きらきらとした薄い金色の髪に茶の瞳の少女は、すらりと背が高くどこか大人びた顔をしていた。一見佐助よりも年が上には見えたがもしかすると異国の血が入るのかも知れず、であれば見た目の印象よりは幾つか下かもしれなかった。どちらにしても、同じくらいの年だろう。
 だからなのだろう。その月の化身のような色をした、けれど目立たぬ風貌が主のこの里では異様に目立つ少女を長は佐助に託した。
「色々案内をしてやんなさい。不慣れだろうから、ちゃんと面倒を見てやるんだよ」
 それも修行だと言われれば、了解しましたと頷くしかない。
 
 仏頂面の少女は名をかすがと言った。
 
 
 
「………お前、伴天連か?」
「はあ?」
「頭が紅い」
「ああ、知らね。気が付いたらこんなだったし」
「拾われ子か」
「それも知らないなあ。師匠に訊けば判るかもしんないけど、訊いたことなかった」
 知りたくないのか自分のことなのに、と眉を顰めるかすがに佐助は苦笑してわしわしと癖の強い髪を掻き混ぜた。
「ここに居るのはほとんど拾われ子じゃないの。里で生まれた子だって里の者みんなで育てて親が誰かも判んなかったりするし、大体、お前が前いたとこではどうか判んないけど、こっちは戦忍ばっかりだからさあ。あんま、そういうの、ないんだよね。みんなぽろぽろ死ぬから、気にしてらんないっつーか」
 一言で里と言ってもその中にいくつもの集落がある。佐助が居るのは戦忍の集落で、かすがは別の集落にいたのだが、その目立つ容姿と高い背が忍ぶのに不向きと判断されたのか、こちらへ回されて来たのだった。まあ気も強そうだし、こっちのが向いてんじゃないかな、と佐助は気楽に思う。どっちにしたって死ぬ時には死ぬ。
「そうだな、こっちはみんな背が高いし大人も体格がいい気がする。お前も背が高いな」
「ああ、そうだね、里の中じゃな。でも町に降りれば俺は小さい方だと思うぜ。まだ伸びはするだろうけどさ。でもお前は………女にしちゃ、でかいよね」
 俺よりでかいな、と自分の頭に水平に構えた手を額の辺りに翳してやれば、かすがはうんと頷いた。
「前にいたとこだと、大人でも私よりも小さいのも居た」
「お前こそ異人の血が入ってんじゃないの」
「判らないけど、そうかも知れない。ものにならなければ色町か見せ物小屋に売るしかないと」
「お前じゃ無理だよ、厭な客でも来たら殺しちまわあ」
 げらげらと笑って見せるとかすがはむっと頬を膨らまし、どかりと佐助の臑を蹴った。それをわざと避けずにいてえと笑って見せると、ようやくきつい顔が綻ぶ。
「お前はそういうところに売り飛ばされてもどうとでも出来そうだ」
「わあ、勘弁してよ。俺これでも優秀なの、将来有望なんだよ」
「お前は手足が長いな。腰の位置が高いから背が高く見えるのか。赤毛だし、猿みたいだ」
「天狗と言って!」
 軽口を言い合いながら一通り集落を案内し、佐助はそう言えば、と首を傾げた。
「お前、影の技が得意なんだって?」
「影?」
「分身の術」
「ああ、」
 かすがは頷いた。
「師匠にそれだけは褒められた」
「うわ、いいなあ、教えてくれよ」
「……優秀なんじゃなかったのか? 出来ないのか、お前」
「いや、出来るんだけどさ……」
 うーんと唸り、見せたほうが早いと佐助は林の中へと手招いた。同じ集落の者しかいないとは言え、誰彼構わず手の内を明かすことはしたくない。特に苦手なものとなれば尚更だ。
「見てて」
 うん、と頷き少し離れて見ているかすがの前で、佐助を印を組み軽く息を整えてふっと瞑目した。ぶわ、と身の裡から何かが剥がれていくような感触がして、ぞわりと項の毛が逆立つ。この感覚は、余り好きではない。
「………分身になってない」
「いや、一応……分身」
 ほら、とひゅと苦無を投げ付けて見せると、身の裡から分離した真っ黒な影は同じ動きをした。降る葉を蹴ればやはり同じ動きで、近くの木の幹を蹴り付ける。鈍い音がして、どさどさと葉が降り影の足下を埋めた。影の目が、赤々と光る。
「分身には違いないんだけど、どうしても真っ黒にしかなんなくて」
 かすがは無言で懐から綺麗に磨いた鏡を取り出し、ぐいと佐助の目の前に突き付けた。痩せた、見窄らしい子供の生白い顔が映る。
「………何」
「自分の顔をよく観察しろ」
「はあ?」
「躯もだ。水浴びでもするときには隅々まで見ておけ。背中も腋も足の裏も股の間も全部」
 
 それから触れ。
 どんどん大人の躯になって行くから日々骨の形が変わる。だから毎日触ってどう変わったのかを覚えておけ。傷跡が増えたら舐めてでも形を記憶しろ。
 睫の数まで覚えろ。黒子の位置を把握しろ。髪の長さを見ろ。
 髪の色を見ろ。
 目の色を見ろ。
 膚の色を見ろ。
 
