ま や か し ブ ラ イ ン ド ネ ス
ぱかぽこぱかぽこと呑気な音を立て石畳を踏んで現れた馬と馬上の人影に、小十郎は首を巡らせ目を向けた。馬上の人は意外なものを見た、とばかりに目を丸くさせ、馬首を返す。 「片倉殿ではござらぬか」 如何致した、とひらと長い後ろ毛を靡かせながら鞍から飛び降り、幸村はいらえも待たずにはっと目を輝かせると大股で詰め寄った。どうにも距離が近い。 「貴殿がおられるという事は、もしや伊達殿も!」 小十郎は渋面を作り、身を反らせて顔に掛かる息と声から距離を取る。 「嗚呼、奥に信玄公とおられる」 「おお、お館様もいらしておられたとは! 流石、お早いお着きよ! こうしてはおれぬ!!」 何が流石なのかは判らなかったが主を声高に賛辞し、ぐり、と躯ごと向き直った幸村はもう小十郎など見えてはいないという顔でばたばたと門の内へと駆け去った。その後ろ姿をやれやれと見送り、小十郎は目の前の馬を見遣る。 戦場で見掛けたように記憶している、幸村の木綿鹿毛のように思えた。その鹿のような美しい色合いに覚えがある。良い馬だ、彼のような無茶な乗り方で潰しては惜しいと、そう思った事を覚えている。 その木綿鹿毛を繋ぎもせずに駆けて行った幸村に、小十郎は此れは捨てていったものと見なして貰い受けても構わぬものかと腕を組んで見上げた。木綿鹿毛は繋がれてもないのに逃げることもせずにおとなしく佇んでいる。 矢張り良い軍馬だ、と顎を撫でて口の端で微かに笑うと、ふるる、と木綿鹿毛が控え目に鼻を鳴らした。 「やだなあ、そんなに見詰めないでよ」 照れちゃうな、と戯けた声に小十郎は大きく瞬いた。咄嗟に腰の物へと手を掛けると、ぶるる、と嘶いて木綿鹿毛は一歩後退り、脚を踏み換えた。 「ちょっと、怖いな! 止してよ!」 言ったかと思えばぱっと音もなく鹿色の巨体が消え、くる、と大きく蜻蛉を切った痩身が危うげ無く石畳に着地した。印を結んだ片手を顔の前に掲げ、低く腰を落としていたそれの、木綿鹿毛の鬣を煮詰めて濃くしたかのような橙の髪が、揺れる。 「へへえ、お久し振りー」 「手前……」 間抜けな笑い声を立ててへら、と笑んだ忍びは、よ、と声を上げて軋みもしない躯を立てた。忍び装束に、腰には得物まで佩いている。戦の姿だ。 「………何処に襲撃に出ていた?」 忍びはぱちぱちと目を瞬かせた。 「襲撃になんか、出てないよ」 「抜かせ。そんな重装備で手前んとこの城下歩くもんなのか、忍びってのは」 「嗚呼、此れね」 軽く両腕を広げて己の姿を眺め、忍びはこきり、と首を鳴らした。 「真田の旦那の愛馬はさ、軍馬なんだけど」 「嗚呼、知ってるぜ」 軽く片眉を上げ、しかしそれについては何も言わずに忍びは続けた。 「こないだ戦で駆け過ぎて、ちょっと脚が熱持っちゃっててさ。別にそのくらい平気で走るお馬さんなんだけど、真田の旦那ってば、城下の視察にも乗ってこうとするからさあ。その程度の事に使うより休ませてやったらって言ったら、他の馬など乗れんとか言い出すし」 「馬鹿だな」 「そう言うなって。彼れでも俺様の主なんだからさあ」 「それで、何で手前が馬に化けてんだ」 「それがさ」 ひひ、と忍びは肩を竦めて苦笑した。 「彼の子と同じくらいの速さで走れるのなんか、お前しかいないだろうとかしれっと言ってくれちゃって」 「………手前は忍びだと思ったが、馬だったってのか」 「忍びだよ、失礼だね。けど、確かに午までに城下の端まで行って戻って来るなんて、その辺の馬じゃ無理だしね。烏で飛んでく訳にも行かないし、旦那負ぶって走るよりは、お馬さんになって乗っけてった方がまだましでしょ。他に護衛連れてたわけでもないし、旦那は太刀だったから、ま、一応念のための装備でね」 小十郎はふん、と鼻を鳴らした。 「なら、主置いて手前が視察に行きゃあ、良いだけの話だろうが」 「あんたうちのご主人なんだと思ってんの? 城代とは言え、一応は上田の殿様なんだぜ。城主が出なくてどうすんの」 それともあんたのとこの独眼竜は城に座ってるだけなの、とむくれる忍びに小十郎は軽く嗤った。 