彼れは何だ、と幸村は目を瞬かせた。庭の奥、低い庭木の枝に白い物がぶら下がっている。
よくよく目を凝らせば顎の外れた頭蓋骨で、戦場や野っ原で見掛ける事はそうは珍しくもないが、此の様に城の敷地に晒されているなどないことだ。そもそも彼れはどう見ても、人の手でぶら下げられたものだろう。虚ろな眼窩から、良い枝振りの梅が突き出している。
幸村は懐手に腕を組んだまま首を傾げて暫しそれを眺め、沓脱石までよりも漸く任務より戻ったらしい己が忍びの居室の方が近いと判断を付けて、止めていた足を動かした。裸足で出ても良かったが、先頃上がったばかりの雨でぬかるんだ庭に降りては袴も汚す。家人に叱られ手を煩わさせては、佐助の顔を見るのも遅れてしまおうし、そうこうしているうちに、甲斐へと報告にでも発たれては、また暫く戻らぬだろう。
「佐助。庭にされこうべが居るのだが」
留守の間に湿気った部屋に風を通す為か珍しく開け放たれた戸から顔を覗かせ、開口一番そう言えば、案の定再び旅支度を調えていた佐助はぐり、と肩越しに幸村を仰ぎ見た。任務の疲れか幾分か精悍に痩せ、日に焼けた頬に、いつもの気の抜けた笑みが浮かぶ。
「んもう、久々の部下に、もっと別の言葉はないわけ?」
「お前の仕業ではないのか」
「や、俺様ですけど」
矢張りな、と溜息を吐いて、幸村は板間へ上がり込み、どかりと胡座を掻いた。
「何処から拾って参ったのだ。家人が見ては、騒ぎになろうぞ」
「あれ、回収しちゃったんだ」
「否、未だそのままだが」
幸村は溜息を吐いた。
「お前は時々、おかしな事をする」
「ええ、でも彼れ、山で木の枝に引っ掛かってたんだぜ。忍びでもなきゃ登れねえような、杉の天辺にさ」
烏か鷲か、何かが咥えて落としたのかな、と呑気な口調で言って、佐助はふさり、と風呂敷を広げた。
「烏でも狸でも構わぬが、だからと言ってお前が真似をする事もあるまい。第一、城の、庭だぞ。女中も通れば、おれも通る」
「旦那は今更、あんなもので吃驚しないでしょ」
「そう言う話ではなかろう」
はいはい、と肩を竦めて、佐助はぎゅ、と風呂敷を縛った。
「出る時に、持って出ますから」
「持って出るなら、何故あんな所に置いておくのだ」
「だって、部屋になんか気持ち悪くって、連れて来たくないじゃないの」
「ならば捨て置けば良かろう」
「それもなんか、ねえ……折角のご縁ですし」
「何処の者とも判らぬされこうべに、縁も何もあるまい」
戦場の水を飲んで育った戦忍には珍しいものでもあるまいし、妙な事を言う、と幸村は呆れた顔をした。
「しかし、持ち出して何とする。甲斐へと向かうのだろう。まさか、お館様へとお見せするつもりでもあるまい」
「いやいや、そんなつもりはねえよ、勿論。途中で、どっかの辻にでも、葬ろうかと思ってさ」
「ならば、山でも構うまい」
「早くこっちに戻りたかったの。未だ雨も降ってたしさあ」
山越えたら止んだけど、と肩を竦め、佐助は広げていた細々とした道具からは考えられぬ程小さく纏めた風呂敷包みを、懐へと押し込んだ。
「んじゃ、ちょっと行ってきます。明日か……遅くても明後日には戻りますんで、旦那への報告は、それからで」
「うむ」
よ、と立ち上がる様が珍しく躯の重さを感じさせて、幸村はじっと忍びの挙動を見、それから部屋を横切って廊下へと出る足を掴んだ。
「……何よ。危ないでしょうが」
「気が変わったぞ、佐助」
「何?」
「甲斐へ発つのは明日にしろ。今宵は、此方で休め」
「はあ? 折角予定より早く戻れたってのに、それじゃ大将への報告が遅れるでしょうが」
頓狂な声を上げて眉を顰めた佐助の足を尚も引くと、引き倒されるのを厭がったのか、判った判った、と溜息を吐いて佐助は足を引っ込めてしゃがみ込んだ。
