ひゅお、と空を切る音がする。
両手に携えた槍を回転させ、迫る刀を弾いた忍びは軽く後方へと跳躍し、得物を淀みなく構えて見せた。幸村は知っている。彼の、隙の無い何気なくも思える構えを得るには、其れなりの鍛錬が必要だと言う事を。
忍びの構えは完璧だった。しかし遠い、と幸村は口の中で呟き腕を組む。同時に一つ難しげに唸った忍びが、構えを解いて溜息を吐いた。相手をしていた才蔵が、太刀を鞘へと戻す。此方は此方で、居合いの真似事をしていた様だ。
「ちょっと遠いなあ。反撃が難しいや」
「長物だからな、そう距離が近い必要は無いが」
「でも俺様の手裏剣程遠く無くっていいわけよ。って言うか、こんだけ遠いと槍届かねえし、そもそも旦那の戦い方じゃねえなあ」
言葉に一つ瞬いて、幸村は腕を解いた。
「───何だ。おれの真似事をしていたのか」
ぎょっとした振り向いた佐助に、らしくもない、気付いて居なかったのか、と才蔵の呆れた声が掛かる。
「いや、だって、こっちに集中しててさあ。て言うか旦那、いつから見てたの」
「先程来たばかりだ。早いな、二人とも」
「つか、旦那が早いんですよ! もうちょっと使ってられると思ったんだけどなあ」
「申し訳無い、今場所を空けます」
構わぬ、と言ってもさっさと片付けを始めてしまった二人の忍びは聞く耳を持たない。誰かの鍛錬に付き合って二人が此の練兵場で得物を振ることは無くはないが、忍びだけで使う事はまず無い。山中や林の中で行う方が効率がいい、という事だが、今日の様な長物を扱うには、流石に広い場所でなくては無理だったのだろう。
「にしても、何故槍など。使いたいのなら、某が教えてやろうか」
「うえ、勘弁して。まだ旦那に相手してもらえる程の腕じゃねえよ」
「だから教えてやろうと言うのに」
「勘弁してよ、俺様夕方から任務なんだよ。あんた熱が入ったら、ほんと日が暮れるまで延々鍛錬じゃねえか。くたくたでお仕事なんか行きたくねえよ」
軟弱だな、と鼻を鳴らすとはいはい軟弱ですよといい加減な返事をして、佐助は片付けた槍を担いだ。其れに手を伸ばし取って、幸村はこの位置だと柄を示す。
「もう少し前を握れ。後の柄は棒術の様に使え」
「でも此れじゃ、短槍並じゃねえ?」
「短槍だと思え。そもそも、刃先で突くことはそう無い。長槍を二槍使うならば、棒術のつもりで使え。突くも斬るも、二の次だ」
へえ、と呟いて佐助はまじまじと槍を見た。
「確かに、旦那は此の位置で握ってるな。けど、結構刃先も使ってるような気がしてたけど」
「割合を考えろ。慣れぬうちは無理に刃を使おうと思うな。単槍持ちの長槍兵なら、そうとも限らないが、そうではないだろう。其れからお前は身が軽過ぎるのだ。跳ぶ時は加減しろ。間合いを考えろ」
ふうん、と呟いて槍を見て居る忍びが頭の中で目まぐるしく考えを巡らせて居ることを幸村は知っている。
じっと其の色の薄い目を見て居ると、やがて視線を上げた佐助は申し訳なさそうに笑った。
「旦那、ほんのちょっとだけ、此処貸してくれる?」
「構わぬ。相手をしてやろうか」
「いや、いいよ。才蔵」
うむ、と頷いたもう一人の忍びは、片付けた筈の太刀を再び構えて、既に位置に付いていた。
幸村は佐助から離れ、再び腕を組んで対峙する二つの影を見る。戦場に出る時の様に戦装束を纏って居ない、帷子も付けて居ない忍びの躯は、其の手にある得物が不似合いな程に細い。ただ華奢に思わないのは、そのぴんとした姿勢の良さとしなやかな線に寄るものだろう。
山猫の様な、野生の様な色に縁取られた、けれど決して悟らせる事はない気配が、今は殺気となって互いに向かう。
ぞっと、悪寒の様な歓喜の様な痺れが背筋を走り、首筋の毛が逆立った。
