以前一度、己が忍びと床を共にした事がある。
何故そう言う事になったのだったかもう憶えてはいない。どちらかが望んで、と言うよりも売り言葉に買い言葉でお互い引っ込みが付かなくなった結果と言う方が正しい気もしたし、そもそも普段からその様な目で佐助を見ていたのでは戦にも連れては出れぬ。
よって以降そう言った形で佐助を抱いた事は無かったが、近頃妙ににおいのしない彼の忍びに気持ちを掻き立てられる気配を感じて落ち着かず、遂には欲の処理を一人行う際にも顔を思い浮かべる様になり、いたたまれなさも極まって今宵閨へ、と呼び出すと、暫し渋っていた佐助はやがて諦めの溜息と共に承諾をして、夜半参ります、と言った言葉通りに、今此処に座っている。
「佐助」
一度目よりも余程硬く緊張したまま上擦った声で名を呼んで手首を掴めば、思うよりも細く感じたそれにちらと不審に思う。
しかしまあ普段こうして躯に触れる事もそうないし、手甲も付けぬ生身の膚なら尚更である。忍びだけあって薄い躯をしているものだと一人納得して、引き寄せ背に腕を回す。どちらからともなく安堵の様な溜息が洩れて、温かい、と人間の湿った様な体温に感想を洩らせば、腕の中の佐助が低く笑った。
「佐助」
「あのね、旦那」
宥める様に背を撫でた佐助が、困った様な声で囁いた。
「どんなに吃驚しても、大声出さないでね。夜中だから」
「う、うむ……?」
良くは判らなかったが慣れぬ己に気遣わせたか、と少々情けなく思いながら、腕に力を込めると薄い躯がより密着する。心の臓の音が聞こえる程だ。首筋に埋めた鼻先に、香とは違う、けれど仄かに甘い様な香りを感じて頭の芯が真っ赤に染まる。
ひゅ、と息を呑みそのままがむしゃらに押し倒して襟をはだければ、驚いた佐助が幾度か大きく瞬きをして、ちょっと待って、と慌てて腕を突っぱねそれからごそごそと己の背に手を回して帯を解いた。
「なあ、ちょっと、何て顔してんの」
ぶっ倒れないでよ、と苦笑の中に少々の不安を交えた佐助を見るに、余程茹だった様な顔をしているのだろう。しかしどうしようもない。己が此れ程色に飢える事があるとは知らなかった。
興奮が過ぎて震える指でさらと膚をなぞれば、帯を解かれた長着が躯の脇へと滑り落ちた。綺麗に筋肉の乗った真っ直ぐな胴に額を擦り寄せ、胸の真ん中の骨へと口付けると、佐助が僅かに身を捩る。早くも額に浮いていた汗がぽつと落ちて、がんがんと頭蓋の内で鳴り響く鼓動に、本当に倒れるのでは無いかと己でも少々不安になった。戦となればどれだけの興奮も闘気に変えて放出出来たが、色欲となればそうもいかない。
酒の場などで酔いの勢いで武勇伝を語る武将などに一晩で幾人抱き潰した等と言う話を聞かされ辟易した事はあったが、まさかそう言った事が現実に有り得るのか、とちらと不安に思う。思うが止められる気もしない以上は、言っても無駄だ。
だからすまぬ、とだけ言えば、佐助ははいはい、と呆れたふりで返して優しく頭を撫でてくれた。その手が酷く心地良い。
目を細め、それから再び顔を下ろして臍の辺りを舐めて、躯の下で閉じていた腿を掴んで押し上げると、流石に小さく驚きの声が上がった。
「旦那、ちょっと、」
「聞かぬ」
言って膝の横を軽く噛んで、腿裏を滑らせた左手で股に触れると、さら、と思うより薄い下生えが触れた。そのまま幾度か撫でて、あるべき物が手に触れない事に、怪訝になり目を落とす。
淡い色の下生えを薄く被らせたなだらかな丘をじっと見下ろしてそのまま指で辿れば、矢張りある筈の膨らみはなく代わりに唇の様な亀裂が触れた。僅かに力を込めればつと指が割って入り、ぬる、と粘液が触れる。
ぬめりに摩擦のないそれに添わせた指をゆっくりと上へと持ち上げれば、離れる瞬間、小さな突起を掠めた。同時に抱え上げた腿が微かに強張る。
「…………、さ……佐助」
「何ですか」
「何ですかって、お前」
疾うに沸騰していた頭が壊れそうに揺れている。真っ赤な視界に忍びの肢体だけが白く、ぐら、と上体が揺れたかと思うと腕を掴まれてその薄い胸の上に倒れ込んでいた。
「おま、お前、ど、」
「旦那、蝸牛には雄も雌もないって知ってる?」
「し、知らぬ。お前は蝸牛なのか」
「違うよ。蝸牛に抱き締められてたら気持ち悪いでしょ」
喉を鳴らして笑う声は元の佐助のままだと言うのに、足の間の証ばかりがない。
そう思えば下腹に触れているそこの感触が気になって、体勢を変えようと身動ぐが佐助はしっかりと背に腕を回したまま離してはくれなかった。
「佐助、離せ」
「嫌だよ。逃げるだろ」
「に、逃げぬ」
「じゃあせめて、話を聞くまで此のままでいてよ」
「は、離れて聞いても良いだろう!」
