20 骨を抱く腕

 
 
 
 
 
 

 戦国の世が終わり、役目を失った忍びの者は徐々に消えた。とは言え人であるのだから陽炎の様に消え失せると言う訳にはいかず、或る者は其の儘所領を得、武家として主に仕え、また或る者は町へと下り、生来の器用さを生かして手に職を持ち人の世に馴染んだが、大方が秘密を抱えた儘の忍びを危惧した主や里に始末をされたり、また徒党を組み、山野に潜んで盗賊と化し、世に徒なす者等となった。
 とは言え、逸早く事態を見越した信玄により、武田の忍びは職を世話され、能の或る者ならば望めば武士として取り立てられて、幾らかは散っては行ったがそれでも大方が何らかの形でその動向を掴む事に成功していた。信玄に戦国一と言わしめた真田忍隊においては、その精鋭の殆どが隠密、と言う形で残されて、精鋭中の精鋭である幸村の腹心等、西で山賊が出たと言っては駆けて行き、東で盗賊がと聞けば飛んで治めてと、同族殺しを命ずるを口籠もる主の意を酌んでか軽くはいはいと引き受けて、太平の世となってからも酷く忙しいまま尽くし続けた。
 彼れの戦国は終わっておらぬな、と、忍びが真新しい傷をこさえて帰って来る度、槍を取る事も少なくなった幸村は、しくしくと痛む胸におれも弱くなったものだとしみじみと思ったものだった。
 そんな事を続けて暫く、或る時矢張り何処ぞで不穏な騒ぎが起きて居て、どうも忍びの仕業では無いかと思う、と言い置いて出て行った腹心は、その儘ぱたりと帰っては来なかった。
 待てども待てども便りも無く帰らぬ忍びに、此れは死んだか逃げたなと、幸村は捨て置いた。任務の果てに死んだならば身元等割れぬ様己で始末をしていようし、下手に探してはその尽力が無駄になる。また、此れだけ幸村に、真田に、武田にと尽くした彼れがその生き方に膿み逃げたのであれば、もう充分であった。
 無理強いをしたつもりも無かったが、主従と言う関係は、特に彼の従順な忍びにおいては結局は一方的に、此方が彼れの忠心を搾取していくだけのものである。幸村は、戦国が終わったと言うのにお前だけを闘わせ続けて居るのは胸が痛むと顔に出す事が許されたが、拒む事が出来ぬ以上、忍びはただ笑ってそれを受け流し、任務に駆けて行くことしか出来ぬ。ならば、逃れるならば、人知れず消えるしか無い。
 しかし律儀な忍びの事だ、逃げたのならば、生涯その後ろめたさに追われてびくつきながら生きるのであろうと思えば、早い内に此方から解放してやるべきだったかと、幸村は静かに後悔をした。
 
 それから数年経った頃、町へと出た幸村は、往来でばったりと、懐かしい橙の髪を揺らした男に再会をした。
 よう、旦那、と笑った顔は昔と寸分変わりなく、元々年齢不詳の気のあった男ではあるのだが、お前、年を取らぬのか、と驚けば、嫌だな俺様だって老けましたよ、と笑って、元忍びは随分と痩せてしまった手を差し出し、握手を求めた。主にする仕種では無かった。幸村は、その、だれた温さの手を握り、幾らか世間話をして、じゃあねと手を振る後ろ姿をいつまでも眺めて、それから屋敷へと駆けて戻った。
 息を切らせたまま離れへと飛び込み才蔵へと佐助を探せ、死体を探せと喚けば、驚いた忍びはそれでも承知と頷いて、ひと月の後にはあっさりと、その足取りを掴んで来た。
 
 捕らえた盗賊の頭は北条の風魔一族の末席の者だと言い、赤い髪の男なら暫くは生きていましたよ、と何かを含んだ笑みを見せた。
 忍びには忍びでなくてはと口を割らせた才蔵は、細かな所は幸村には説明を省いたが、それが酷く残虐な事実である事は察せられた為に、敢えては問わずにただ報告を受けると、幸村の忍びは実に三年もの間、賊の元で生かされていたようだった。その忍びとしての力は身体能力に止まらず知識の面でも豊富で、それを惜しんだのであろう事は察せられたし、女子供では無いものの、物珍しい見目に、何時か何かに利用しようと考えていたのかも知れぬ、とは才蔵の言葉だが、それが控えめな欺瞞である事は幸村も承知はしていた。
 腐っても風魔一族、忍び同士、どうすれば自害や逃走を防げるか、熟知はしていたのだろう。三年の間、彼れを生かして捕らえていただけでも大したものだが、赦す事は到底出来ぬと昏く目を光らせた幸村は、けれど治世の要に仕える武士として、直接に仇を討つ事は、結局出来ずに終わった。
 
 賊の処刑が済んだ後、幸村は、少しばかり長い暇を貰い、賊の隠れ家だったと言う忍び宿へと赴いた。
 すっかりと荒れ家となった宿の裏は草茫々の空き地で、程なく、死体は打ち捨てたと言う賊の言葉通りに、人間一人分の骨を見付けた。一揃え、と言うには幾らか足りなかったが、獣が持って行ったものだろう。
 幸村はそれを一つ一つ拾い、腕へと抱いて、太平の世となり彼れはもう忍びではなく、そもそも武田が天下、彼の時の任務も敵地へと忍んだ訳ではなく自国の乱れを正す仕事であったのだと、戻らなかった彼の時、忍びの習いを持ち出して、探しもしなかった怠慢を、酷く悔いた。
 持ち帰った骨は、己が死んだら共に真田の墓へと入れようと、生きて居たなら恐ろしい勢いで拒まれそうな事を考えて、幸村は白い壺へと収めて自室へ置いた。こうしておけば、往来でばったり遇った彼の時の様に、また何かの拍子にひょっこりと顔を見せるかも知れないと、夢想した為もある。
 それから、はたと、さて彼れは何故に今更、姿を見せたものだろうと幸村は不思議に思った。死んでからもう数年は経っていると言うのに、しかも世間話だけをして、そうして再び幽世へと消えて行った彼れは、幸村に何を伝えに来たものか。
 
 その答えは直に知れた。敬愛する信玄と父が、相次いで没したのだ。
 嗚呼彼れは不幸の先遣りであったのか、そう言えば季節外れに夏の装いであったなと、幸村は三度、悔いた。
 庭では夏の盛りに大輪を付けた冬牡丹が揺れて、橙の色をした徒花を、幸村は黙って摘み取り握り潰した。
 花粉を散らせて潰れた花は、直ぐにぼうと燃え上がり、煤となって幸村の掌を汚した。

 
 
 
 
 
 
 
20070612