「………む、治まったな」
「大きな地震でしたな、お館様」
「うむ。先日長雨の際に裏山が崩れたであろう。あれの様子を見に行かねばならんな」
「では忍び隊の者に」
「うむ」
佐助、と天井に顔を向けた幸村が呼ぶも、いつもならば軽い返事を返してひょいと顔を覗かせる忍びは姿を現さない。それどころかいらえもなくて、幸村はちょいと片眉上げ、再び佐助、と呼んだ。やはり、気配はない。
はておかしいな、と信玄が首を傾げると同時に、ふいに幸村が何かを思い出したようにあっと小さく声を上げた。
「おっ、お館様、失礼致しまする!」
「なんじゃ?」
慌てたように立ち上がった幸村は、問いを皆まで聞かずに部屋を飛び出しそのまま縁側から庭へと飛び降りて、見えるうちで一番高い木の下へと駆け寄った。
「佐助ぇ! もう揺れておらぬぞ! 降りてこい!」
縁側に仁王立ちで眺めていた信玄は首を傾げる。いつもならば天井裏に居るはずの忍びが何故庭木の上にいるのだろう。間者の気配でも察したのか。だがそれにしては姿を現す気配はないのが妙だ。
しかし幸村は確信を持ったように、一見誰の姿もない木の上へと向かって忍びを呼んでいる。
「佐助ぇ!」
「……………ほんと? 余震とか」
「大丈夫だ、ない!」
自信満々に確証のないことを言った幸村の言を信じたわけではないだろうに、がさ、と庭木の梢が揺れて、橙の頭が覗く。夕陽色の髪をした忍びは、大丈夫、と力強く繰り返す主に励まされたのか、ぽんとほとんど枝を揺らさず飛び降りた。
「まったく、木の上のほうがよっぽど揺れるであろうに」
「木の上は風が吹いても揺れるもんなんだよ! いつだってなんだかんだで揺れてんだから、いつもは揺れない地面とは違うの!」
渋面で呻いて、佐助は落ち着かない様子でそわそわと辺りを見ている。信玄はははあと顎を撫でた。
「なんじゃ、佐助は地震が怖いのか」
「別に怖かないけど、揺れるのが苦手なだけですよ」
「ふむ、船もそう言って嫌がっておったな」
「あれも揺れるでしょ。普通地面は揺れないもんだからさ、なんかふわふわして落ち着かないったら」
平静な顔で軽く肩を竦めて見せる佐助の横で、幸村が奇妙な顔をしている。笑いを噛み殺しているような顔だ。
信玄は素知らぬ顔でふむ、そうか、と頷き、二人を手招いた。
「落ち着かないところ悪いが、佐助。裏山の様子を見て来てはくれぬか」
「ああ、ちょっと前に崩れたとこ?」
「うむ。まあまた揺れて崩れても、お主ならば大丈夫であろう」
「ま……また揺れる?」
「うむ。少々大きな地震であったしな、もう暫くは気を付けねばなるまい。だがもしまた山肌が緩む様なら、次の揺れが来る前に、彼の辺りは立ち入れぬ様にしておかなくてはならぬからな」
だから早く行って来てくれと言うと、佐助はうわあ、とあからさまに顔を顰めて、それから判りましたよ、と覇気無く頷いた。それに耐え兼ねたのか、結局笑い出した幸村がばしんと忍びの肩を叩く。
「いった、ちょっと旦那、痛いって! 馬鹿力!」
「はは、すまぬ、お前が狼狽える様が可笑しくてついな」
「笑うところじゃないでしょ! まったく」
「すまぬすまぬ。詫び序でに、某も一緒に行ってやろう」
「え、いいよ、別に。あんたは大将の相手してれば」
「いいから、詫びだ。某が行きたいのだ。構いませぬか、お館様」
苦笑のような少しばかり大人びた笑みを浮かべて見上げた幸村に、信玄は頷いた。幸村は忝のうございますと深々と頭を下げ、まだ渋る忍びの腕を取った。
「行くぞ、佐助!」
「うわ、もう、そんな急ぐなって……ていうか急ぐなら俺様一人のほうが早いってのに」
まったくもう、とぶつぶつと言いながらどこか安堵に頬を緩ませ主に引かれるままに去っていく忍びの背中を見、今度舟遊びにでも連れて行ってやろうと信玄は悪戯小僧の様ににやにやと笑った。
20061219
揺れる地面は苦手なんだよなあ
舟釣りなんか嗜みません
文
虫
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