慕う民が供えて行くと言う花や線香の煙で埋もれた墓へ、何も携えずだらりとやって来た物の怪めいた髪の色をした男がじっと手を合わせるその背中を見守って、元親は無言のままで居た。随分と長い事瞑目していた男は、ようよう顔を上げると肩越しに変わりのない気の抜けた笑みを向ける。
「待たせたね、長曾我部の旦那」
「いや。もう構わねえのか?」
「うん。また午後に来るし」
相変わらず足音のしない足捌きで掃き清められた湿った地面を踏み、佐助は元親を促した。元親はちらと墓へと視線を向け、それからゆらゆらと揺れる他に見ない色合いの髪を追った。
「そんで、俺様に用って、何かな。此処いらに入るんならもう、軍神さんに挨拶しねえとまずいと思うけど」
「ちょいと野暮用で寄っただけよ。軍神にゃあ、今は用はねえ。わざわざ山上ってまで、顔出す必要もねえだろ」
「わざわざ山越えて、上田まで来た癖に」
肩を竦め、ちらと流した薄い目に呆れの色を乗せて、佐助は道へとせり出していた枝を潜る。顎の下辺りに揺れる其れを手折らず真似して潜り、元親は面倒臭え事は抜きにするぜ、と痩身へと声を掛けた。
「手前の其の腕、墓守にするにゃあ、惜しい。俺と一緒に来ねえか」
「ははあ、前にも言ってたっけねえ」
「再就職先にはどうのと、手前も言ってたじゃねえか。満更でもねえんだろ?」
「あの時はしつこくなかった癖に、どう言う風の吹き回しよ」
「言ったじゃねえか。墓守にするにゃあ惜しい、てよ」
そうかあ、と笑みを含めた声で言い、佐助は緩い歩調を止める事はない。元親は少しばかり足を早めて隣へ並び、幾らか開けた山道を下った。
「真田の墓を、四国の土地に移した所で、うちにゃあ文句を言う奴はいねえぜ」
「馬鹿だねえ、鬼の旦那。あんた海賊の癖に、土に墓建てようなんて」
「真田は海の男じゃねえだろう。手前も、山の者だろうが」
「はは、回りくどいのは嫌いだっけか。一介の忍びが、主の墓を勝手に他に移す訳にゃあいかんでしょって」
上田に戻せたのだって、軍神の恩情に縋った様なもんなのに、と肩を竦め、佐助は暗い影の無い顔に相変わらず笑みを乗せている。まるで老人の様な静謐さと生気の無さだ、と元親は思う。未だ若い優秀な戦忍から、温い炭火を残して火が消えてしまった。
惜しい、と再び思う。忍びとも、大地の上にばかり目を遣る武士とも元親の生き方は違うが、何にしろ佐助は未だ生きているのだ。主が死に、忍びである佐助も死んだと言うのなら、別のものとして残りの人生を大いに生きても構わぬだろう。悲しみを忘れる事は出来ないが、其れを愛しく胸に抱いたまま、生きて行く事は出来る。
「なあ、忍び」
「忍びじゃねえよ」
嗚呼、と頷き、元親は言い換えた。
「悪い。佐助」
名を呼ぶと、佐助は可笑しそうに目を細めて笑う。不快な笑い方では無かったが、微笑ましいものでも見たかの様な笑みだった。
「何笑ってんだ?」
何か可笑しかったか、と言えば、嗚呼、ごめんね、とふふと喉を鳴らしながら言って、佐助はこきりと首を慣らした。
「そう言うこっちゃねえのよ、勘違いさせたね。あんたがどう呼ぼうが好きにすりゃあ良いけど、俺はもう、忍びじゃねえんだって、そう言いたかったんだよ」
「………真田の忍びだからと言うことか」
「違う違う。あんた、見た目に寄らず感傷的だね。そうじゃなくって、実際にもう、俺は忍びじゃねえのさ」
「別に忍びでなくても、」
「だから、呼び方なんかどうでも良いんだって。もう走るも跳ぶもならねえって、そう言ってんのよ」
