まなゆめ

 
 
 
 
 
 

 首から下げた守り袋の中に、種がある。先日ふらりと立ち寄った北の農村で、労働の報酬に分けてもらった稲の種だ。
 その農村にはひと月居た。歌を歌いながら共に刈り入れをし、藁を干し、新米の握り飯を食った。今年は豊作だと大喜びの村人達は、此れで殿様に旨い飯を食っていただけると、そう喜色を浮かべて握り飯を頬張っていた。彼らの食える新米は、もうそれでほとんど仕舞いである。
 己の食わぬものを精魂込めて作り、粟や稗や萎びた大根の粥で冬を越す。雪が積もれば出て行けなくなるし、さすれば慶次の分の食い扶持が増えて、村人達は苦労をする。
 冬の間、ひっそりと息を殺して雪解けを待つ村人に混じって力自慢の慶次が出来る事はなかったから、秋口には去ることにしたが、しかし世話になっていた一家は、このまま居着いて農民にならないかと、そう誘ってくれた。
 稲作の最も楽しい時期だけを手伝ったとは言え、金色の海原を端から刈り取っていく仕事は、楽しかった。己が食えないにしても、真っ白な米が作られていく様は、此れで利家やまつが生きていけるものだと思えば、やっぱりとても楽しいものだった。
 勿論前田の領地などではないし、その米を口にするのは北を治める何某かだ。慶次は面識もないし、縁もない。だが、加賀の農民も皆、前田の殿様に美味い握り飯を食っていただきたいと、そう言って米を作る。農民達の気持ちは、訛りは違っても、皆同じだ。
 しかし慶次は断った。農民はなれないよと、そう笑って超刀を担いだ。
 そして今、縁側の向こうへしんしんと雪の降り積もる白い世界を眺めながら、火鉢の傍でごろ寝をして、そのことを考えている。
 何も、遊び暮らしていたい訳ではない。一年中汗水垂らして地を耕す事が、厭な訳ではない。
 だのに慶次は無理だと思った。理由などよく判らない。ただ直感で、己は此の地に住まう者ではないと、そう思った。
 ならば何処か別の土地に、終生住まう場所があるのかと考える。こうして冬の間、結局雪に閉じ込められて出て行けなくなってしまった慶次を、住まわせてくれる場所はある。加賀の前田の家もまた、いつまで腰を据えていても、誰も出て行けとは言わぬだろう。
 慶次を愛してくれる人は多い。慶次を共に置いてくれる人も多い。
 ただ、慶次と共に生きてくれる人は少ない。かつては居たような気はするが、今は居ないと、そう思う。
「………根無し草かあ」
 呟いても、傍らで雪見酒を決め込んでいる友人は、口元に変わらぬ笑みを浮かべたまま何も言わずに大杯を傾けた。
 腕枕をしたままちらとそれを見上げ、慶次は鼻で息をして、再び雨戸を開け放した雪の庭を見る。吐く息が白い。
 農民と武士は違う。
 民が健やかに暮らせるよう血腥い場所で戦い守るのが武士で、彼らに守って貰う為に農民は彼らの飯を作る。戦えぬ代わりに命を削って地を耕し、痩せ細った腕で稲穂を刈り、此れで侍が飢えず戦えると涙を浮かべる。
 そんな健気な者達を出来るだけ庇護下へと置き、自ら作った米を食わせてやりたいと、そう考える友人は、けれどその庇護の翼の下の剣で同じような民を、無慈悲に斬って捨てる。
 自らが滅ぼされては庇護する者がいなくなる、それは無論そうなのだ。あわれと呟き瞳に切ない光を浮かべ、友人は毘沙門天の名の下に戦をする。それが慶次には、少し解せない。
 慶次とて、神仏を信じていない訳ではない。地蔵を見掛ければ手を合わせるし、神社を見掛ければ立ち寄って賽銭を放る。神籤も祭りも大好きだ。
 けれど拠り所にするのなら、それは人だと慶次は思う。神仏を拠り所に、人を生かし殺す、それは慶次の理解の範疇を越えている。
 夏の終わりにひと月共に暮らした農民達は、痩せ細っていた。北の地の農民達は、一揆衆に呑まれつつある。いずれ彼らも鍬を武器として、此の友人と事を構える日が来るのかもしれない。
 慶次は火が嫌いだった。戦火など、もっての他だ。
 だが戦が農村を踏み荒らせば、粗末な家などあっと言う間に燃え尽きる。夏の日差しや秋の大雨や、冬の寒さから農民達を守ってくれた藁葺きの家は、武士の火矢一本で燃え落ちる。
 燃える家の、煤の臭いを知っている。腕の中の柔らかな躯が見る見る熱を失って行くのに、燃え盛る火はますます熱い。
 なのに人を殺して火を放つ滅ぼすばかりの背中は、顧みる事もせずに去って行くのだ。
 それが、己の私怨である事は知っている。
 慶次は溜息を吐き、ひんやりとした鼻の頭を擦った。綿入れの袖に手を引っ込めて、厚い足袋を履いた足を擦る。
 もう二度と見るまいと思っていた背を、見た。去年の事だ。
 殴り付けた昔の友は、生涯共に生きていけると信じていた相手は、あれからも変わらず弱い者を殺し押さえ付けてめきめきと此の国の上へと根を下ろし始めている。慶次が金蔵を空にしてしまったから数年ばかり出遅れたという話も聞くが、彼方此方から奪い取り、空の金蔵はもう大分埋まっているとも聞く。
 どちらが本当かは判らなかったし今更確かめる気もなかったが、友だけなら兎も角、あの頭の切れる軍師が居るなら後者であってもさほど驚きはしない。
 慶次は目を伏せた。何も変わらなかった。ただ己が──あの男が殺したやさしい過去が、未だお前を見ているのだと、そう念を押しただけだった。
「………見てるだけって、意味ねえのかなあ」
 かた、と、大杯が置かれた。また放って置かれるかと思っていた慶次は、その音に首を巡らせ目を上げる。
 友人は変わらぬ貌で、慶次を見ていた。その涼やかな瞳に慈しみがある事を知っている。
「いみのないものなど、ありませんよ、けいじ」
「………そうかい?」
「そなたがながれるかぜであるのも、てんのみちびきゆえに」
 流れる風、と首を傾げ、それから慶次はむくりと起き上がった。
「謙信。俺と喧嘩しないか」
 友人は酷く愉しそうに微笑んだ。
「おあいてしましょう」
 
 
 結果的に、慶次はこてんぱんにのされた。
 いつもならば適度に引き分けに持ち込んでくれる友人に、手加減されているのだろうと薄々知ってはいたが、まさか此処までと思うほど、友の剣は鋭く正に軍神の名に相応しい強さだった。
 しかし此の強さをもってしても、全てを殺さず治める事は、出来ぬのだ。
 彼が、武人である限り。
 
 
 もっと優しくしてくれと喚きながら傷の手当てを受ける慶次を肴に楽しそうに酒を呑んでいた友人に、慶次は守り袋の中の種を半分渡した。
 短い冷夏でもたくさんの稲穂を付ける、新しく作られた米だった。
 友人は雪が融ければまた、その種をもたらした民を諌めに兵を出す。慶次は、それを止める事も出来ずに、一足先に南へ帰るだろう。
 京へ戻る前に残りの半分は竜の住処に置いて来ようと考えながら、慶次は大杯を傾ける友人ににじり寄り、美味い米と水で出来た酒を強請った。

 
 
 
 
 
 
 
20090223
愛夢
400年後の正夢を視る

実は幸慶だと思います
幸→慶ですけどいつも通り