幸村は怪異を信じぬ訳ではないが、死霊の類を見ぬ質である。幼い頃から従者であった幾らか年上の忍びは見る質の様であったのだが、其れ等が居ても平然としている男であったから、死霊を見る目を持って居る事を幸村が知ったのは、実に最近の事だ。
曰く、気にしたってしなくたって祟るときは祟るものだし、祟らぬときは祟らぬものだ。
取り憑かれたって旦那の側に半日もいりゃあ勝手に消えちまうんだから、別に平気だよ、とあっけらかんと言う男に、まあそう言うものなのか、と幸村は納得した。何にせよ幸村には見えぬ物である。祟ろうが祟るまいが、見えぬ物はどうにもならぬ。
幸村、と声を掛けられて、幸村は一度開けて眩しさにまた閉じた目を、もう一度開いた。覗き込むのは己が主だ。
「お館様」
掠れた声を喉から絞り、ぜい、と喘ぐとよい、喋るな、傷に障る、と優しく手が翳された。
つと目を遣れば霞む視界の中で、敷居に立ったまま開けた障子に寄り掛かり、腕を組んだ忍びの姿が主の肩越しに見えた。忍びは幸村の視線に気付くと、にやり、と片頬を歪ませ笑った。
「どれ、医者を呼んでこよう」
「お、お館様、お館様に、其の様な」
「構わぬ。世話をさせろと我が儘を言うて、こうしてお主の側に居たのは儂じゃ。とは言えお主が寝ておる間は、お主が苦しんで居ようとも横に座っておることしか出来ぬのだ。臍を噛む思いがしたぞ、のう、幸村よ」
「も……申し訳なく」
「謝るでない。どれ、少し待っておれ」
のしり、と大きな躯を少し揺らして立ち上がり、主は開けた障子からどし、どしと重く床を踏んで忍びの前を通り、姿を消した。
其れを無言のままに視線で見送って、忍びは再びちらと幸村を見た。口元には笑みを刷いたまま、瞳は眩しく細めたままだ。
幸村は、ぜいぜい、と喉を鳴らして、枕元を見た。酷く怠くて上手く動かぬ腕を持ち上げ、其処にある六文銭の紐を、掴む。
じゃっ、と投げ付ければ勢い無く畳を滑り、穴空き銭は忍びの足下と幸村の、丁度合間で止まった。
忍びは肩を竦めて身を屈め、境界を越えず室内には足を踏み入れぬまま指先に紐を引っ掛けて、器用に六文銭を掬う。
「お情け、有難く」
言って、もう一度笑みを閃かせ、次にはもう其処には何も無く、誰も居なかった。
何だ、と幸村は浅い息の下で思う。
「こんなものか」
其の一年の後、丁度己が忍びの死んだ季節に戦場で新たに設えた六文銭を首に下げたまま命を落とした幸村が見た怪異は、生涯其れ一度切りであった。
20070404
闇
文
虫
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