誰に聞いたのか、何処で見たのかは忘れてしまった。兎に角、まだ弁丸と言う名で、時々佐助が手を繋いでくれていた年の頃、子を成す為には男女がまぐわうものだと知って、其れはどう言う物なのかと尋ねたのだ。
佐助は驚いて、そんなの何処で聞いたのさ弁丸様、と言って、けれどまだ早いとかいけないことだとは言わずに、幸村の手を引いて城下の町外れに連れて行った。
時々佐助と散歩をする時に通る道だったが、其れを外れて野良猫の溜まり場になっていた打ち捨てられた古い小社で、発情した猫の交わりを少し離れた所から手を繋いだまま眺めて、どう思う、と訊かれたので、幸村は正直に、あんまり美しいとは思えない、と答えた。
佐助は頷いて、まぐわいはあんまり美しくないし、人間のものはもっともっと醜くって間抜けで汚い物だけど、でも多分、弁丸様が将来奥方様と閨を共にする時には、いい匂いがして、とっても美しくて、気持ちが良くて、優しくて幸せな物になるよと少し首を傾げる様にして笑った。
それから佐助はまた幸村の手を引いて、今度は野花が咲く休耕田へと連れて行った。雛菊の真ん中で、躯を黄色くしてもぞもぞと動いている虫を指差し、佐助はほら、此れが花の交尾、と言った。不思議に思って眺めていると、虫はぷうんと飛んで行ってしまった。黄色くなった躯が愛らしい。花粉を散らされ薄桃色の花弁に黄色い点々を乗せた雛菊も愛らしい。
暫く佐助と一緒に野菊を眺めて、それから夕焼けに追い立てられて帰った。具体的に何をどうするか等という閨の作法は結局後になっても佐助から聞く事はなくて、理由を尋ねればそんなもん俺が知るわけないじゃないと呆れられた。平民と武家では閨の作法も違うに決まっていると、そう言う意味の様だった。
けれど実際は、知らない訳ではなかったのだ。戦忍として真田の家に上がる事が決まっていた佐助は、武家の作法には幸村よりも詳しい。実際佐助が其れをする事は無くとも、その小さな頭に知識はきっちりと詰め込まれて居た。朴念仁にも程がある幸村は、其れに幾度助けられたか知れない。
だから、初めて佐助と閨を共にした時にも、その後も、普段の肩肘張らない様子が嘘の様に酷く従順で、大人しく、幸村の手を煩わせる事無く、佐助以外の人間と睦んだ事は無いから想像でしかないが、まるで乙女の様で酷く違和感だった。
小姓でも無いのだし、もっと気楽にしろと言っても声も言葉も無く微笑むばかりで、滞りなく事を済ませてさっと身支度を調え畳に手を突き頭を下げて、出て行ってしまう。共寝を望んでも、朝には矢張り姿は無いのだった。
佐助は閨に居る間、ほとんど口を利かなかったし、声も出さなかったから、灯りを落としてしまうと幸村にはその指先に時折触れる傷跡の感触でしか佐助である事を計る事が出来ない。肉の薄い骨張った躯も柔らかい髪も佐助の物なのに、普段そうそう触れる物でも無いから安堵するには至らない。
だから、思わず口を突いて出たのだ。意味が無い、と。
何がだと問うた佐助に、しまったとは思いはしたものの今更悔いても遅いと思い直し、幸村は憮然としたまま、自分は別に、致したいからお前を閨に呼ぶ訳ではないと答えた。
「佐助で無くば厭だ」
不可解な顔をしている佐助に、幸村は懸命に続けた。
こう言った、まるで惚れた女に想いを告げるような真似は経験が無い。真摯に、誠実に胸の裡を吐露するしか、幸村には出来る事は無かった。其れしかないなら全力でそうするしか無い。
「女の様な振りをしなくても良い。おれは、佐助が良い」
佐助は暫し眉を寄せて幸村を見詰めたまま、じっと動かずに居たが、やがてふと肩の力を抜き、困った様に首を傾げて、昔猫の交尾見たの憶えてる、と尋ねた。幸村は頷く。
まぐわいは醜いのだと、けれど幸村の其れは美しくて優しい物だろうと、佐助はその時そう言った。