「逃げるから、駄目だよ」
頑として譲らず、佐助は首の後ろと腰にそれぞれ腕を回してがっちりと押さえ込んだ。
「魚の中には、若い頃には雌で、体長が大きくなると雄になるのがいるっていうのは」
「し、知らぬ! そんな事は太公望にでも訊け!」
「長曾我部の旦那とか? まっ、あのお方なら知ってんだろうけど」
そう言う魚もいるんですよ、と耳許で態との様に囁く声に卒倒寸前だ。唯でさえこうして閨の中で訊く佐助の声は酷く淫猥で、艶めかしいのだと思い出す。
「逆にね、若い頃は雄で、年を取ると雌になるのもいるんだよ」
「お、お前は魚の化身だとでも言うのか! 人間の話ではなかろう! に、忍術だとか言われた方が未だ納得で、」
「忍びはそういう生き物なんです」
はくはくと口を開閉させれば、首に絡んだ腕が幾らか緩んだ。顔を覗き込めば佐助は薄く目を細めて猫か何かの様に笑う。
「上杉のかすがね、彼れも昔は男」
「な、」
「本当。彼れは早熟でさ、だから子供の頃に女の躯になったんだけど」
「し、し、しかし、それでは真田忍びもいずれは皆くのいちに」
「なるのとならないのと居るんだよ。それに魚と違って忍びはまちまちなの。逆に、女が男になるのもいるしね」
北条の風魔なんかはそっちの口らしいよ、噂だけどね、と微笑んで、佐助は拘束を解いて肉の薄い掌でそっと頬を包んだ。
「だから渋ったのに。せめてすっかり女になってからならさあ」
さて、どうするの、止めますか、と悪戯に笑う仕種にくらくらと眩暈がして、思わず首を横に振ると忍びは物好きだねえ、と肩を竦めた。
早朝とも呼べぬ時刻に自宅から城へと向かえば、いつもならば疾うに朝餉も済ませている頃の主が珍しく起きて来ないと家人が困り果てていた。
「旦那、朝だよ。具合でも悪いの? お医者呼ぼうか」
失礼しますよー、と声を掛けてがらと戸を開ければ、主は布団の上に起き上がったまま焦点の合わない目で呆然としている。寝乱れたままの姿で着替えもせずにいるのも、意外と衣服の乱れを嫌う主にしては珍しい。
少しばかり首を傾げ、そっと後ろ手に板戸を閉めて布団の脇へと歩み寄り、佐助は膝を突いた。
「旦那? おーい、どうした」
目の前にひらひらと手を翳して見せても無反応で、どうしたものか、と困惑して居ればやがてぎぎぎ、と軋む音が聞こえそうな程鈍い動きで主は首を巡らせた。死んだ様な目が佐助を捉える。
「よっ、お目覚め? 大丈夫?」
「………佐助」
「はいよ。どうしたの」
「お、お前」
呟き僅かに絶句し、カッと目に光が点ったかと思えば唐突に腕を掴んで引き寄せられた。
「な、」
「佐助ぇ!! かの様な大事は予め告げておかぬか!! お、お、驚いたではないかッ!!」
「は?」
「躯は大丈夫か!? お、おれは無茶をさせたのではないか!!」
「ま、待て待て待て、ちょ、何の話?」
「佐助……ッ!」
がっしと馬鹿力で抱き締められて、苦しい死ぬ降参、とばんばんと背を叩いてもなにやら感極まっているらしい主はまるで話を聞いていない。こちらにしてみればまるで話が見えて来ない。
「責任は取るッ!!」
「はあ!?」
「おれがお前を嫁に貰うぞ!! 心配するな……!」
「な、何それ!? どうせなら俺様女の子のお嫁さんが欲しいんですけどお!」
「馬鹿を申すなッ!!」
がっと肩を掴んで引き剥がし、酷く真摯な目が真っ直ぐに佐助を見詰めた。
「女子が女子を娶れる筈が無かろうッ!!」
「つうかあんたが馬鹿だろ!? 俺様の何処が女の子だっての!?」
「お前が昨夜言ったのではないかッ!!」
「俺は昨日は自分ちに帰ったってえの!!」
「いいや確かに女子であった!!」
「嘘だろ!? あんたどんだけ寝惚けてんの!? 勘弁してよ……!」
「おのれ未だ惚けるかッ!!」
ならば証拠を見せてくれる、と掴まれたままの肩がぐいと引かれたかと思えば、寝乱れたままの布団の上に放り出されていた。ぱちくり、と瞬く合間にのし掛かった主は今に至っても大真面目だ。
「ちょっとお!! 朝っぱらから何考えてんの!?」
「お前が素直にならぬからだ!! ええい、大人しく致せッ!!」
「出来るかッ! こんの馬鹿主ーっ!!」
幸村様がご乱心の様だ、と佐助の絶叫に怯えをなした家人は結局誰も来ず、昼近くなって出て来た家主は頬にくっきりと拳の跡を付け、お館様に叱っていただく、とそのまま甲斐へと旅立った。
忍びの道から屋敷を出たらしい忍び長は忍びの里へと舞い戻ったまま籠もってしまったが、甲斐から戻った主が里へと詫びを入れてようやく帰り、忍隊と家人とに泣いて喜ばれ主に複雑な顔をさせた。
20071118
くまのみは共生生物
文
虫
|