元親は目を瞬かせ、まじまじと佐助を見た。確かに歩調は緩いが、しかしその歩みに澱みはない。聞こえぬ足音も目を離せば濃密な山の気配に紛れてしまいそうな希薄な気配も、以前刃を合わせたその時と、寸分も違いない。否、寧ろ更に磨かれて、薄く柔らかに、けれど鋭く研がれた様だ。
「………どっか、おかしくしたのか?」
見た目で判らずそう問えば、佐助はもう里を抜けたから、と軽く答えた。
「忍びの里か」
「そう」
「抜けれるもんなのか? 追っ手が掛かってるって言うんじゃ」
「追っ手が掛かってんのにこんなに堂々と上田にいちゃ、疾うに死んでるっての。抜けたんだよ、ちゃんと、筋を通して」
「筋ってのは……」
「金だよ、金。俺様は優秀だったからねえ。里にも充分に貢献したし、要求分以上の金も払ったし、ま、お陰様でえらい貧乏だけど、小金稼げる手業になら不自由しねえからさ。自分一人生かすくれえ、軽い軽い」
食うも飲むも人並み以下、軒さえありゃあ生きていけるし、とあっけらかんと言う佐助に、元親は難しく唸る。
「里を抜けたせいで、忍びの技ぁ、使えねえってのか?」
「忍びの技ってのをあんた、走る跳ぶ殺す、それだけだと思ってんだろ。んなわけねえよ。ほんとに忍びの技を殺すなら、此の橙頭潰さねえと」
とんとん、と額をつつき忍びの武器は躯と頭、と肩を竦めて、佐助はすと落ちてきた未だ青い葉を、危うげ無く指に挟んだ。葉を挟んだままの指が、足袋を履いた足下を指す。
「親指、落としちまったの」
「何?」
「筋を通す、てえのはそういう事さ」
足の腱を絶つとか、手の指落とすよか、片端には見えねえだろ、と佐助はくるりと器用に葉を回してぴ、と放った。ふわと飛んだ葉は茂みに落ちる。
「俺様ってば里でも一目置かれてたからね。足の指でも了承されたし、まあ歩くのにはこの通り、器用な質なんでね、不自由ねえけど」
「───足の親指がなきゃあ、走れねえし跳べねえだろうが!」
「だからそう言ってるでしょうが」
だからさあ、と佐助は肩を竦めた。
「戦忍の俺は、もう死んでんのよ。おまけに見張りも未だ取れねえ身の上だし、諦めて頂戴よ」
「見張りってのは」
「里のだよ。筋を通して足抜けしてもね、こうやってあんたみたいのが来ないとも限らねえでしょ。別に俺の持ってる情報なら売っても構わねえけど、里の不利益になるような真似は出来ねえの。抜けた所で、完全に切れるには、未だ未だ時間が掛かるってこった」
深々と落胆の息を吐いて、元親はがっくりと肩を落とした。
「手前……そんなに戦が嫌いだったか」
「はあ? んなこと言ってねえっしょ」
「俺は手前のその小器用さが面白えと思ってたんだ。戦嫌いなら、船にだけ乗っててくれりゃあ構わなかったのによ」
「だから、戦嫌いなんて言ってねえって。そりゃ別に、好きなわけでもねえけどさ」
お仕事だよお仕事、と軽く嘆息して、佐助は額に垂れた癖の強い髪を掻き上げた。ざく、と髪を擦る、乾いた音がする。
「それに俺様、船って好きじゃないのよね」
「ああ? なんでだよ」
「揺れるじゃない」
元親は一つ大きく瞬いて、其れからしょうがねえなあ、と大袈裟に肩を竦めた。
「山の者は山の者かよ」
諦めの言葉に顧みて、佐助は漸く含みのない顔で笑うと、茶でも呑んで行け、と元親を家へと誘った。それに頷きながら、山虎に操を立てた山烏に、海猫にだってなれただろうにと口の中だけで呟いて、元親はちらりと今来た道を見た。
道の向こうの真新しい墓に、午後になったらもう一度共に参って、そうしたら海へ帰ろう、と元親は思った。
20070924
つまんだら殻が割れます
かたつむりは海貝の仲間
かたつむりは肺呼吸
文
虫
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