ひゅ、と微かに、けれど態ととしか思えないほど鋭く空を切る音をさせて、佐助が二槍を反転させた。つ、と爪先が出る。しかし腰を落とし、腰溜めに柄を掴んだままの才蔵はぴくりともしない。
「う、おおおっ!」
才蔵にやっていた目をはっと瞠り、幸村は己が忍びに視線を転じた。其の時にはもう、本当に此れの声だったかと疑うほどに通りの良い、肚に響く声で吠えた佐助は構えた二槍で才蔵へと躍り掛かって居て、瞬間白刃が煌めき、かっ、と乾いた音を合図にしたように双方共が後方へと飛び退った。
其の儘再び間合いを詰めようと一瞬体重を前方に傾けた佐助が、ぴたりと躯を止める。ふっと溜息の様に呼気を逃がした才蔵が、太刀を鞘に収めた。
「あー、一本駄目にしちゃったわ」
持ち上げた左の槍の、後方半分が、つとずれたかと思うとからん、と音を立てて転がった。
「才蔵、斬るなら此のさ、鉄当てて在るとこにしてくれよ」
「未だ其処まで加減出来ん。嫌なら自分で加減しろ。大体お前こそ、殴るなら急所以外にしろ」
じわじわと赤みを増してくる首筋に手を当てて睨む才蔵に其れこそ無茶を言うなと憤然として、佐助はくるりと振り向いた。
「いやあ、お待たせ。どうぞ使って下さい。俺等引き上げますから」
言いながらすたすたと脇を素通りし掛けた佐助の腕を、幸村はぐっと握って引き留めた。咄嗟に救いを求める様に忍びの目が才蔵の方へと向けられたが、相棒は疾うに姿を眩ました後の様だった。
「………あの、旦那。俺様、今日はお仕事が」
「鍛錬に付き合え!」
「否、だからね」
「無理はしなくて構わぬ。あんな仕合いを見せられて、滾るなと言う方が無理だ!」
「ど、どんな仕合いだよ! 大したことしてねえだろ! 旦那にしてみりゃ、遊びみたいなもんだろ?」
「何を言う。彼れだけの殺気を向け合っておきながら、遊びだと! 佐助、お前、おれとの手合わせでは気を抜いていたな!?」
「い、いやいや! そんな事無いって! 超必死だって! 旦那に敵うわけないんだからさあ……」
「煩い、言い訳は聞かぬ!!」
がん、と槍を突き出せば、あからさまに厭な顔をして佐助はやれやれと首を振った。
「何だってんだよ、全く。理不尽この上ないって感じだよねえ」
「何が理不尽なものか! 大体、おれの真似をするなら二槍だけでなく単槍遣いも覚えておいて損はあるまい」
今日はお前の為に単槍を見せてやる、と言い放てば、何か言いたげに口を開いた佐助は、結局溜息だけを吐き出して押し付けられていた槍を受け取った。
「もう、本当に、午までですからね。午後まで付き合ったんじゃ、ほんとにお仕事行けねえよ」
「佐助」
はあやれやれ、ととんとんと槍の柄で肩を叩きながら練兵場へと歩き出した佐助が、首を捻って幸村を顧みた。
「何です?」
「某の影武者など、必要は無いが」
「無いってこたあ、無いでしょ。何事も用心しといて損はなしってね。大体、あんたの真似なんか出来んの、俺様くらいよ」
「うむ。だから、必要とあらばお前に任す。だが、佐助」
「はいはい」
「お前は他の者の影になる必要はないぞ」
喩えお館様でもだ、と真っ直ぐに見詰めて言えば、そりゃあ背が違い過ぎですけどね、とぶつぶつと呟いて頬を掻き、軽く首を傾げて、其れから忍びはくるりと背を向け再び歩き出し乍ら片手を上げた。
「判りましたよ、っと」
うむ、と頷き、何故か頑なに此方に背を向けたままどんどん行ってしまう佐助に首を傾げ、幸村はその赤髪を追って歩き出した。
20070225
振動雷電
照れさすけ
文
虫
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