14 闇を指差し

 
 
 
 
 
 

 どうするの、と尋ねれば、主は力無く首を振った。師の天下でなくば見る気もない、と言った様子に、佐助は一つ頷いた。
「じゃ、俺、行くわ」
 のろのろと、覇気の欠片も感じさせない様子で憔悴した顔が上げられる。紅蓮の鬼と恐れられた姿からはかけ離れた、迷子の子供、等と呼ぶには絶望の深い、最早死を待つのみの老人の様な其れに、佐助は殊更軽く肩を竦めた。
「だって旦那は、もう止めちまうんだろう? 真田は主家を失った。此れから次の主家を探して奔走するわけだ。まあ、真田隊もあんたの父上も立派なもんだから、引く手数多とは思うけどね。でも、引く手数多って言うなら、俺様だってそうなんだよ」
「………裏切るのか」
「ははっ、馬鹿言うんじゃねえよ。俺は真田じゃなくってあんたに仕えてたんだ」
 ひらりひらりと翻す手の動きが、瞬きも忘れた、ぼんやりと曇る硝子玉の様な目の中で踊る。
「其のあんたが戦を止めるってんなら、俺はもう、いらねえだろ」
「お前を、手放す気は無い」
「厭だなあ。主くらい、選ばせてよ、旦那。忍びの数少ない権利、奪おうっての」
 戦わないあんたには用がないんだ、と言えば、主は僅かに目を眇めた。ちらりと燻った炎は昏い色をしていて、目敏く其れを捉えて佐助は嫌味に唇の端を吊り上げ、嗤った。
「俺は戦って奴が好きじゃないけど、戦がある限り、戦場から離れる気は無いんだ。其れがお仕事だからね」
 俺が戦を止めるのは、太平の世が来た時か、死んだ時だけだよ、と猫撫で声で言ってやれば、主は低く、喉の奥で唸る。獣の威嚇の様な其れに、おっかねえ、と戯けて見せて佐助は身を翻した。
「お手討ちにされる前に退散しますか。んじゃあな、旦那。世話になったね。達者でやってよ」
「佐助、待て」
 背を追う声が、ほんの僅かに熱を取り戻して居る。けれど無視して姿を消し、佐助は直ぐに庭先から跳んだ。庭木を一度蹴り、裏手の林を越えて山へと踏み込み風を切り駆ける。
 
 さて、何処に行こうか。
 
 伊達と上杉は駄目だ。二匹の竜は、それぞれ目が利き過ぎて、佐助を決して信用すまい。面白がって招き入れるかもしれないが、懸命に仕えている其の背後で、主の刃に常に首を狙われるのは、流石に御免被りたい。そもそも、肝心の時に、戦場に出してくれるかも怪しい。
 となれば、南下して、織田か、徳川か、豊臣か。
 最も楽に潜り込めるのは豊臣だろうか。彼処の軍師は、実力さえあれば、過去を問わずだ。
 豊臣は天下の覇者となり得る力を秘めている。見る見るうちに拡大して行く勢力に、武田も警戒を強めていた所だった。真田が、何処に付くにしろ、主家に天下を獲らせようと言うのなら、いつか何処かで戦うだろう。
 
 さあ、旦那、と、佐助は口元に笑みを閃かせた。
 
 裏切り者の首は此処だ。
(殺しにおいで)
 幸村は戦場で死ぬ人間だが、戦場に居なくば生きてはおれない。裏切り者は戦場で、今か今かと待ち構えているのだから、其れを赦せないのなら、再び紅蓮の槍を手にして。
 主を主の生くる場所へと戻す為なら、そうする事によって其の手でどれだけの命が屠られようと構わない。
 其の、数多の命に、己が含まれて居ようと一向に構わない。
 佐助は裏切りを十二分の物とする為に、忍隊へ何の指示も無く領地を離れる意味を問おうと併走する幾つかの部下の影に向かい、大手裏剣を一振りした。声無く落ちる骸に、ざわめいた気配の数を数えて、得物を構えたまま装束の広い襟に鼻先まで埋め、薄く嗤う。
 
(はやく)
 
 殺しにおいで。

 
 
 
 
 
 
 
20070423