
 
 
 佐助、佐助と大声を上げなくとも幸村や信玄が呼んでいれば直ぐ判るのに、若い主は何時だって大声で佐助を呼ぶ。
 とは言え人に知れてはならぬ時や、深夜皆が寝静まった頃に眠れぬ酒に付き合え、と呼び付ける時等は静かな声でぽつりと呼ぶから、それを知らないわけではないだろう。彼れでもそれなりに、色々と弁えている青年だ。ただ気合いの力というものを、強く信じているだけだ。
「おお、来たか佐助」
「………はいよ」
 が、大声で呼び出されて聞こえてるよ喚かないでと耳を塞ぐのも困りものだが、此の武田総大将の様に弁え過ぎているというのも、可愛くないと佐助は思う。
 まあ、いい年こいたおっさんが可愛いわけもないけど、と内心で呟いて、佐助は板間に膝を突いた。
「猿飛佐助、参りましたっと。何よ大将。何かお仕事?」
 それとも、と続ければにやりと笑い、信玄は座の裏からいそいそと碁盤を出して来た。やっぱりねと肩を竦めて、佐助は膝を進めて信玄の向かいに胡座を掻く。膝と膝の間に、碁盤が置かれた。
「俺様、あんたが呼ばなきゃ、今頃女のとこで酒でも呑んでる筈だったんだけど」
「酒が欲しいなら、ほれ」
「わあ、準備がいいね。ま、お酒に免じて、休日返上としますか」
「儂と碁を打つのが仕事か?」
「遊びなわけないでしょ。お仕事お仕事」
 言い合いながらも互いにてきぱきと碁盤と酒の準備を進めて、直ぐに杯を酌み交わし、一見礼もなにもなく、しかし信玄が目顔で促してから、両手で持った小さな杯を額に頂き佐助は酒に口を付けた。
「真田の旦那と打てばよかったんじゃないの。彼のお人なら、喜んでお相手してくれるでしょうよ。旦那は、強いよ」
「それは、お主よりは強いがな」
「あっ、それちょっと酷いね。俺様は真田の旦那みたいに、鬼攻めするわけじゃないだけで、勝ち星だけならとんとんだよ」
「幸村の方が強い」
 撤回しない信玄にあっそう、と引き下がり、佐助はぱち、と碁石を置いた。
「じゃあ何で、わざわざ俺様呼び付けんのよ。旦那で不満なら、片目の旦那とかさあ」
「勘助はのう、お主と似た手で来るが」
 ふっふ、と笑い、ぱち、と石を進めて信玄は片手の扇子で軽く畳を突いた。
「彼れは強過ぎて、つい熱が入るでな。今日は奇手を相手にしたい気分だったが、彼れが相手では、ゆっくり酒も呑めぬだろう」
「つまり、俺様くらい弱けりゃ、酒でも舐めながらのんびりやってても勝てるって?」
「腹が立つなら、ほれ、必死になってやってみんか。言うておくが、お主、常道に走れば弱いぞ」
「言いたい放題だねえ」
 戯けた様にむくれた、幼いとは言えないまでも未だ未だ若い忍びに、信玄は目を細める。真田隊にくれてやった忍びではあるが、こうして時折二人で酒を呑めば、里から貰い受けて来た頃其の儘に、どこか生意気で幼い顔が覗くことがある。
「んじゃあ、俺様が勝ったら、そこのお酒下さいよ。未だあるでしょ?」
「儂が勝てばどうなのじゃ」
「旦那に内緒の頼まれ事を、一つして差し上げます」
 ふん、と信玄は面白がる様に鼻を鳴らした。
「幸村に内緒か」
「いいでしょ」
「ばれたら儂もお主も叱られるぞ」
「あんたが叱られる訳ないでしょうが。ちゃんと、俺が言い出しましたって言うよ」
 それにばれる様な下手を打つ訳ないでしょ、俺様が、と自信満々に唇を歪めた此の忍びが、幾らか年下の主に滅法弱い事を知っている。此れの隠し事等、直情の様でいて酷く聡い所のある幸村に、隠し通せる筈など無い。
「儂に有利の賭けじゃのう」
「勝負は水物、終わってみるまで判りませんよ。大体俺は、奇道の打ち手なんでしょ。どんでん返しは十八番ですよ」
 会話の合間にも着々と勝負は進んでいて、言い出した勝負ながら早くも夢中になっているのか、佐助は空の杯を置いたまま腕を組んで碁盤を睨んでいる。信玄は緩く口元で笑い、その杯に酒を注いでやった。
 
 
 
 
 
「それで、ばれたか」
「ばれました。滅茶苦茶怒られたよ」
 軽く睨み付けて、胡座を掻いた忍びは膝を揺らした。忍びの癖に、じっとしている事が少ない。
「大体あんたも、わざわざ奥州に行かせるとか、するから」
「何でも、と言ったのはお主であろう」
「別に旦那に行かせても良かったでしょ、そこは! 独眼竜は壮健であったか、おれも行きたかった、次には是非決着を付けねばと約束しておるのに何時果たせるものか、って煩い煩い」
「それで、傷でも負って帰られては敵わん。何の為の停戦申し入れだと思うておるのじゃ」
「はいはい、あんたが軍神と、戦する為のですよね! あんた結構酷いよねえ。自分の喧嘩の為に、旦那に我慢しろってんだから」
 やれやれと首を振って、佐助はにやにやと見ていた顔に気付いたか、ふとばつが悪そうに首を竦めた。
「すんません、口が過ぎました」
「お主もすっかり幸村の家臣じゃのう」
「あんたが真田隊にくれてやったんでしょうが」
「物扱いが気に食わんか」
「誰もそんなこと言ってないでしょ。つうか、武田も真田も、忍びの扱いは破格ですよ。文句なんか出ませんて」
 でも転職するならもうちょっと楽なとこがいいなあ、とぼやいて見せた佐助に、信玄は眉を上げる。
「馬鹿者。もっと働いて貰わねば、破格の意味がないであろうが」
「だから、忍び使いが荒いっつうんだよ。新しいの連れて来るのに、俺様がどんだけ苦労するか判ってんの?」
「うむ。甲斐あって、真田忍も武田忍も、優秀な者が揃うておるな」
 佐助は顔を顰めて見せた。
「飴と鞭が上手いんだから、大将」
「ほう、飴と思うか」
「ま、ねえ。お館様に褒められりゃ、嬉しいですよ」
 ふ、と、顔を上げて、佐助はついと立ち上がった。
「旦那が呼んでるわ。んじゃ、此れで失礼します」
「儂には聞こえぬが」
「あんたと旦那の声なら、一里あっても俺の耳には届くんです」
 にやにやと戯けて、忍びはばさと鳥が羽撃く様な音を立てて、その場から消えた。
 信玄は腕を組み、一人夜空の月を眺めた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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転載について


リクエスト内容:夕焼けに鎌を研げの前後orさすけとおやかたさまの話
依頼者様:こみさま

20070621
焼け野の雉子夜の鶴

親離れがちょっと寂しいおやかたさま

大変お待たせいたしました…!