「旦那へは、戻ってからきちんと報告しますって。大将のご意向を伺わなきゃいけないとこもあるし、だったら後にした方が、混乱がなくていいでしょ」
「その様な事を申しておるのではない。お前、疲れておろう」
ぐいと無造作に頭を掴む様に額へと手を当てれば、挙動が読めなかったのか佐助はぎゅっと目を閉じ、それから不満げに唇を曲げた。ひやりと冷たい額だ。
「怪我も何も、ありませんよ」
「しかし病でも得た様な顔だな。毒を食らったか」
「何も無かったですって。ただの偵察だったんだし」
「佐助」
顔を掴んでいた手で項を押さえ、ぐいと引いて床へと膝を突かせて、幸村はその色の薄い目を覗いた。
「その様な顔で、お館様の前へ出る事はまかりならぬ」
真田忍びはどれだけの厳しい任務も軽々とこなすものだ、と不敵に笑えば、佐助はええ、と呆れた声を上げて、しかしぐったりと躯の力を抜き完全に床へと座り込んだ。
「もう、なんなの、見栄っ張り」
「悪いか。見栄は大事だと、お前も言っておっただろうが」
「そうだけど、そりゃ、俺様のこっちゃねえだろ」
ぶつぶつと文句を言って、佐助はくしゃりと前髪を掻き上げた。
「……あ、」
「何だ」
言い乍ら腕を引き、躯を抱き寄せて己へと寄り掛からせ、されるが侭に半ば寝そべる佐助の装束を首から引き抜けば、乱暴な所作に乱れた髪のまま、忍びは幸村を見上げた。
「髑髏、どうにかしないと」
「明日、甲斐へと行く途中で埋めるのであろう」
「いや、けど、直ぐ持ってくつもりだったからさ」
「構うまい」
「さっきあんた、みんなが吃驚するって言ってたじゃないの」
腕を伸ばし、腰を引き寄せて躯を丸める様に畳ませ、胡座の膝に頭を押し付けて幸村は平然と笑った。
「ならば、驚かせておけ。今日は午後から暑さが戻るだろうと言う話だ。暑気払いにでもなろうぞ」
「つうか、なんか変なもんでも寄って来そうで、厭なんですけど……」
「何、おれが居る」
お前はおれの側に居れば良かろうと言えば、佐助は変なのは旦那だよ、と溜息を吐いた。
「旦那は、あんまり死人に拘らないよねえ」
「生きとし生ける者、全てはやがて死ぬものだ」
「そうだけど、やっぱり生者と死者ってな、別のものじゃないの」
「だが、されこうべなど、一皮剥けば皆持っているものではないか」
此の下にもあるのだぞ、と痩せた顎を撫で、親指で眼窩を辿る。佐助は目を細め、それから瞼を閉ざして膝に埋める様に顔を背けた。
「成る程、旦那の槍の先にゃ、俺様なんかよりずっと、髑髏は多い訳だ」
「一つ一つ、眺めて歩いている訳では無いがな」
肉の燃えるその炎の奥に、ごろりと転がる骨は決して白い訳ではない。血の炭や衣服や鎧の染料が、奇妙な色に染め上げてしまっている、そういう事も多い。
「彼のされこうべは、綺麗だな」
「そうね。小せえし、女の骨かな」
「山賊にでも殺されたものか」
「さあ、判んねえけど」
今のご時世、屍なんてな何処にでも転がってますからね、と妙に優しく囁いて、佐助はふあ、と欠伸をした。
「寝ても良いですか」
「構わぬが、布団でなくて良いのか」
「良いですよ。旦那はあったけえしね」
暑くなったら起きるし、と笑って、佐助はもう一度小さく欠伸をし、そのままふつりと口を閉ざした。
寝息など聞こえぬ唇を指で撫で、幸村は顔を上げて開け放たれた戸から庭を見た。
髑髏の掛けられた枝は此処からは見えず、佐助は存外怖がりなのだ、と一人納得して、幸村は羽織を脱ぎ、忍びの痩せた肩へと掛けた。
20080901
此れは皆、お前の髑髏だ
文
虫
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