「お前自分の姿が嫌いだろう」
「いや、別に……女でもあるまいし」
「女だとか関係ない。忍びであるなら自分の躯に好きも嫌いもない。それは道具だ。何より大事で何より使い込まなくてはならない、最後の最後まで持ち続ける道具だ。愛用の道具を良く見て憶えておくのは当然のことだろう」
 呆気に取られてはあ、と頷くと、真っ黒な影が消えた。それをちらりと視線で追って、かすがは小さく溜息を吐き佐助に鏡を押し付けた。
「やる」
「え、いや、俺も鏡は持ってるし」
「磨いてないだろう。馬鹿め、鏡は顔を見るためだけに使うものじゃない。苦無を持つなら鏡も持ち歩け。………それから、それだけやってもし駄目なら、諦めろ」
「ええ?」
「未熟だが、術としては完成はしているように見える。しかし分身は相性があるだろう。出来ない者はどれだけ鍛錬しようがどれだけ優秀だろうが、出来ない」
 お前は影の気が強いのかもしれない、ときっぱりと言うその目に翳りはない。やけに真っ直ぐでまったく忍びらしくない。
 ふへえ、と間抜けな声を上げて、佐助はまじまじとかすがを見た。
「お前、格好いいね」
「は? 何を言い出すんだ。真面目に聞いていたのか?」
 まったく巫山戯た奴だ、とむくれたかすがに笑い、佐助は印を組んで見せた。
「でも俺、霧の術は得意なんだよ。霧隠れ」
「霧隠れって、伊賀者の縁者か、お前」
「違うって。なんか判んないけど出来るだけ。師匠も出来ないんだぜ。凄えだろ」
「……そうだな、珍しい。この里では他に出来る奴を知らない」
 やっぱり影の気が強いのかもな、と生真面目に頷いて、かすがは木に刺さった苦無を引き抜き佐助に差し出した。それを受け取らず、細く白い手に握らせる。一見すんなりとした人形のような手だが、触れれば関節が太く意外にごつごつとして、忍具を握り続けた手なのだと判る。しかしやはり女の手だ。背は佐助よりも高いのに、その掌は、すぽりと包めるほどに、小さい。
「やるよ」
「私にも愛用の苦無くらい、」
「これ、もう俺には小さいの。でも切れ味良いしいい形に仕込んだから投げても狂いが無いし、勿体なくて持ってたんだけど」
 だからやるよ、鏡のお礼、と言えば、苦無などいつ無くすかも判らないぞ、と肩を竦めながらもかすがは素直に懐へと仕舞った。
「貰っておく」
「うん、そうして」
 にか、と笑い、佐助はとんとかすがの肩を突いて踵を返した。
「じゃ、戻ろうか。お前んちに案内するから。俺んちの隣」
「長屋じゃないのか?」
「うん、俺は師匠んちだったとこに住んでんの。長屋空いてないから、お前は空き家になってたとこね。掃除は昨日しといたし、雨漏りも戸の立て付けも直しといたけど、どっかおかしかったら言って」
 竈も使える筈だけど、と言えばそこまでしなくとも、とかすがは呆れた溜息を吐いた。
「私はここでは新入りなんだから、自分でやらせればいいのに」
「今夜から雨だぞ。山越えて来た日に雨漏り隙間風の家じゃ厭でしょ。俺んち泊まらせる訳にもいかないし」
「何故」
「今師匠いないけど、いつ帰ってくるか判んねえもん」
 かすがは僅かに黙った。それからそっと、師匠は何処に、と気遣うような声が掛かる。佐助は苦笑を浮かべて肩を竦めた。
「さあねえ。去年の夏に仕事だってどっかに出てって、戻って来ねえからさ。死んだんじゃねえのかなあ」
「………そうか」
「あれ、やだなあ、何しんみりしてんの。俺の師匠ってしぶといから、死んだとも限んねえし、単に仕事長引いてんのかもだし気にすんなよ。どっかの城か屋敷にでも紛れてんだとすれば一年や二年は掛かるもんなんだし」
 うん、とこくりと頷いて、足を弛めた佐助に並び、かすがは俯いたままだ。
「………私の師匠は死んだんだ。小指の骨だけ、貰った」
「ああ、そうか」
「しくじって死んだわけじゃないぞ」
「うん」
「立派な人だったんだ」
 そうか、とよしよしと蜜の様な髪を撫でると、すんと鼻を鳴らしてかすがは顔を顰めた。
「子供扱いするな」
「してねえよ」
 お前は偉いね、格好いいよと言うと、かすがは子供扱いするなともう一度言って、ぷうとむくれた。
 ああこの子は未だ子供なんだなと、佐助は思った。
 
 懐に仕舞った磨いた鏡に映った顔もまた、戻らぬ庇護者に縋るばかりの見窄らしい子供でしかなかった。

 
 
 
 
 
 
 
20061205
筒井筒 せいくらべ 髪のいろ