実際、相手が佐助であるからか匂いは無く美しいのかどうかも計りかねたが、優しくて幸せで気持ちの良い物である事は間違いが無かった。痛みも辛さも何も無くて、ただふわふわと、段々と温かになる躯を抱いて、心地の良い気持ちになるのだ。
「俺そのまんまを抱こうってなら、辛いし汚いし色っぽくも無けりゃ、腹も立つかもよ。萎えるよ」
だって俺様忍びだし男だもん、お姫様でも綺麗なお小姓でもないからねと、佐助はまた首を傾げて此方を見詰めた。返答を待っているのだと気が付いて、幸村は頷く。
「構わぬ。おれは、お前が良い」
嗚呼、そう、馬鹿だねあんた、と唇を歪める様にして嗤って、ふいに伸びて来た手が着物の襟を掴んだ。何事だと瞬いている間に、ねっとりとした、質量のある、濡れた肉が唇を舐めた。
余りに驚いて、一瞬頭が真っ白になった其の隙を突いて、胡座を掻いていた幸村の足へと乗り上げた佐助の手が後頭部に回る。
唇で食む様に口を塞がれて、佐助、と名を呼ぼうと開いた其処へ、舌が滑り込んだ。気構えが無くそのまま侵入を許してしまうと、歯列の裏を、上顎を、舐め尽くす様に其れが這い回る。幸村は慌てて、背や肩に絡み付く腕を掴んで引き剥がし、舌を追い出した。
「佐助! こっ、この様な明るい裡から、お前何を……!」
「何、旦那、夜に綺麗に布団敷いて在る寝間じゃなきゃ、厭なの」
「いっ、否、そうではないが、しかしせめて陽が落ちてから」
「俺は厭だね、今が良いな」
膝に乗り上げ、首に両腕を絡めて間近で覗き込む明るい色の目が、恐ろしく濃い夕焼けの様な色をして居た。唇は笑みに歪んだまま、いつも色の変わらない顔は今も白いまま、骨張った指が手遊びのように背に流された幸村の髪を絡めて居る。
長い付き合いの中、一度も見た事のない顔を、して居た。
「佐助、何故だ。後数刻が我慢ならぬと言うのか」
「だってそうでしょ。あんまり面白い事言うから」
ふふふ、と笑って、佐助は額を肩口に擦り付ける様に懐いた。重みが掛かり、慌てて背に腕を回して抱き締めるように支えると、また笑い声が低く耳を擽る。
そう言えば、普段佐助は幸村に触れて来ない。全く触れないと言うことは当然ないが、幸村がその腕を取る事は有っても、佐助から触れる事は稀だ。
子供の頃は兎も角、主従としての関係が明確になってからはずっとそうで、少なくとも、こうして髪を弄り、首に縋り付く様な不遜な真似はした事が無かった。
幸村もそれで当然だと思って居たし、特に主従の域を越えた接触を望みもしなかったが、今の佐助は不遜そのものだ。言葉や態度は一見傍若無人でも、従者の立場は弁えて居る普段が、何だったのか思える程に。
小さくくすくすと笑う様は浮かれた様で、においを嗅ぐ獣の様に頻りに鼻先を擦り付ける佐助は、それ以上の事をするでもなく大人しく腕の中に居る。足の上にすっかりと乗り上げられて居るのに、幾ら細身とは言え大の男である筈の、抱え上げれば其れなりの重量はある筈の躯はまるで負担にならない程に軽い。体重の掛け方が、常人とは違うのだろう。そう言えばこの忍びは、到底躯を支えるには至らない程細い枝にも、平気ですらりと立つのだ。
幸村は背に回した腕に力を込めた。ぎゅうと躯が密着して、触れた胸から速い脈が知れる。
驚いて僅かに身を離し佐助の顔を覗き込むと、忍びは不思議そうに首を傾げた。その顔色は先程と同じに白いままなのに、触れる躯に巡る脈が、駆けずり回った後の様に、速い。
嗚呼、此れはおれの事が好きなのだ。
そう思った途端に、火が出るかと思う程、かあっと顔が火照った。逆上せた様な顔になったのだろう。佐助が大きく目を見開いた。その口が何かを言う前に、幸村は橙の頭を掴み引き寄せて、己の其れで塞ぐ。
微かに低く、けれど背筋に悪寒が駆ける程甘く、ほんの僅かに呻きが聞こえて、幸村は気持ちなど置いてけぼりのまま、引き出した舌に噛み付いた。
>>2
20061223
陽炎稲妻水の月
文
虫
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