其の文をぱらり、と広げると、辿々しくも可愛らしい平仮名の羅列が目に入った。読みやすく綺麗な字をして居るが、如何せん可愛らし過ぎる。
「Hey、小十郎。何処の女に惚れられた?」
宛名に書かれた殆ど仮名の『りゅうの右目どの』の文字を眺めて居た主が、からかいとも不審とも付かない声でそう言ったが、まあ無理もない。女文字の文が、桜花と共に届く等、恋文で無ければ何だと言うのだ。
とは言え。
小十郎はちらりとその桜花の納まった小壺を見遣り、唇を曲げた。きちんと蓋の付いた其れには、桜花は桜花でも、過ぎた春の名残の花が、塩漬けにされて佳い香りを放って居る。
もう一つ共に届いた品は味噌で、以前奥州に来た際に畑を褒められくれてやった、野菜の礼らしい。読み掛けの文に目を落とせば、貰った野菜の漬け物が旦那と大将に評判が良く、お礼に味噌のお裾分け、今度奥州の漬け方を教示されたし、ともっと柔らかで単純な言葉の羅列で述べられて居る。
此れを、政宗の口に入れる訳にはいかないだろう。かと言って、小十郎が食すのもどうかとは思う。誰かに毒味をさせるのも気が引ける。
敵国の忍びの作った物など。
誰の口にも入る事など無いと、其れを承知して居ない訳では無いだろう。世事に疎くも思える忍びの主なら兎も角、世の中の酸いも甘いも、噛み分け呑み込む程達観出来る年では無さそうだとは言え、頭では判って居る筈の忍びが其れを承知して居ない訳は無い。
「小十郎。誰からだ」
包みをひっくり返し署名も何も無いのを確かめて、政宗は言い募った。流石に無遠慮に文を覗いて来る事はしないが、そうしたくてうずうずしているのは胡座の膝を頻りに貧乏揺すりして居る所からも見て取れる。
小十郎は、はあ、と曖昧に返して、更に文に目を走らせた。口を開けば本当に忍びかと疑う程にぺらぺらとお喋りな癖に、文の中では辿々しく、まるで子供の様に丁寧に、季節の話や、奥州にはもう雪は有るのか、主共々風邪など召されぬ様、等、気遣いと優しさの溢れた言葉が並んで居る。其れでも流石に本分を忘れる訳では無い様で、其の優しい平仮名からは、現在の武田の、真田の情勢は一切伺えない。
似合わない文など寄越して置いて、しっかり忠臣だなと、小十郎はふっと唇の端で笑った。
「おい、小十郎」
「武田の忍びからですよ」
痺れを切らした政宗の声が不機嫌さを滲ませたのを聞いて取って、小十郎はそう答えた。猿飛だと、と頓狂な声を上げた政宗の気持ちは良く判る。自分も、此の文と品が部屋に届けられた時、差出人の名を繰り返し確認をした。
「何で、猿飛がお前に文を」
「以前此方に来た時に、野菜をくれてやった礼の様ですが」
「随分前じゃねえか。今更か」
「雪の深くなる時期ならば暇で、きっと城に居るだろうから、確実に手に渡るだろうと思ったと書いてあります」
「Ah……と、言うか、だ」
政宗は宛名を摘みひらひらと揺らした。
「女文字じゃねえか。女か餓鬼だろう。猿飛な訳があるか」
「女子供が猿飛の名を騙る必要が有るとも思えませんが」
「……じゃあ、正真正銘彼の忍びの字だってのか。中身もこんなか」
「可愛らしいものですな。俺が寺子屋の主ならば、朱墨で二重丸をくれてやります」
「Ha!」
そりゃあいい、と笑い、政宗は傍らの壺の蓋に手を掛け、其れから小十郎を見た。
「此れはなんだ?」
「桜の塩漬けです。桜茶か何かに使えますが」
「Huhn……」
「処分させましょう」
「勿体ねえな。今年はうちの賄いじゃ、桜は漬けてねえんだろ」
「だからと言って、無闇に口に入れる訳にも、」
目で文を追って居た小十郎は、ふっと言葉を収めた。どうした、と尋ねる政宗に、いえ、と答え、もう一度最後の行を読み、其れから溜息を吐いて額を抱える。
「全く、」
どちらの品にも毒など入って居ないけれども、味噌では香りは楽しめないでしょうから、捨てる前に湯で戻して奥州には未だ遠い春の香だけでも、と。
野菜をくれてやったのは、甲斐にも未だ、桜の訪れる前の事だった。その時から既に、香りの物を用意しようと考えて居たのだとすれば、それはまた、此の文よりも遙かに似合わず、健気な。
「………政宗様」
「Un?」
「小十郎が毒に当たって死んでも、笑い飛ばしてください」
「Huhn? 何言ってんだ」
「まあ恐らく、政宗様にも春の香りは楽しんで頂けると思いますが、暫くはお待ちを」
がさ、と文を畳んで、小十郎はもさりもさりと降る雪の影の映る障子を見た。
「甲斐にも未だ春は遠いでしょうな」
「そりゃ、そうだろ。其れより小十郎……」
「嗚呼、大丈夫でしょう。よくよく考えれば此の小十郎の野菜を真田のみならず、甲斐の虎にまで食わせた忍びです。彼れは戦忍だ。戦場以外での毒殺は───まあ、専門外なのかも知れませんな」
「忍びは忍びだぜ」
「忍びは誇り高いものだと聞いております。信頼には、応えねばならんでしょう」
「なら、俺にも食わせるべきだろう」
「小十郎が倒れずに済んだなら、その時には幾らでも」
其処ばかりは譲れない、と視線を伏せもしない小十郎に溜息を吐いて、政宗は軽く肩を竦め壺を引き寄せ蓋を開いた。
閉じ込められて居た桜の香りが、ほんのりと冬の空気に漂った。
20070121
さすけが字が苦手だったらかわいいな妄想
文
虫
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