「政宗様と真田なんぞを比べるんじゃあ、ねえ」 「はいはい、そりゃあすみませんでしたっと」 はあ、と溜息を吐いて、忍びは爪先を門へと向けた。 「立ち話もなんだし、中、入らない? 俺様もちょっと疲れちゃった」 「なんだ、飼い葉でも欲しいのか」 「はは、馬の姿ならね、食うふりくらいしてみせるけどさ」 お茶くらいお出ししますよ、と笑う顔には衒いはないが、忍びの貌など造り物だ。小十郎はじっとその目を見詰め、それから踵を返した。 「貰うぜ」 「ありゃ、飲むんだ」 「何のつもりで誘ったんだ、手前は」 「いやあ、あんた忍び好きじゃないって言うからさ。忍びが勧める茶なんかいらないとか言うかと」 「好きじゃねえわけじゃあねえ、苦手なだけだ。何考えてんのか、まるで判らねえからな」 「何考えてんのか易々知れるようじゃ、忍び失格でしょうが」 く、と喉で笑い、先に立ってのんびりと歩き出した忍びについて門を潜る。忍びはどおもー、と気軽に門番に声を掛けて、てくてくと呑気に足を進めた。その呑気すぎる歩調に反し、淀みない足運びは音も気配もなく、早い。視界に揺れる姿と油断するとぐんぐんと引き離されるように思われる早さの落差に、妙な眩暈がしそうだ。 此れと暮らせるのだから真田も武田の虎も理解がし難い、と寄せた眉間の奥で考えて、小十郎は足を早めて追い付きがっしと忍びの高い襟を掴んだ。 「えっ、何?」 気配を感じなかったわけでもないだろうに容易く襟首を掴ませた忍びは、猫の子のように首を竦めて上目に小十郎を見た。 「隣に並べ。俺の目の前に立つんじゃあねえ」 「はあ? あんたの背中に立ったら斬られるじゃないの」 「横に並べっつってんだろうが。手前の足運び、気味が悪いんだよ。目が回るぜ」 「そりゃまた、か弱い事で」 神経太いかと思ってたらこれだ、と溜息を吐かれ、小十郎は片目を眇めて促した。忍びはおっかない、と首を竦め、まるで怖がってなどいない口調で続ける。 「俺様、お馬さんに化けてたってのに、吃驚されなかったのなんか、初めてだぜ」 「驚かなかった訳じゃあねえがな。忍びってえのは、馬も丸呑みするって言うじゃねえか」 「そんな手妻と俺様の術を一緒にしないで欲しいねえ」 「手妻なのか」 「っま、手妻だってこなしますけどね」 でも彼れは忍術なんだからね、とぐっと顔を寄せ小十郎にしてみればどちらでも同じ事をしつこく念を押して、忍びは唇を尖らせた。造り物の貌ながら、くるくると表情が変わる。無表情でいるよりも余程目の色が読みにくく、此れと騙し合いをするのは苦労しそうだと思う。 「まったく、失礼しちゃうよ」 「何にでも化けられんのか」 「限度はありますよ。お馬さんくらいでかい獣に化けるには、相当腕が立たないとね」 「鼠なんかはどうだ」 「さて、どうかな」 「人間は」 うふふ、と忍びは瞳を細めて悪戯小僧のように笑った。 「さあて」 「見たことがねえようなもんにも化けられんのか」 「あ、それは無理。獣もね、知ってるのしか化けられないよ」 「知ってる人間になら、化けるんだな」 「やだなあ、かま掛けちゃって」 まるで引っ掛かったようにも思えぬ軽い口調で言って、忍びはこっちこっち、と手招いた。蔵の間を通り、ふいに裏手の庭に出る。小さい乍らに一歩踏み入れれば繁る低木や咲く季節の花が邪魔をして、あっと言う間に外への視界が閉ざされた。 そのまま花の木の合間の低い木戸を開いて小十郎を呼んだ忍びは、湯気を立てた茶と桜餅が二人分据えてある縁側へと招いた。城ではない。大した距離を歩いたようには思えなかったが、離れに着いたものらしい。何処かの田舎の庄屋でもあるような、曲がり屋だ。奥行きは判らぬが、そう広くないように思える。 無論、此れが忍びの住処であるのなら、表の佇まいなど何の参考にもならぬのだろうが。 「………迷い家みてえだな」 人の気配もないのに用意されていた茶に何げなく呟くと、さっさと縁側へと座り込んでいた忍びがきょとんと見上げた。 「え、何?」 「知らねえなら、いい」 「何よ、気になるなあ」 「いいって言ってんだろうが」 ちぇ、とつまらなそうにする忍びを無視して、小十郎は腰の太刀と脇差しを引き抜き、傍らへと置いて座った。