泥  む

 
 
 
 
 
 

「では、政宗様。その様に」
「おう。後は夜にでもな」
 右目は軽く眉を顰め、溜息を吐いた。
「近頃酒が過ぎますぞ」
「だったら、酒無しでも構わねえよ。手前の好きにしな」
 大体、手前が勝手に持って来るんだろうが、とにいと唇を吊り上げて嗤えば、小十郎は眉間の皺を深くして、ではその様に、ともう一度繰り返し膝を上げた。
「おい、忍び。悪さするんじゃあ、ねえぜ」
 間に三人ばかり座れそうな程距離を取ったまま縁側に座り、頬杖を突いて庭を眺めていた男は、唐突に低い声に呼ばれちらと横目を向け、肩を竦めた。
「悪さなんか出来る様な相手じゃ、ないでしょうが。あんたんちの大将は。返り討ちに遭っちゃうよ」
 ふん、とどこか満足げに鼻を鳴らし、小十郎は「では、」と政宗へと一礼すると、その場を辞した。政宗は夕暮れの屋敷の陰へと踵の白さが紛れるのを見送り、どこまでも開け放してある座敷のどん詰まりの闇を少しばかり見詰めて、それから首を巡らせた。
「おい」
 言いながら、腕を掴み強く引き寄せる。ずる、と引き摺られた躯に片腕を回して更に引くと、完全に体勢を崩した佐助は慌てて政宗の袖を掴んだ。それでも背の大半が、胡座の上に乗る。
「何よ、もう」
 つい先程まで夕焼けに赤々と照らされていた見上げる顔は、今は夕闇の紫に、くっきりとした陰影を落とす。大して彫りの深い顔立ちではないが、こうして見ればまるで異人の様にも思えるのだから、元々鼻筋の通った政宗の顔など、化物の様にも見えているのかもしれない。
 にい、と歯を剥きだして嗤うと、男はほんの僅かに首筋の筋肉を緊張させて、再び何よ、と言った。
「可愛くねえな」
「はい? 突然、何なの。悪口?」
「嫉妬するより先に身を引こうなんてな、女より質が悪い」
「女じゃないんでね。伊達の殿様は女遊びも盛んだって聞くけど、精々病にやられねえようにね」
 ふんと鼻を鳴らして嗤い、政宗はもう一度抱えた躯を引き上げて収まりのいい位置へと転がし、節榑立った長い指で、忍びの赤い髪を掻いた。闇に薄く溶ける様な色をした髪は、片目だけの視力では、ともすれば肌と溶け合う様にも見える。
「小十郎は、俺の右目だ。判ってんだろう」
「……何? 嫉妬がどうのって、話?」
「彼れに妬くなんざ無駄な事だが、だからと言って折角懐いた癖に逃げようなんてな、誰が赦しても此の独眼竜は赦さねえぜ」
 佐助は曖昧に笑い、ちらと視線を空へと馳せた。
「何の話なんだか。あんたと右目の旦那が、ただならぬ仲だとでも言うわけ」
「だったら、どうすんだ?」
「どうすんだって……」
 別に、と心底困った様に口籠もり、佐助はちらと政宗を見た。
「いや、だって、それなら、俺様が此処に居たら、あんた、片倉さんにどつかれんじゃないの」
「Ha! あんたは真田の野郎が他の女と寝てたら、主をどつくのか?」
「むしろ赤飯炊くよね、それは」
 政宗はくつくつと喉を鳴らして笑った。
「例えだ。あんたが真田幸村に口出ししねえようにな、彼れも俺に口出しはしねえよ」
 ふうん、と呟き、それから佐助は漸く背の緊張を解いて、ごろと身を返し政宗の膝を枕に庭へと顔を向けた。
「じゃあさあ、独眼竜の旦那は、俺様が真田の旦那とただならぬ仲だなんて言ったら、どうすんの? 妬く?」
 ふん、と低く呟き、政宗は髪へと潜らせていた指を、ゆっくりと頬へと滑らせ、素早く首筋を撫で、衿の合間へと潜らせた。くっきりとした鎖骨を撫でる。
「其れであいつの切っ先を鈍らす様な事になるってんなら、あんたをぶっ殺すぜ」
「はは、」
 佐助は擽ったそうに身を捩り、政宗の膝へと頬を付けた。
「そんな事にゃ、ならねえよ。あのお人が、俺とあんたを天秤に掛けるなんてこた、ねえからね」
「Han……んじゃ、此処を」
 すと手を下ろし、ぐと急所を握り込めば軽く肩が緊張した。
「潰してやろうか。主の褥になんざ、恥ずかしくって上がれねえようにな」
「………怖い怖い」
 戯けて呟く佐助に笑い、政宗は身を屈めて緩くこめかみに口付けた。袴の上からゆるゆると握り込んだ其れに触れ、微かに洩れる息を聞く。
「Jokeだ、本気にすんな。あんたがあいつと寝たとして、そんなもんは俺と小十郎みてえなもんだ」
「……大分、違うと思うけどなあ。少なくとも真田の旦那は、もし俺様があのお人と寝たとして、あんたとも寝てるなんて聞いたら、凄い顔すると思うよ」
「Ha、それが俺との勝負に、何か関係すんのか?」
 佐助は心地良さげに目を細めたまま、薄らと笑った。
「いやあ……しないねえ」
「なら、あんたが殴られようが馘になろうが、関係ねえな」
「酷えなあ。手討ちにされたら、どうすんの」
「Huhn……そうだな」
 政宗は愛撫の手を止め暫し間を置き、それから痩身を板間に転がして本格的に覆い被さった。
「その時くらいは、助けに行ってやってもいいが」
「は、馬鹿かね」
「あんたが望むかどうかなんてな、関係ねえな」
 そしたらずっと此処にいな、と主に殺されるのなら黙って頭を垂れるであろう男に囁いて、政宗は生意気な返事を待たずに唇を塞いだ。

 
 
 
 
 
 
 
20080730
野良猫立ち寄り所