忍びは未だ得物を下げたままだ。 その血腥い姿で、籠手も嵌めたまま器用に猫手を避けて桜餅を頬張る様を眺め、小十郎は湯呑みを取った。淹れ立てのようで、心地良く熱い。 ふいに、隣の忍びが動いた。ちらと視線を向けると、いつの間にか平らげたものか桜餅を掴んでいた筈の手に何かを握り、ぱらぱらと庭へと撒く。同時にぴゅうと口笛を吹くと、ぱさ、と羽撃く音を立てて黒い影が次々と舞い降りた。 「烏か」 「うん。可愛いでしょ」 「目障りだ」 酷えな、と口先ばかり抗議する忍びに、畑を荒らすんだ、と溜息を吐いて、小十郎は桜餅を手に取った。仄かな塩味が美味い。 「何処のだ」 「うちの、うちの。美味いでしょ」 「真田のとこの、下働きか」 「じゃなくて、うちの。うちの隊の、厨の子の……っとお! 吐かないでよ! 毒なんか入ってねえよ!」 思わず顔を背けて吐き出そうとした小十郎に慌てて騒ぎ、忍びはんもう、と憤慨して見せた。 「酷いお人だな! 幾らなんでも今此処であんたを毒殺なんかして、独眼竜が黙ってる訳がねえだろ! そんな馬鹿な事しでかすように見えてんなら、ほんと舐められたもんだよ!」 「用心して頂いて忍び冥利に尽きるとか、そう言う事を言え!」 「此処まで平気で付いて来て得体の知れねえ茶まで飲んどいて、今更なんだってのよ」 嗚呼もう、と低くうんざりと呟いて、忍びは籠手を外した。食べる前に外せばいいものをと苦々しく眺め、食い差しの桜餅に目を落とし、小十郎は残りをぽいと口に放った。 「美味いでしょ」 「……まあな」 ひひ、と歯を剥きだして童のように笑い、忍びはがしゃ、と腰から外した得物と籠手を一纏めに傍らへと置く。互いに得物で挟まれて、呑気に忍びと庭を眺めている様は妙としか言いようがない。しかも庭で稗を突いているのは、小鳥ならぬ大きな烏だ。 小十郎は片胡座を掻き、頬杖を突いた。主と虎との話は長引くだろう。今回の訪問で重要な政治的な話がある訳ではなかったが、碁を楽しみにしていたようだから直ぐに碁盤を持ち出す筈だ。虎は小十郎との勝負も所望していたようだったが、主を差し置いてまで打つ気はない。それに、勇んで駆けて行った虎若子の事もある。手合わせなどと言い出したなら、日も暮れたと誰ぞが止めるまでは続くだろう。となれば、今日は此処に足止めだ。 時間は腐るほどある、とくわ、と一つ欠伸をすると、密やかに傍らの影が笑った。 「お疲れだね、右目の旦那」 「まあな。馬になって駆けた訳じゃあねえが」 「そうかい」 ふふ、と息を吐くように小さく笑い、ふいに肩へと前触れなく羽織が掛けられた。どこから取り出したものか、まるで見当が付かない。 「なんなら、昼寝でもしてったらどうよ」 「出来るか、阿呆」 「あんたの主の用が済む前には、起こしてやるからさ」 「こんなとこで寝ちゃあ、二度と目が覚めねえだろうよ」 目を細めて庭を眺め、冗談めかして口元に笑みを浮かべると、忍びはそうかい、ともう一度笑みを含んだいらえを返し、それからひそりと囁いた。 「なんたって此処は、迷い家だもんねえ」 忍びなんざ物の怪だよ、と耳へと滑り込んだ声は、密やか過ぎる癖にまるで途切れず、耳許に口を寄せているかの様に息遣いと共に届いた。 何だ此の声は、とぎょっとして顧みれば、離れた気配もなかったというのにいつの間にか立ち上がっていた忍びは、うん、と一つ伸びをした。装束に覆われていた胴が剥き出しになり、胴当て越しにも何処に身が入っているのかと不思議になる程の痩身を、ぐり、と大きく捻る。 「………ん、何? 化かされたみたいな顔しちゃって」 ぐいぐいと躯を伸ばしていた忍びは、きょとんとした顔で首を傾げた。小十郎は暫しその間抜け面を睨み、それから盛大に溜息を吐いた。 「矢っ張り忍びってのは、苦手だぜ」 忍びはく、と声なく笑んで、そうかい、と三度同じいらえを返した。 |
リクエスト内容:幸佐+政小で佐助と小十郎が仲良しなお話
依頼者様:麿さま
20090208
迷い家ってのは遠野のあれこじゅろはさすけを信用してるんじゃなくって
政宗さまを信じている という話(わかりにくい